「今日の天使」:お客さんが何だか機嫌がよくやさしかった
課長Bと同僚とのーんびりお昼を一緒に食べて、
しばし、重い仕事をさぼれた
溜まってた作業が片付いた
近所の神社近くで、夏の気配を感じる匂いがした
フェデラーが試合に勝つ姿をテレビで観れた
「今日の悪魔」:ちと制作プロダクションへの怒りのせいでやさぐれ気味で、
ジャンクフードを食べてしまった
+5-2=+3
Total:+66Ag
飛騨牛偽装事件
消費者の誰もが
「どーせ、またこの人が指示してたんでしょ?」
と分かってたはずなのに、
なぜ、「社長」っていう立場の人々は、
「知らん」
って言うんでしょうかね。
これは決まり文句ですか。もはや。一回は言っとこうか、ってな感じですか。
あとで認めて辞任するなら、最初から認めたって同じなのに。
調べたらどの道分かっちゃうことなのに。
それよりも何よりも、
自分たちのお客さんが一体誰なのか、
その姿はおろか、輪郭さえ見えていないその盲目さ。
どの業界にいたって、
お客さんの姿を観ようとしなければそれは金の無駄遣いというものだ。
別にお客さんのことが嫌いだっていい。人間好き嫌いはあるんだから。
ただ、お客さんが何を考えているか感じなければ、何も生み出さない。
でも、きっとそれ以前に、人としての敬意がないんだろうな、なんて感じる。
その点、某飲食サービス企業が、社員に徹底して「客、ではなく、お客様、と呼べ」
と指導しているのはいいと思うし、
某広告代理店が客という言葉すら使わず、
「得意先」という言葉を社員に使わせている文化は良いとおもっている。
私はむしろ今でも得意先と言う言葉を使いたいくらいだ。
社内にいると違和感があるので、時々しか使わないけれど、
使い方や相手の呼び方次第で、意識がかわることは確かだ。
それにしても、、、
あれだけ消費者からも取引先からも見放された船場吉兆の件が身近にありながら、
なぜ学習しないのか。
なぜ、学習できないのか。
鈍感力。
私はこの言葉が今一番嫌いです。
「今日の天使」:上司と深く話せたこと。
友人(同志)の舞台を観にいって、再会できたこと。
+2Ag
Total:+63AG
創作の進捗状況をお伝えします。
ほぼ私信に近い。
現在、創作している人物は、T氏とM氏です。
両方とも、大学つながりです。
まず、T氏の進捗状況。
60%くらい。まずまずのペースです。
冒頭はほぼ書き終わって、作品の世界観がなんとなく分かる部分は完了。
T氏の場合は、不可思議なことが起こる話となっています。
今は、結末に向かって展開していく部分を、2方向くらい書いていて、
筆が進む方を直感で選ぼうかなぁと思っています。
次に、M氏の進捗状況。
40%くらい。こちらもまずまずのペースです。
M氏の場合は、人物像が冒頭でだいぶ分かるような構成になっています。
今後は、M氏のキャラが活きた展開になると思われます。
6月、最後のセッション(若干かっこつけて呼んでみた)は明日行います。
明日、演劇をやっている友人の舞台を観にいくので、
そこで、舞台上の友人の空気感を感じ取ろうと思っています。
本人にはまだ告知してなくて、
おそらくこのブログも公演終了後に観るはずですが、
本人は、この企画にノリノリだったので、良いか、と。
プロジェクト開始後初の女子です。
さて、女子はどんな風なオーラの発し方をするんでしょうか。
そんなわけで、明日は自分のアンテナがちゃんと働くように、
