2007年12月31日

2007年総括

毎年恒例としている、2007年の総括をしたいと思います。

「偽」が今年を象徴する一字として選ばれた今年、
2007年を生きた私を象徴する字は「焦」だと思っています。

2006年の総括の時に、
「来年は、今年があったから羽ばたけたんだ」と思えるような一年にしたい」
というようなことを書きました。
年が明けて、実際の2007年を終わろうとしている今、立ち止まって振り返ると、
私にとっては試練続きの一年となっていました。
こんなに泣きまくった一年はなかったんじゃないか、と思います。

涙の訳は書きません。
いっぱいありすぎて書ききれません。
今月、一度振り返りの時期を迎えて1日じっくり考えた時に、気がつきました。
今年の試練は、全て、自分の欠点が起点となっていたことに。

様々な試練を乗り越えることはできたけれど、
その度に私は焦り、焦げついて真っ黒くなり、その結果常に焦燥感を感じていました。
そして焦げ付きの表面を撫でようとしてくれた人々の多くを、傷つけてしまいました。

だから、2008年はそんなことを繰り返さないようにしようと思います。
「気持ちの余裕を持つ」を常に頭に置いて、
心身ともに健康を心がけて、活動をします。

そうでなければ、きっと私は自ら独りになってしまうだろうし、
仕事も、創作も、良いものはできないと思います。

つまり、
「やりたいことを思い切りやる代わりに、自己コントロールを徹底しろ」
ということです。
そして、
「どんなことがあっても、心から好きな物事や人に対して、投げやりな態度を取るな」
ということです。
実際11月の末くらいから、
自己コントロールをするための対策をあらゆる方面から始めています。
それから、色々なことを諦めません。
拒絶されても、床に叩きつけられても、
納得するまで冷静に考えて話そうと思います。

、、、と、沈み気味のことを書きましたが、今年は良いこともありました。
「面白い」と思える仕事に出会うことができました。
どうやったら誰かの助けになれるのかが判りました。
必要としてくれる人がいることがわかって、嬉しかった。
友人の大切さを身に沁みて感じました。

これらは、今年じゃないと経験できなかったことで、
私の人生にとって良いことだったと思います。

来年は有言実行で、成果を出そうと思います。
本気で狙い撃ちしようと思うので、1月から3月まで、1本の創作に専念します。
余計な雑念は捨てる。

色々な企画は4月以降から開始します。

さて、年賀状のデザインを考えよう。(2008年は意地でも出す!)

Posted by fre9 at 20:19 | Comments (0)

2007年12月30日

仕事に求めるもの。

新しい職場に移って、4ヶ月が経ち、今年が終わろうとしています。

2007年は2つの職場を体験して比較する機会に恵まれたわけですが、
私は、「仕事」に必要なものが何なのかがわかったような気がします。

前の職場で、取締役が「レンガ職人」の話をしてくれました。
2人のレンガ職人がいて、同じ作業をしているのですが、
Aさんは、「ただレンガを積んでいる」と思っていて、
Bさんは、「自分がレンガを積むことで教会が建つのだ」とうきうきしている。
どちらの方が作業が早いかは言うまでもない。

自分の仕事が何につながっているのかを知らされている、
あるいは自分でそれを見出す、
そして、それと自分の行く先を重ね合わせることができないと、
その仕事に対する情熱は沸きません。
どんな仕事も地道な作業の連続で、コツコツ積み上げていかなければならない。

どんなに夢だった職業でも、その一部の姿の裏には地を這うような作業がある。
それを体感したような気がしています。

今の仕事は、閉じこもって作業することもあれば、外で発表することもありますが、
大半はパソコンの前でガリガリと情報収集とまとめと資料つくりをしています。
でも、私は、自分のやっている作業が何につながっていくのか、
毎日実感しながら仕事をしている感覚を持てています。

では前の仕事ではそれが全くなかったのかと言えば、そうでもない。
あぁ私の作ったものがこうやって世に出ていくんだなぁという嬉しさを、
最初の頃は感じて、うきうきしていた。
いつしかそれを感じる機会は少なくなり、
一大プロジェクトが終わって達成感があっても、強くは感じなくなった。

一体なにが違うんだろうか。

考えてみると、例えばお客さんとのやり取りの中で
それを明確化・共有して進めているような気もするし、
上司や先輩と必ず「これをこういう方向に持っていくんだ」という話をしているような気もする。
社内ではコミュニケーション不足が問題化されているけれど、
こういった最低限の意思共有は行われているような気がする。

じゃあ前の職業ではそれはなかったのか。
そうでもない。
そういう未来の目標を持っている人もいたし、そんな話を一緒にしたこともあった。
でも、自分の仕事は重度にルーティンワーク化している気がしていた。
自分の作業に未来を重ねることができなかったのだ。

今の職場でも、この人はルーティンワークとして仕事をしているんだな、
と感じる人はいる。
どこにでもいる、そんな人。
最初はみんな物珍しい新しい仕事のことを、面白いと思うんだろう。
そしてそれが次第に「ただの事務的作業」になっていくのだ。

お休みになった今、これから先今の仕事も「事務的作業」になっていくんだろうか、
と考えてみる。
ある程度はなるんだろうと思う。
だが、前と違うところは、自分に課せられている役割が明確化されていて、
それを自由にやらせてもらっていて、
自分の提言に対して直球や変化球のボールとして返ってくるところだ。
それが続く限りは完全な事務作業化はしないだろうし、させたくないから、続けたい。

それはなぜか。
ミクロの作業がマクロにつながっていることを、
今年やった2本の大きな仕事の中で体験したからだ。
一つの企業について調べていくと、その企業についてよくわかる。
同じ業界の別の企業をもう二つくらい調べると、その業界についてよくわかる。
そして、違う業界だけど関連する企業について調べていくと、その国の特徴がわかる。
さらに、他国の同じ業界について調べていくと、世界的な潮流がわかる。

非常に勉強になった。
あぁ、世の中ってそういうシステムになってたんだ、と面白くなった。
自分が調べたミクロ単位のちっちゃい情報が、実は巨大な流れの中のほんの一部。
目に見えないうねりみたいなものが、時系列に並べた情報の中から見えてきて、
そして自分が調べたちっちゃな情報に行き着いた時、
鳥肌が立った。

たぶん、自分にはこういうのが向いてるんだろうな、と思って転職したわけだけど、
本当に当たっていたと思って嬉しくなって、
パソコンの前で一人ブツブツ「おもしろいなぁー」「へぇ〜」と言いながら作業をした。
相当変な人だと思われたと思うが、全身で嬉しかったのだ。

転職活動時に、学生時代に好きだったことまでさかのぼって自己分析しなおした。
モノづくりの最初の段階である調査・分析のフェーズが大好きだった。
最初の会社でやった競合他社分析の作業が楽しくて、上司に止められるまでやっていた。
それらを思い出したのが良かったんだろうと思う。

企業で働くと言うことは、一つの歯車になることに違いはない。
でも、自分の好奇心や好きなこと、将来の目的が、
仕事の目的と重なったら、これほど相性の良いことはないかもしれない。
一時期、私は会社と言う組織に向かないかも、とまで思っていたが、
今は、一つの歯車を全力で動かして、
機械全部が動き出すのをじっくり楽しんでもいいなと思っている。

そしてそのうち、豆粒くらいの自分がひとり立ちして、
機械を外から動かすようなことをしたい。

前の会社でとある先輩社員が言っていた言葉がある。
「小さな仕事ほど丁寧にやれ」
この意義がようやくわかった今は、
ひとり立ちしてもミクロな仕事をマクロ化していく作業を楽しめるように、
今は地道にがんばろうと思う。

仕事も、もちろん、創作も。

道のりが長いことは判っているが、道中を楽しむ術は見つけた気がする。

これが、2007年の私の収穫だ。

Posted by fre9 at 00:44 | Comments (0)

One Kiss One Drink

こういう施策、いいんじゃないかと思います。

■情熱カップルバーガー
http://www.j-cast.com/mono/2007/12/20014786.html

店員の目の前(というより、店員+他のお客さんの前)でキスをすると、
1ドリンクサービスらしいです。
自分がやるかどうかは別として、これってとても「John&Yoko」的だと思えました。

この施策を実際盛り上げていくためには、
ぜひとも店員さん全員でその場を盛り上げてくれないと、やりづらいでしょうね。
その場のノリ、みたいなのが関係するし、まじまじと見られたら困ってしまいます。
店全体で拍手するくらいの盛り上がりがあれば、やる人は多いんじゃないかと。

私の場合、友達同士だったら絶対やりますね。
そういうノリ大丈夫な友人(もちろん女の子)は多いので。

で、スマイルバーガーというのを調べてみた。
京都市内に3店舗しかない!
売切れ次第終了らしい!
そして、定休日は火曜日らしい!(なぜ火曜日??)