よく寝て、仕事でやさぐれないようにしなければ。。
一段と楽しくなってきた。
「今日の天使」:昼休み創作を少し進めた
久々に、おうちで白いご飯が食べられた
「今日の魔物」:昨日がんばりすぎた&今までの無理のせいか、
ぼんやりして超低空飛行な一日だった(涙)
±0 ←初・・・
Total:+61AG
まぁ、こんな日もあるさ。
明日はアフター6にお楽しみがあるので、絶対いい一日になります(嬉)
「今日の天使」:がんばるだけがんばって危機的状況を抜けてから帰った
明日はのんびり過ごせると思ったら嬉しくなった。
あ、明日整体にでも行っちゃおう
卵ってやっぱりおいしいよなぁ
「今日の魔物」:ない。たぶん。。
+3
Total:+61Ag
「今日の天使」:今日は自主休暇を楽しんだ
ついでに髪を切った
ついでに肩と背中のマッサージをしてもらった
来週の従兄の結婚式出席用の衣装?一式がそろった
お昼に食べた天ぷらとかやくご飯がおいしかった
色々面倒な懸念事項が解決された
fre9の大切な人物Xに、良いことがあったのが嬉しかった
「今日の魔物」:かなり早朝に目が覚めてしまったので二度寝をしたら、
もの凄い悪夢を見た。
銃で右鎖骨下を撃たれる(しかし弾は体内から見つからないという
意味不明な事件)っていう夢。誰が撃ったかは不明。。
起きてみたら、ほんとに右鎖骨が痛かった。
でも原因は確実に「凝り」でした。
+7-2=+5
Total:+58Ag
これまで「創作実話」としてきたプロジェクト名を変えることにします。
新たな名はこれ。
the KARMA "at this moment"
意味的には、「今、この瞬間の、(あなたの)雰囲気」ということになります。
Karmaは、最近、シャロン・ストーンが、中国の四川省地震に対して
「That's karma.」と言ったとか言わないとかで話題になりましたが、
本来は、サンスクリット語で「業」という意味です。
シャロンの言葉に見られるように輪廻と対で使われることが多く、
因果応報みたいな意味に捉えられることが多いこの言葉。
日本では悪い意味にとられがちですが、
悪い輪廻があるならば、その反対に良い輪廻も沢山あるはずで、
私はその良い輪廻(ループ)を作り出して生きたいと、
最近はとてもとても思うわけです。
悪いことを口にしていると、それが実現してしまったり、
反対に、精神的に病みかかってても前向きに進んでいれば良い方向に向かったり、
そんな気持ちや雰囲気の良いループを生み出していきたいとつとに思います。
というわけで、先週から始めました。↓こういうことを。
「ある人物Xの○月○日時点での雰囲気を作品化する」
「その作品をXにプレゼントする」
「それを定点的に行っていく」←人によっては一生作り続けるかも??
これまで、7,8人の友人を自分の作品に登場させる、という主旨で進めていましたが、
それだと構成(思考)主導で、感性的ではないので、
自分のやりたいこととは主旨が違うと感じ、やめました。
それで、先週末、
観にいった「バレエ・フォー・ライフ」のジル・ロマンのダンスの衝撃を、
冷めやらぬ興奮そのままに書きなぐってみて、
彼だけを主人公にした話を一気に書き上げた時、気がついた。
あ、これがいい。
この感覚、久しぶりです。
自分がやってて楽しくて、良いテンションで続けられることをやり遂げた時、
こういう感覚を感じます。
でも、これは、身体表現のプロだからできたのではないか?
すぐにそう思いました。
じゃあ、「一般人」に対してもできるかやってみよう。
ということで、先週から、実験開始しました。
内容は、興味を持つ人を招いて、ただのんびり好きなように2人で話す、こと。
私は話している間中、ずっと相手に関する印象などをメモに取ることをします。
まずピックアップした友人は2人。
一人は、fre9的にアートというか感性で表現をやりたいと思ってる人。
もう一人は、そうではなく、理論派のような雰囲気を感じる人。
やってみた結果、「やれるぞ、これは」と思いました。
で、今黙々と書いております。
なぜメモを取るかというと、
「一般人」はさすがに身体中から滲み出る何かの雰囲気、
というものをコンスタントに発しているわけではないので、
彼らの雰囲気を書きとめることはもちろん、
発言で気になったものを掴まえておく必要があったからです。当然、了承済ですが。
それで、プロジェクト的な進め方がどことなく好きな私は、
同時に何か新しいテーマとなるような言葉を探していました。
前々から気になっていたKarmaという言葉には、雰囲気、という意味もあるようで、
それを知った瞬間、即決定。
そして、その当時の、という意味の"at this moment"を後につけることも決定。
" "の中はもしかしたら、派生的に
"in the past"とか"at that time"とか"in the future"
になるかもしれない。
ただ、基本形は、"at this moment"です。
この「誰かの雰囲気を書きとめて作品化し、それを本にして渡す」プロジェクトは、
定点的に行いたいと思います。
だから、今回実験台となった友人2名は来年もしくは3年後でもいい、
もう一度6月に話してみたい。
そうした人々を増やしていって、最終的に、
「fre9人物図鑑」ができるといいなと。
そんなわけで、時間が合いそうな人を次々と巻き込んでまいります。
が、今の私の実力では、
1〜2週間に2名でもかなり時間的にきついことがわかったので、
しばらくは、
MAX 3名/月
といたします。
あしからず。
というか、対象者は私の全友人・知人です。
よろしくお願いします。
「今日の天使」:小雨の中、朝散歩した
スタバで創作、だいぶ進んだ
クーラーで寒いスタバの店内で、
熱いコーヒーを飲むのは結構よかった
科学未来館で触れる地球を沢山触った(勉強になった)
スーパーカミオカンデのレプリカ
風邪が治った(っぽい)
色々な不安とかを、たぶん100%くらい吐き出して、吹っ切れた
↑ということで、人間不信症が軽減された
↑ということで、また安心できた
「今日の魔物」:ちょっと、泣きすぎた
+9-2=+7
Total:+53Ag
「今日の天使」:よく眠れた(少々寝すぎたが・・・)
創作、少し進んだ
青山ブックセンター六本木店の隣のビルの一角に、
洋書の古本屋さんを見つけた(よかった)
ナウィンさんと再会。ナウィンチームと再会。とっても楽しかった。
ナウィンさんつながりで、KO大学文学部講師の面白い人と出会えた
T子さんと、はじめまして。やっとご対面できた!
辛くておいしいタイ料理を食べられた(涙でましたが)
ビールのおいしさが少しわかった(氷入れると沢山飲めた)
ちょっとだけ英会話ができて、すごい気楽な気持ちになった
熱い湯船に浸かって、ぼーっとできた
「今日の魔物」:もちろん、なし!!
+10
Total:+46Ag
Marie
「今日の天使」:お昼休み、創作が進んだ
創作の実験第2日目。おそらく順調に終了。
実験の舞台とした銀座のお店がかなりハイテンションな店で
楽しかった。
「今日の魔物」:なし!!
+3
Total:+36Ag
「今日の天使」:お昼休みの親子丼がおいしかった
お昼休みに、ジル・ロマンバージョンの創作がひととおり完成した
5社競合プレゼンの案件で、仕事受注できた!
企画書8割は作ったからまじ嬉しい!
創作の実験がスタート。まずは順調に終了。
一年ぶりに話した友人とのトークが楽しかった
夜空の月が照明みたいにもの凄い光ってて綺麗だった。
明るすぎて雲が見えるくらい光ってた。
「今日の魔物」:もちろん、なし!!