■スマイルバーガー Webサイト
http://www.smileburger.com/index2.html

ターゲットは「味のわかる大人」。
「味のわかる子供」もOKとのこと。

良いですね、この京都っぽいスタンス。
私が好きなスタンスです。
思わず笑ってしまう感じの動きのあるサイトといい、
スマイルバーガーというシンプルな名前といい、
ブランド全体にかわいらしさがありますね。
大量のマスが対象なのか、ニッチ路線なのか、
という二極分化が言われているマーケティングの分野で、
このスマイルバーガーの歩んでいる姿勢はすごくシンプルな部分を突いていて、
こうでなくては!と思わせるものがあると思います。
そうなんですよ、どこかがスマイル0円とか言ってるように、
おいしいものは楽しく食べたいわけなんですよ。
それを頭に置いてこのお店を見てみると、楽しそうじゃん、ここ。
会社が楽しんでいる雰囲気があります。

京都に行ったらぜひ立ち寄りたいです。
というか、このためだけに京都行ってもいいです。

あぁ、京都行きたくなってきた。

Posted by fre9 at 00:25 | Comments (0)

2007年12月29日

花束・HANA-TABA

これは、私の趣味です。
これは、私のこだわりです。
これは、私のチェックポイントです。

花束を誰かに渡すということは、とても難しいお題だと私は思っています。
(注:送別会など儀礼的な場を除く)
なぜなら、相手がその花を好きじゃないかもしれないし、
綺麗に咲いてくれるか分からないし、
お手入れや枯れてしまった後のことまで考えると、
下手にできません。
でも、それでも花束を渡したい時はあるものです。
それでも花束を渡そうという気になるところからして、まずハードルが高いのです。

そして、花束を選ぶ時は、何よりもセンスが問われます。
これが、またさらにハードルを高くしています。
明るい雰囲気の人に紫のバラを渡すのはちょっとセンスがない。
このように、あげる人のイメージにあった花のコーディネート力が必要です。
そして、暖色系でそろえるとか、寒色で統一するとか、
そうした配色のセンスも必要です。

それから、渡し方も知恵の出しどころで、
あまりにキザに渡されても、もの凄い引きますし、
あまりにあっさり渡されるのも、味気ない気がします。
やっぱり、こっそり渡すのが一番ですね、私的には。
例えば友人のコンサートに行ったときに、楽屋に花束を届けておくとか、
そういうさりげない渡し方が、もらった方も余韻に浸ることができて良いのではと思います。

要するに、私は花束の渡し方の美学みたいなものを持っている人が、
何にも増して大好きである、ということです。
しびれてしまいます。
やられた!みたいな演出ができる人、良いですね。
やみくもにアクセサリーを渡すような人より、絶対良いですね。
再び脱線しますが、アクセサリーには諸々こだわりがあって、
絶対にこれをいつか買ってやる、みたいな目標があるわけです。
物欲的で申し訳ないが、私はいつかブルガリの?円の腕時計を身に着けたいのです。
なぜブルガリか?
私にとって、ブルガリはこだわり抜いたデザイン性を持つブランドであるからです。
昔からある形だけどデザインが気に入っている時計があって、
(ちなみに名称が分からないけど実物を見ればたぶん判る)
それだけでいいから身に着けたい、という夢を昔から持っているわけです。
そして、ブルガリの時計を身に着けるに足る人間になろうと密かに思ってます。
(もはや密かじゃありませんが・・・)
そんな訳なので、買い物に行った際にブルガリの店を見つけると、
ショーウィンドウに飾られている時計をひたすら眺めて、毎回大分怪しまれております。
まだ、ぺぇぺぇの社会人の私には手が出せないお値段です。(ていうか、絶対無理)


だいぶ話が脱線しましたが、本題。

花束をもらいました。
私の大好きな赤いバラです。
30歳の誕生日にプレゼントもらうとしたら真紅のバラ30本を希望する、
と公言しているくらい、好きです。

そんなわけで、お部屋に飾りました。
本邦初公開、fre9部屋窓際(with微妙に色が抜け落ちた防火カーテン。)

071228_231143_M.jpg

花の左後ろに密かに、でもしっかりと写っているのは、
何を隠そうFreddieの顔写真です。
つまり、この写真はFreddieとバラの2ショットです。

ちなみに、Freddie Mercuryローズという銘柄があるらしいのですが、
ロンドンで見つけることはできませんでした。
何色なんだろうか。

まとまりが悪いですが、お部屋に飾ったよ的なことを言いたかっただけです。
そして、花束を渡すと言う行為について考えてみた。
このHANA-TABAという言葉、
なんとなくモデリングの考え方に生かせそうな気がしてきたが、
それはまた別の話。

あと1週間はがんばってくれ、バラたちよ。。。(見守り主より)

Posted by fre9 at 01:24 | Comments (0)

2007年12月27日

絶対神と相対神と相対的絶対神

ここ数日で考えていたことをまとめる。

人間関係について考える時に、
それを「神」といわれる存在と人間の関係性に置き換えて考えてみる、
と言う試みを、何度となくしていた。

世界の宗教文化の中には、絶対神のいる国と、絶対神のいない国がある。
絶対神のいない国とは、すなわち相対的評価を自己の評価軸とする国のことであり、
その軸のことを「相対神」と呼ぶ人もいる。
私もここではそれを踏襲しようと思っている。

その上で、絶対神と人間とのかかわりに近い人間関係図を「絶対神的関係」、
相対神と人間の関係性に近い図式を「相対神的関係」とここでは呼ぶ。

では、まず「絶対神的関係」とはなにか。
これは、幼児にとっての「社会的存在」である保護者との関係性である。
保育園、幼稚園に行く前の状態では、相対を知らないため、
幼児の世界には絶対神が存在する。それが、親を含めた保護者である。

個人的にはこの数年間の間に絶対神が絶対的存在である、といかに思わしめるかによって、
その後の子供の人生はは変化するのではないかと思っている。
絶対神への全幅の信頼が正しいとは思わない。
子供にとって、絶対神が「不安を与える人」であるのか、
「安心を与える人=絶対的存在」であるのか、
ここの度合いがどちらに傾いているかによって、
その後、どのような人間関係を築いていくかということに繋がっていく気がするし、
実際そうなんだろうと思う。

それは、社会的な場に出て「相対神」の存在を知ったとき、
それまでいた「絶対神」はだんだん「相対神」へと変化していくことになるからだ。
絶対神の絶対度が高ければ高いほど、その変化は緩やかである可能性は高い。
途中途中の出来事によって、加速度が上がることもあれば、戻ることもあるだろう。
社会において、絶対神的存在となりうるのは身近な例では教師であるが、
この存在に関しても、ほぼ同様のことが言えるはずである。

また、相対神中心の世界でいきるようになったとしても、
それで「絶対的存在」がいなくなってしまうかといえばそうでもない。
数ある相対神(友人たち、教師、親、彼氏/彼女、知り合い etc...)のなかで、
もっとも重要視する「相対的絶対」に値する存在が生まれてくる。
この「相対的絶対」という位置づけは、
相対神の世界における人間関係の中から、作られていくものである。

ここまでのことをまとめると、
誰かにとって絶対的存在であった絶対神は、相対神へと変化を遂げ、
再び「相対的絶対」神へと進化していくということである。
そして、友人や彼氏/彼女など、相対神としてスタートした関係の中から、
「相対的絶対」へと進化するものもいるということだ。

この相対的絶対神の存在を自覚した時に気をつけなければならないのは、
その対象が「絶対的存在」になってはいないか、ということである。
相対評価の中から生まれる絶対的存在ではなく、
単なる絶対評価のみの判断による絶対的存在になってはいないか。

これは友人関係、彼氏/彼女同士に代表される「相対的関係からスタートした関係」
において、発生しがちなことである。
対象が「相対的に見て絶対である」という感覚を、単なる「絶対的存在」と感じ、
それが故に、自己の相対的評価軸が失われ、
対象と自己の関係性が、「絶対か否か」という2極で語られるようになる。
こうなると、いわゆる「仕事とわたしとどっちが大事なの!」的発言や、
「彼のために尽くし通すわ!」的言動が発生し、
周囲から見ると理解のしがたい会話が続くこととなる。
そして、「絶対的存在」がある時ふっといなくなった瞬間や、
相対神の世界に引き戻された瞬間に、
対象と自己の絶対的関係に気がつき、破壊するケースが多い。

この破壊は、結局は、「相対神」の世界では存在し得ない「絶対的存在」を
信じ込もうとしたから起こることである。
絶対神の世界は、対象と自己という直線の関係でしかないが、
相対神の世界は、くもの巣よりも複雑な網目の関係である。
自己の評価軸は複数ありそれぞれに対して対象が違うからだ。
だから、直線だけの関係というのはあり得ない。

相対的絶対の判断基準は様々あるだろうが、
一つ、自分の評価軸に一番アクセスしている対象が、相対的絶対になる可能性は高いと思う。

以上のことをまとめると、
人間同士の関係性は相対的関係であり、
相対神の世界にいくためにまず絶対神の存在を知り、
相対的存在の中にいるときに、己の中の絶対的評価軸に気がついていく。

ということである。
論点がずれそうなのでコノヘンでおわりにする。(眠いだけ)

Posted by fre9 at 01:32 | Comments (0)

2007年12月26日

メガマック初挑戦

世の中、メガ○○とやらと、超高級□□とやらに二極分化が進む昨今、
いわゆる高級品にあまり興味の沸かない私は、メガ○○の方にトライしてみました。

というわけで、このエントリーは「メガタマゴを喰らうの巻」。

そうです。「食べる」じゃなくて、「喰らう」です。
メガ○○とやらは、「食べる」っていうか、「喰らう」だろ、と個人的に思ってます。
メガ牛丼はあまり「喰らい」たくないですが、メガマックならいいかな、と実は思ってました。

そんな私の秘めたる願望を知ってか知らずか、
24日という日に、メガマックへの挑戦を一緒にすることに!