+6
Total:+33Ag
Marie
「今日の天使」:お昼休み(夕方)に、創作に没頭できたこと
とりあえず仕事の山の目途はつきそうなところまで頑張れたこと
夜の大手町をお散歩して、夏の一歩手前の匂いを感じられたこと
「今日の魔物」:たぶん霊(?)のようなものの気配を感じてしまったこと
深夜まで会社で仕事をしていたら、いつの間にか独りになっていた。
さみしかったので早く帰ろうと思ってがんばっていたら、
背後に何かがいる気配がした。
振り返っても電気の消えたオフィスしか見えない。
でも、またPCに向かうと何かゾワゾワしたものを感じる。。
おいおいおいおい!やめてくれよ・・・
オカルトは好きでも霊のご登場とか、いやだよ・・・
フレディの霊以外はお断りだよ・・・
さみしいを通り越して心細くなり、30分ほど耐えたが、
気配の連続攻撃で気分が悪くなって、帰宅を決意。
この話、前々から部署のうわさになっていたが、
本当だったのかも。。。泣
+1
Total:+27Ag
「今日の天使」:母校の教授とご飯を食べ、含蓄ある話を聞けたこと
「今日の魔物」:特になしという感じの一日
+1
Total:+26Ag
「今日の天使」:朝ごはんを食べられたこと
余裕で家を出たので、バス停に向かうまでにのんびり散歩できたこと
仕事の懸念時効が片付いたこと(光が見えるってスバラシイ・・・)
大親友から久々に連絡がきて、元気そうだったこと
「今日の魔物」:今日もなし!!
+4
Total:+25Ag
「今日の天使」:オケの練習で、ワルツを気持ちよく弾けたこと
オケの指揮者先生が、もとの「プチいい加減」キャラを取り戻したこと
早起きのおかげで背中の凝りが取れたこと
午後、創作スイッチがオンになり、
2時間ぶっ通しで新たな挑戦ができたこと
昨日の感動の余韻に浸った一日になったこと
その余韻を表現する術をつかみかけてきたこと
「今日の魔物」:なし!!
+6
Total:+21Ag
13日と14日の貯金状況です。
13日の分。
「今日の天使」:今の仕事は、やっぱり向いてるかも、と思えたこと。
朝の青空が綺麗だったこと
フレディバレエの前夜!
「今日の魔物」:比較的良い気分だったが、一日の最後でお邪魔が入った・・・
+3-2=+1
14日分。
「今日の天使」:晴れた上野公園の、木陰が気持ちよかったこと
バレエ・フォー・ライフがとてもよかったこと
一緒に観た友達が大満足してくれたこと
⇒彼女は前々から観たいと言ってたので余計に嬉しい
バレエ団の中に、目の素敵な人がいたこと
創作意欲が刺激されたこと
「今日の魔物」:なし!!
+5
Total:+15Ag
やっぱり、ジル・ロマンは男性ダンサーとして素敵だ・・・特に目が。
それが今日の全てな気がする。
バレエ・フォー・ライフ
それは、生と死をテーマにしたバレエだったと思っていた。
過去形ではなく、もちろん現在もそう思っている。
だが、この解釈は、一つのバレエとして見た時の解釈であるにすぎない。
そういうことが今回分かった。
鑑賞は今日で3回目。
観れば観るほどに理解が深まるバレエというのは、そうそうないと思う。
私はこのバレエを、元バレエ経験者として、それからフレディファンとして、
その2つの立場で鑑賞してきた。
だが、構成も、構図も複雑で、
1回目(ビデオ鑑賞)は、その恐ろしいほどのエネルギーを処理するので精一杯。
2回目はバレエとしての奥深さと詩的な世界を感じきるだけで精一杯。
3回目の今回でやっと、フレディやジョルジュ・ドンという夭逝したアーティストたちの、
透明な輪郭を観ることができたような気がしている。
このバレエを、数年間で作り上げたモーリス・ベジャールの才能が怖い。
心底そう思った。
創作するまで全く知らなかったフレディの姿を、
彼の音楽と映像と書籍の情報を通して再構築することに成功している。
例えば、
エンターテイナーとしてのフレディ
プリテンダーとしてのフレディ
生身の人間としてのフレディ
死んでしまったフレディ
・・・