今年はメガタマゴとメガトマトの2種類出てますが、
これ、どう考えてもメガタマゴのほうがおトクなんじゃないかと思うのは私だけですか。
そんなわけで、挑戦するのはメガタマゴにしました。

かつてメガ牛丼にトライしたことのある某氏曰く、
「食べてるうちにだいぶ味に飽きた」らしいのですが、
そこはさすがマック。飽きはこさせなかった。
ただ、喰らっているうちにバンズの部分がどんどん減っていって、
最後は「大きな肉とちっちゃいパン」状態で、きれいに喰らいきるのが苦しかった。

予測はしてましたが、そこまで「メガ!!」というインパクトはありませんでした。
でも、ポテトフライはNo thanksという感じの量。

前の会社で、とある先輩社員Xが、
「ヒトはマックのハンバーガーを何個食べることができるのか?」
という挑戦をやって、後輩fre9は、一緒に観覧する先輩と賭けをしたのですが、
(今考えてもひどい後輩ですね 笑)
きっと、この先輩なら、メガタマゴ最低5個は喰らってくれるでしょう・・・
と期待しております。


気分的にジャンクな時には、
たまにマックのフライポテトMサイズを喰らうこともあるのですが、
たまには趣向を変えてメガタマゴにしてみてもいいですね。

ふと想像してみる。
マックで一人メガタマゴを喰らうやさぐれ女・・・

間違いなく最終手段ですね。

Posted by fre9 at 01:17 | Comments (0)

恒例・クリスマスギフトの闘い

この時期、毎年、自分の計画性のなさを嘆きます。
12月に入ったらもう発送しておくべきなのに、
いつも20日を過ぎてしまいます。

ザ・クリスマスギフト海外発送。
But!クリスマスに間に合ったことは過去1回しかない(自慢にならん)

今年もカナダとドイツに送りました。
1週間でギフトを集め、英語でお手紙を書き、梱包をし、郵便局に走りました。

今年のテーマは「FUROSHIKI」です。
ジャパニーズトラディショナルラッピングクロスウィッチフェイマスフォー”エコグッズ”
ということで紹介してみました。
How to use Furoshiki?という環境省が出している英語のページのコピーも添えて。
さすがに、”何とか包み”とか使用方法を訳すのは無理だった。。。

あとは定番の日本食とジャパニーズコンテンポラリーカルチャーグッズ。
手紙は徹夜でモーレツに書き、カードを装飾。

ここまでは例年通り。

今年は、新たに郵便局のおっちゃんとの闘いをやってしまいました。

丸の内の本局にやたら目立つ黄色いクッション封筒を持ち込んで、
「これ、ドイツ!」
と言ったところ、郵便局のおじさんは言いました。

「あぁー、今年からドイツ厳しくなったのよね。お菓子入ってます?
(国際宅急便の内容書類を見て)あぁ入ってますね。じゃあ抜いてください」

はぁぁ??
聞いてない。。。(ネットに実は書いてあったらしい・・・)

絶対に梱包を解きたくない私は言いました。
「この国際郵便の書類にチョコレートって書いちゃいましたけど、
ここ文字だけ消してごまかすってナシですか?」
「どうせX線入っちゃえば同じですから」
「・・・(反論できず)」
「ということで、今ここで抜いちゃってください」
「はい・・・涙」

泣く泣く梱包を解き、せっかく入れたチョコレートを取り出しました。
念のため言っておきますが、これは国際宅急便のEMSというルートでの話で、
国際小包って形にすれば食べ物は問題なく送れます。
私はとりあえず年内に到着を目指していたので、待ってる時間はありませんでしたが。

で、カナダに送るのはその日は諦めました。
ドイツでこの厳しさなら、一番厳戒なカナダは推して知るべしだ。
荷物が膨大すぎて梱包を今やり直すのは無理だな。。。と思ったからです。

でもその日の夜、私はふと思いました。

「いやいやいや、カナダには、去年書類を4つも書かされたけど、食べ物送れたぞ???」

あくる日、戸塚の郵便局に行ってみました。
内容物の書類に食べ物を記載し、するっと出して、
「これ、カナダのトロント!」と言って見たら、
「はいー、わかりましたー」とあっさりOKされたよ。。。

おいおいおい!おいおいおい!
去年、私は品川の郵便局で30分も拘束されて書類書いて送ったんですよ?
今年、丸の内の郵便局で、カナダより緩いはずのドイツ宛ての荷物、
梱包しなおしたんですよ??
カナダ、一番税関厳しいんじゃなかったでしたっけ??
こんなあっさりとOKされてしまって、いいのかーーーーーーーーーーーーー!!

ま、送る側としてはちゃんと着いてくれさえすればいいですが。

結局は担当者の性質に拠るんじゃないかっていうお話。
ドイツは運が悪かったんだな。

今、わたしの机の上には、ドイツに送れなかったチョコレートが、
さみしそうに、申し訳なさそうに、乗っかっています。

ちゃんと食べてあげるからね・・・

Posted by fre9 at 00:39 | Comments (0)

2007年12月25日

新鮮なことば

言葉が花のようなものだ、と位置づけると、
言葉は新鮮なうちに解き放っておきたいものだ。

言葉がウイスキーのようなものだと位置づけると、
言葉は熟成させてから瓶に詰めておきたいものとなる。

今日はたくさん書きたいことがあるけれど、
今ここで解き放ってしまうにはもったいないことばかりなので、
今夜は大事に仕舞っておこうかと思います。

が、忘れてしまうと困るので、ちとメモはしておこうと。

・写真美術館の3つの展示
・メガマック初挑戦(メガタマゴ)
・ICC
・Peace Bed The U.S. vs John Lennon
・花束 > ふつうの贈り物 という私の価値観


時間をかけて書こうと思います。

Posted by fre9 at 01:04 | Comments (0)

2007年12月21日

アクロバティック入浴法

いつもの量がいきなり半分になると物足りなく感じるが、
いつもの 1/3 の量から半分の量に増えると、半分でも満足する。

ということを、身を持って体験してみました。

さきほど、お風呂に入ろうとしたところ、風呂釜にお湯が入っていなかった!
すでに頭からシャワーをかけてしまった後だったので後戻りができず、
全身ずぶぬれのままお湯が入るのをじっと待つことに。。。

無茶苦茶寒い・・・

やばい、また風邪を引いてしまう、と思い、
15センチくらいお湯が溜まったところで入ってみる。
足の一部と腰がやっと浸かる程度。
まだまだ寒い。
せめて肩だけでもお湯に入れてやる。
ということで、約50×100センチくらいの(たぶん一般的な)底面に横になってみた。
身体の調度横半分がお湯に浸かった。
それから上半身をねじり、足の方向もちょっと変えて、
ようやく両肩と片足をお湯に入れることができました。

そんな、中国雑技団並のアクロバティックな体勢(見方によっては痛そうな体勢とも言う)で、
しばし、お湯が増えていくのを待つ。
じわじわ、じわじわ、と、温かいお湯が冷たい身体を包み込んでいくその過程が、
なんだかやたら快感だったのだが(そんなフェチはあるのか?)、
体勢も楽にできるくらいになったところで一度立ち上がって湯量を確認してみたら、
いつもの半分くらいの量だった。

おやおや。
「もう十分かも」と思ったですよ。

十分温かかったし、温まれました。
じゃあいつもの量は多すぎたのか。
今日の体験から言うときっとそういうことなんだろうと思うが、
それで明日お湯の量を半分にするとすごい惨めな気持ちになるに違いない。
だって、私はいつもの湯量を知ってしまっているからだ。

とすると、これは逆の方向からいけば惨めにならなくて済むんじゃないだろうか、と思う。

環境問題にしても、何かの無駄遣い対策にしても、
「節約するぜ!オー!」というノリでいきなり半分にすると、気持ちが折れてしまう。
一度 1/3 くらいまで減らしてみて「半分の有難さ」みたいなのを感じると、
半分で満足感を感じられる。
そうすると長続きするんじゃないですかね。。。
と思った。

きっとこれはいろんなことに当てはまる気がします。
珍しく良いことに気がついた気がするね。よかったよかった。

それはよかったんだが、身体をアクロバティックにひねりすぎて、
腰と首が痛いです。
お風呂に入った意味がない・・・

Posted by fre9 at 01:14 | Comments (2)

2007年12月20日

UFO論争と妄想の産物

UFO論争が巻き起こっている。

内閣での議論にまで発展したこのUFO論争の中身はこんなものだ。
UFOは本当に存在するのか、そうでないのか。
もし実在して遭遇したら、どうするのか。
UFOの存在を確認する国家機関を立ち上げるのか、そうでないのか。
UFOのために、人類は滅亡してしまうのか・・・?

この議論、「鶏が先か卵が先か」の論争よりも、
次元のぶっとんだ堂々巡りになっている。

そもそも、UFOと言うもの自体が「未確認飛行物体」なのであるから、
「未確認」のものを確認しようとしていることに、まず矛盾がある。
「確認されうる形態のもの」を「確認」できて、初めて「確認済み」となるのではないか?
そして、「未確認の物体」を「確認」するためには、
何かしらの手段で「確認されうる形態のもの」に変換されていなければならないが、
「確認されうる形態のもの」に変換するのは我々人類ではない。
どこか宇宙の彼方なのか、地下深くからなのか、判らないが、
その術を持った「未確認の何かor誰か」が変換作業をしたものを、
我々人類は「確認する」わけである。
しかも、その「未確認の何かor誰か」さえも、「確認」できる存在なのかどうかが不確かだ。