表に出ていたフレディを陽とすれば、
内面の部分は陰と言える。
このバレエでは、
陽を「フレディ」役のダンサーが演じ、
陰の世界をジル・ロマンが踊っているのだという発想が、
作品中、稲妻のように頭の中を走った。
これまで、ジル・ロマンのこの作品における位置づけがよく分からなかったのだが、
今回、このためだったのか、ということを肌で感じた。
前から4列目という舞台に間近な席で、
ジル・ロマンの息遣いを聞き、全身で表現しようとするエネルギーを感じた。
でも、それは、彼自身の陰の部分をエネルギーとして昇華させている行為で、
それがフレディという人の生き様と重なる部分が大きいのだと気がついた。
ベジャールが、「フレディ」役以外に、キーパーソンとなる謎の人物を置いた理由が、
今回やっと分かった。
ジル・ロマンの個性でしかできない振り付けで、
「白い」フレディと「黒い」フレディ両面から表現しようとしたのだ。
これは、同じくオマージュとして捧げられているジョルジュ・ドンの描き方にも通じる。
彼はプリテンダーではなく、生身の人間として舞い、死んでいった。
私は映像からしか観ることができなかったが、
液晶の向こう側で飛び跳ねる人間の像からは、
しっかりと彼の熱が伝わってきた。
それほどの、表現のできるダンサーは、唯一無二だろう。
昨年、モーリス・ベジャールは亡くなった。
ベジャールの遺志を引き継いだのは、ジル・ロマンである。
新しく芸術監督に就任したジル・ロマンは、現在48歳。
彼だって、そのうち踊れなくなる日がやってくる。
ダンサーは、そうした自分の肉体の限界と常に向き合って、格闘して、
そしてそれを駆使して、魂を委ねる。
だから、私はそうした挑戦を続ける人が好きだ。
テンション上がり中です。
ちょっと書かずにはいられない!
今週末、モーリス・ベジャール振り付け「バレエ・フォー・ライフ」観にいってきます。
S席、前から4列目!
ダンサーの息遣いと魂を感じられる最高の席で、
生きることへの叫びを表現したバレエを、
フレディ(クイーン)の音楽に載せて鑑賞できるとは!!!!!
2008年最大級の幸せであることに間違いありません。
ママァ〜♪
気分は、祭りの前夜
すぐに走り去ってしまう祭りにはまだもうちょっと待ってもらいたい気持ちと、
早く来てほしい感情が、入り混じり中。
同行者は、
クイーンのミュージカル「We will rock you!!」を一緒に観にいき
(というか私が巻き込んだ)、
立ち上がってノリノリだった私のはじけ具合に
「ぶっちゃけ、あなたにはびびったよ・・・」と率直にコメントしてくれた心の友。
大丈夫、今回はバレエですので、
正装して、綺麗な格好で、おしとやかに鑑賞いたします。
それが、バレエ鑑賞の礼儀なのでね。
2008年初スカートを履いても良いくらいですね。
でも、観客が客席から参加するところでは、思い切り参加させてもらいます。
一つ残念なのは、ベジャールがもういなくなってしまった、ということです。
2年前も、体調不良で来日できず、ジル・ロマンが監督をしていた。
ビデオでしか見たことないけれど、
ジル・ロマンの踊りは、本当にダンサーの魂が伝わる踊りなので、
今回もダンサーとして踊ってほしいなぁ、、、という希望。
無理かな。
これをはじめると一日の最後に振り返りの時間が持てて、
「終わりはよかったな」とか「始めだけよかったな」とか
「意外と良い日だったかも」とか、いろいろ思えます。
「今日の天使」:朝、運良くバスに乗れたこと
お昼、ちゃんと食べに行けたこと。
でも、山菜パスタはちと微妙な味だった・・・
上司と打ち合わせで、なかなかイイ線いった話ができたこと
上司が「来週、4時に必ずアポとって顧客Aと打ちあわせして
きなさい」というので、その理由を聞いたら、
「夕方から行って、たまには直帰しなさいよ」
ということだったらしい。課長〜!(TT)
夜になったら、雨が上がってたこと。晴れの夜が好きです。
★My loveフレディのバレエがついにやってくる!