また、変換されたものを「確認」したその時点で、
初めて「未確認の物体」⇒「確認された物体」になるわけだが、
何かしらの定義づけが必要となってきても、変換言語を持たない我々にとっては、
おそらくその時点でも「未確認」のものでしかなく、
結局、「確認」したとしても、「未確認」のままで終わるという矛盾が生じる。

つまり、「未確認の物体」を「確認」する行為は(言葉の論理だけで考えれば)
不可能なのであり、
それは頭の中で論理矛盾があっても完結できてしまう妄想の域を超えない。

そう考えると、「未確認の物体」を「確認」するための国家機関を立ち上げる、
ということは、国家による一大妄想プロジェクトを大々的にやろうと言っているようなものである。
さらに言えば、「未確認飛行物体に攻撃された場合」についてのシミュレーションそのものは、
・「未確認な物体」を「確認」できるかどうかの不確かさ
・「未確認な物体」が「攻撃してきていること」を「確認」できるかどうかの不確かさ
この2つ(あるいはそれ以上)の不確かさは確実に存在することから考えても、
「国家による、やたら規模のでかい妄想」だとしか思えない。
この攻撃に対するシミュレーションには、NASAや何かが絡んでいて、
武力攻撃もいとわないなどとまで言っている。
スターウォーズのような世界を本気でやろうとしているのだ。
自分たちが恐ろしいことを言っているとなぜ気がつかないのか。

もしもこの妄想を具現化していくとして、結果として妄想に過ぎなかったとしたら・・・
一つの真実だけは、証明されるかもしれない。

人類は自らの妄想によって絶滅した、と。

妄想に使われた人々の血税
妄想によって引き起こされた、人間の人間に対する妄想
妄想に振り回された人類のパニック
妄想によって押されてしまった核爆弾のスイッチ

全てが目に見えないチリのように散ってしまった時、
皮肉にも人類が妄想によって絶滅したと証明できる人類は、いない。
つまり、人類そのものが「未確認の物体」として葬られてしまうことになるわけだ。

このもの凄い矛盾した構造。
UFO論争について考え出すときりがなく、幾通りにも結論はでるけれど、
この一番矛盾している結末が私は一番好きである。

と、書いてみたのだが、一言だけ、最後に言っておく。

「だけど、私は宇宙人の存在は信じる」

どんなに気持ち悪い形をしていてもいいから、
一生のうちに遭遇できるものなら遭遇してみたいです。


以上。

Posted by fre9 at 01:42 | Comments (0)

病は後からやってくる

1ヵ月も風邪を引き続けました。
生まれて初めて扁桃腺が腫れる、という経験をしました。
体調崩しすぎて、耳も聴こえなくなりました。(現在は復活)

なんでだろうと思っていたら、
単純に体力がもの凄い落ちていることに気がついて、
さらになんでだろうと考えていたら、
ちょうど1年くらい前からの自分の食生活や睡眠不足、疲労などが原因なんじゃないかと思い始め、
たぶん、それはきっと当たっていると確認しています。

酷い時は1日1.5食くらいの食事で、
酷い時は1日3時間以下の睡眠で、
週末は歩いていた時間よりも寝ていた時間の方が長かった。
あと、公私共々、もの凄い精神ストレスがあった。

それが半年後、こんな形で現れてくるとは・・・
まぁ判っていたことなんだけど、予想外に酷くてショックでした。
あるお医者さんが、
「一年前、十年前の生活が後々の病気につながるんですよ」
と言っていたのは、正しかった・・・

先生のおっしゃるとおりです。

心臓痛くなったぐらいから危機感を持ち始めたけれど、
fre9、もう、完全に心を入れ替えました。

最近は、忙しくてお弁当を買うことになっても、
ナチュラルローソンで温野菜かサラダを買って、魚系のお弁当を食べてます。
外で食べる時も、基本野菜と魚系を心がけて、
毎日、チーズとみかん食べてます。
最低限、これだけは貫きます。

それから、ストレス溜まっても、スナック菓子を夜中に食べることはもうしません。
甘いものを食べ過ぎたと思ったら、翌日は控えめにします。

寝られる時にはちゃんと寝ます。
でも、それがストレスになってしまうようなとき(期限前とか)は、
思い切りやってストレス溜めないようにします。

10年後に後悔しないために。
がんばります。

Posted by fre9 at 01:23 | Comments (2)

2007年12月11日

通のことば 音楽用語総まとめ

醤油を「むらさき」
番茶を「あがり」
これはわりとメジャーだとしても、
オケ語(オーケストラ語)もしくは音楽用語は、
あまりメジャーではないんじゃないかと思われる。
学校で聴いた覚えはあっても、すぐに一時記憶から消え去る類の情報だったことだろうと。