Admirerとしては気分は祭り前夜である。
「今日の魔物」:ちょっと今週がんばりすぎてお疲れ気味・・・
以上+6-2=+4
Total:+9Ag
順調ですね。
走っています。
「今日の天使」:調査のコツをつかめた気がする。調査の神が夕方くらいに降臨した。
「今日の魔物」:集中モードだったので特に感じてる余裕はなかったらしい。
Total:+5Ag
いわゆる競合プレ。
アナリストとして参加しているからには、絶対に獲ってきたい仕事です。
明日も走ります。
思うところありまして、「幸せ感貯金」というのを始めました。
思うところというのは、
黒い感情ループにはまりだすとひたすら落ち続けるスパイラルに疲れたからです。
基本的に楽観主義者ではあるけれど、一端はまるとダメのようです。
で、これは実際の貯金ではありません。
1日1円とかやってしまうと即物的すぎて意味がないように思えるので、
毎日、感じた「幸せ感」をただひたすらアップしていく試みです。
ルールは以下。
幸せ感は、「天使」と擬人化。感じた分だけカウントする。単位は+1Ag。
一方の、マイナス感情は「魔物」と捉え、1つにつき、-2Agとカウントする。
どうせなら、魔物よりも天使のほうが良い。
この、天使と魔物のヒントは、中学のころから、
「あなたには天使とブラックなものが両方棲みついてる」
と親友に言われ続けてきたことに由来します。
で、なぜ天使が1で魔物が-2かと言うと、
これは水前寺清子さんの「365歩のマーチ」からヒントを得ています。
1日1日1歩ずつ進んでいくんです。
なんとなく歌ってたけど、奥深いですね、この歌。。
http://www.uta-net.com/user/phplib/Link.php?ID=42636
ということで、現状の状況を公開します。
080610分
080608分の繰り越し:+3Ag
「今日の天使」:
知り合いに赤ちゃんが生まれた!mixiでずっと見守ってきたから何だか嬉しい!
重たい案件だけれど、頭を必死に使って仕事している自分を発見したこと。
日曜日の自分のブログの内容から何かを感じてくれた人がいたこと。
小計:+3Ag
「今日の魔物」:
重い仕事が3本あってやっかいかも・・・と一瞬黒い感情を持ったこと。
小計:-2Ag
Total:+3Ag+1Ag=+4Ag
これをやり始めると、たとえ一日のどこかで黒い感情を持っても、
「やばい、なんか楽しいこと考えなきゃ」
と不思議に思えてきます。
ちなみに単位のAgの由来は、「天使=Angel」の略と、
殺菌効果のある銀の化学記号をかけた架空の単位。
魔物撃退の願いもこめて。
明日もつづく。
今月に入って、自分のオフィスビルでSFCのO出研関係者に2人出会いました。
それは都内駅付近 ○手町ビルヂング
今日は、サラリーパーソンなIつき君とすれ違いました。
私は空腹に耐えかねてふらふら歩いていたところでした。(ちょい恥ずかしい感じ)
先週は、なんと、ワディット社長のW田さん。(先輩)
打ち合わせスペースに、
「これは、絶対に見覚えがあるぞ!」という髪型の人がいて、
わが社のちょっと偉めな感じの人と打ち合わせ中だった。
遠くから覗いてて(怪しさ満載)、顔を見て確信した時、
ちょうど打ち合わせが終わった。
そのまま走りよるfre9。
「W田さん!」
「おぉ、Mりつぃん」
という、なかなか感動的なやり取りがあったのだが、
既に会議に遅刻中且つ、今度こそ出席しないと締め上げられる状況だったfre9は、
すぐ近くの会議室にすぐに駆け込むことに。。。
W社長様、すみません。。。
(「働きマン」の中の一説
「世の中の会議の8割が無駄なのではない。
会議で話されている内容の8割が無駄なのだ。」というくだりに、
いたく共感している今日この頃です。)
その後、机に戻るとメールが届いてました。
さっき見かけた社内の偉い感じの人からのメールでした。
というか、その人はよく全社メールで大活躍しているかなり偉い人でした。
違う部署だったので顔をよく知らず、その時名前と初めて一致したのです。
偉い人が言うには、
「W田さんが名刺を渡し忘れたことをいたく残念がっていたので、
ぜひ連絡してあげてください」
とのこと。
W田さんがどんな感じで言ったのか、なんとなく想像できて、にやりとしました。
ということで、とても丁寧に肩書きから連絡先が書いてありました。
私が知らないと思って偉い人がきちんと書いてくれたのは分かっていたのですが、
やっぱり
「実は知ってる♪(微笑)」
という状況がおかしくて、机で笑いました。
はい。
6月は遭遇率が高いです。
たまたま客先訪問のためにカッチリめな格好をしている時に当たってるので、
それがなんとなく気恥ずかしい感じ・・・?
今度は、ゆる〜い感じの服の時がいいなぁ。
事実は小説より奇なり。
これは、実際の話です。
あるところに、30代半ばの女性と娘3人が狭いアパートで暮らしていました。
女性は夫と離婚して、その後苦労して女手一つで3人の娘を社会に送り出し、
娘たちはそれぞれ良き男性と出会って結婚し、子供が生まれたのでした。
その子供の一人に、2008年現在、20代半ばの女子がいます。
彼女は生まれた時から母方の祖父がいないことを疑問に感じ、
子供の頃、幾度もそれを両親に尋ねましたが、
「おじいちゃんは戦争から戻ってこなかったのよ(死んじゃったのよ)」
と聞かされて育ちました。
でも、その子供は少々知恵があったので、
母親の年齢から逆算してそれはおかしいぞ、ということは薄々感じていました。
それで、時折そのことを確認してみたのですが、
「病気で死んだ」
「事故で死んだ」
といった「もうこの世にはいないのだ」という主旨の答えしか返ってこなかったので、
「(まぁ色々言いたくないんだろうが)本当に死んでいるのかもしれない」
「もしかしたらショックな死に方をしたのかもしれないな」
と納得することにして、すくすくと育ったのでした。
中学の時、大好きだった祖母が亡くなりました。
その葬式の時、司会をしていた葬儀屋が言いました。
「故人は生前離婚をし、子供3人を抱えて女手一つで苦労を重ねて来られました・・・」
遺族席に座っていた子供はその場で固まりました。
祖母が離婚したことをまったく知らされていなかった上に、
何らかの原因で死んだと思っていた自分の「祖父」という人が、
本当は生きているかもしれないのだ、という事実を突きつけられたからです。
祖母の年代の人は女性の離婚は「出戻り」と言われる時代だったと捉えていたので、
子供にとっては、「別れた」という発想自体が浮かばなかったのです。
その日から子供は、何となく足元が不安定な気持ちで過ごしてきました。
自分と血が繋がっている「祖父」は、生きているのだろうか、死んでいるんだろうか。
どこにいる人だったのだろうか。何をしている人だったのだろうか。
両親に聞いても絶対に答えてくれません。
写真もなく、名前も知らず、探す術がありません。
何となく悶々とした気持ちのまま、10年が経ちました。
昨年のある日、一通の手紙が届きました。
そこには「祖父」だという人物が亡くなったという知らせが紙切れ一枚で入っていて、
彼の名前と、彼が生前自営業を営んでいたことが書かれていました。
また彼には祖母の前に先妻がおり、祖母の後に後妻さんがいるということもわかりました。
先妻との間にはさらに子供がいるということも分かりました。
その手紙を読んでしばらく泣いていた母親は、
やっと重い口を開いて事実の真相を子供に話しました。
要するに先妻がいたということを隠して結婚させられたことが許せなかった祖母が、
離婚に踏み切り、逃げるようにその家から出てきたこと。
トラックに荷物を積み込んで、とにかく遠くまで車を走らせ、
女所帯で細々と暮らしてきたこと。
その人の家は東京の神田という場所にあったこと。
近所の人たちがぎりぎりまで引き止めようと、仲裁に入ったけれど、
それを振り切って出てくる結果となったこと。
子供は思いました。
「やっぱり生きてたんだ・・・」
「それにしても、×2ってすごいな・・・」
祖父という人の家の住所は当時と変わっていないようでした。
それを聞くと、
子供は、名前も知らず会ったこともない祖父がどのような町に生きていたのか、
知りたくなりました。
6月8日、その人の命日付近である6月に、子供は神田に行きました。
駅から歩いて数分、路地裏の小さな建物の表札に、
祖父の名前と知らされた名前が書いてあるのを見つけました。
想像よりも、小さな、小ぢんまりした建物でした。
隣の家との隙間は数センチという、建物が密集したエリアで、
個人事業を営む人々の営業所兼住居が立ち並び、
小さな看板がそれぞれの軒先にかかっている、そんな場所でした。
そこで、その子供の祖父という人は細々と商売を続けていたわけです、
何十年かの間。
そしてその傍らには、かつて妻だった女性と娘が3人いたのです。
十数年の間だけでしたが。
ある日を境にその生活が壊れて、ばらばらになったのです。
そして、その後、何十年も音信不通の状態だったのです。
そのお店がまだ営業しているのかどうかは子供には分かりませんでした。
日曜日でシャッターが閉まっている店が多く、事情を知るような人もいませんでした。
「その人」の気配を多く感じ取るには、あまりにもあっさりした風景で、
でも、そこに誰かがいたことは確かで、
そこに、遺族の誰かがまだいることは確かで、
この事実をどのように捉えたらいいのか、
子供にはまだ処理しきれないものが残りました。
納得したことはただ一つ。
自分には会ったことのない血縁者がいた。
きっと都内のどこかですれ違っていたかもしれないけれど、
全くの他人として生きてきた人がいた。
その人がどういう思いで死んでいったかは知らない。
その人は妻や子供を泣かせた男という不名誉な称号を与えられている。
でも、「赤の他人」だった人物の輪郭がだんだんと形として見えてきて、
「見えない祖父」という不思議な存在感を、その時感じたのは事実だ。
その存在感だけで、いいのかもしれない。
誰かがいたのだ、ということが分かれば、いいのかもしれない。
あれほど気になっていたというのに、
ここから先を、どうしても知りたい、という感情は、不思議と沸きませんでした。
自分の脳の中でセピア色に変えた風景には、
人間が動いているわけでも、営業車が走っているわけでもありませんでした。
ただ、昔のままでたたずむ看板と建物と観葉植物がひっそりと存在していただけで、
それが事実そのもののような気がしたのです。
それでも、紙切れ一枚では実感が沸かなかった事実を、
実際にその町に行くことで体感することができた。
そのことが一番の収穫かもしれません。
そんな不思議な体験が、この世にはあるようです。
人間が人間として生きていくと、
そういう中途半端で捉えきれない不思議な感情を持つこともあるのだと思います。
何だか分からない感情を持つと、それを流してしまおうと涙が働きます。
その何だか分からないものは、拒絶するのではなく、
「自分事」として、ただ受け入れてみるようにします。
全部流してしまってもいいし、いくらか何かが残ればいい。
その時に、「私」という人間が少し変化するような、
そんな気がしています。
ここまで読めば誰でも分かると思いますが、この子供とは私のことです。
色々考えたけれど、この体験は大切にしようと思っています。