で、ちょっと整理してみたくなった。
まず、オケとはオーケストラのことで、
オーケストラピットのことは「オケピ」(これは分かるか)
本番当日に舞台に上がる人のことを「板付き」あるいは「板に乗る」

我がオケの元プロの人々は、時々、「族」をつけてパートを呼びたがる。
例えば、「オリン族」
これは、「バイオリン族⇒オリン族」となったらしい。
ある時、バイオリンパートの分量の多さに絶句していたfre9は、
師匠に「オリン族は(いつも沢山弾く箇所があって)大変ね」
と声をかけられた。
「?」と思い、
「最近何か紛争でもありましたっけ?」とマジメに聞き返して苦笑された。

わからんですって、、、オリンなんて、オリンなんて。。。
じゃあ、ビオラは?チェロは?なんと呼ぶんじゃ・・・
ちなみに、チェロとコントラバスはまとめて、「チェロバス」と呼ばれることがあります。
「ネコバス」みたいですね。

あと、板に乗る人数が足りない時に呼ぶエキストラのことは、「トラ」
「トラ」をさらっとできる人ってまじカッコイイ。
私は頼まれても、まじ必死ですから。。。

作曲家で言うと、チャイコフスキーは「チャイコ」と呼ぶくらいか。

曲目はわりと略称とか愛称がいろいろあって、
ベートーベン交響曲第5番は「運命」というのはあまりに有名だし、
同9番は「第九」というのはメジャーである。
他に、イタリア奇想曲を「イタ奇」と呼んだり、
バッハの2台のバイオリンのための協奏曲は通称「ドッペルコンチェルト」
あるいは「ドッペル」 (アクセントはルに置きます)
それから、「主よ人の望みの喜びよ」は「主よ」で通じるし、
有名なG線上のアリアは「G線」

ちなみに、音楽用語において、全てアルファベットは基本ドイツ語読みだから、
アーベーツェーデーエーエフゲー
AとEが間違いやすいところです。(間違うのは私だけだろ、っていう突っ込み)
だって、Eをエーと読むんだから混乱するでしょう。。。(⇒きっと私だけ)
音楽の教科書や、教本の製作者に言いたいことは、
英語、ドイツ語、日本語の古語をごちゃまぜにして音階表つくってくれるな、
ということです。
英語ではエービーシーディーイーエフジー
日本語、イロハニホヘトですからね。。。

そして、英語発音のドレミファソラシドの通りに音階表を作ると、
ドイツ語 ツェーデーエーエフゲーアーベー
英語   シーディーイーエフジーエービー
日本語  ハニホヘトイロ
これに、長調だったらMajor 、短調だったらMinor
シャープは嬰、フラットは変
もう、何ヶ国語か分からんほどちゃんぽんで、お手上げだぞ!!

が、つい最近知った呼び名で、突っ込みどころ満載の名前があったので、紹介する。
それは、「青ダニ」

「来週は青ダニだそうです」
とこの前オケメンバーからメールが来たとき、
全く意味が分からず、
「なんなんだ、この痒そうな名前は・・・楽譜にカビでも生えたのか?」
と思いつつ、検索してみると、うじゃうじゃ出てきた

正解は、「美しく青きドナウ」
お正月に必ず流れるあの優雅な曲ですね。
なにやら、本場ではドナウ川のことを「ダニューブ」と発音するらしく
そこからきているらしい。

でも、日本語的には、あまり美しくない名前かと。。
なにしろ、ダニですからね。
痒い、ホコリまみれ、湿ってる・・・しかも青いダニ!?
そんなグロテスクなイメージと、あの曲のゆったりした曲調は合わんだろう!!

と常々思ってるんですが、
アマ+元プロ=セミプロ みたいなプライドがある(らしい)オケなので、
呼び名はみなさん相当こだわっていらっしゃる。
趣味で19年間バイオリンとつきあってる人ですけど、
所詮下っ端なので、時々おじさま・おばさまのこだわりに混乱しとります。

っていうか、、、来年で20年もバイオリンやってることになるのか!?
やばい・・・
やばいよ・・・
恥ずかしくて言えないよ・・・

曲の速い部分はすっとばしてごまかしてますなんて、言えないよ・・・

高音の部分?そりゃ勢いで弾くしかないでしょ!なんて、言えないよ・・・

ヘ音記号とハ音記号は、ト音記号に変換しないと弾けませんなんて、言えないよ・・・


練習すればすぐ覚えられる話なので、「やれ」という話ではある。
やれやれ。

Posted by fre9 at 01:43 | Comments (0)

2007年12月10日

リズム感

色々なオケ(プロ・アマチュア含む)を聴いてみて思うこと。

オケにおいて、ティンパニ(打楽器兼務の場合も然り)のリズム感は非常に大事だ。

管楽器、木管、弦、いろいろパートはあって、
それぞれソロの部分もあるから間違えられないのは同じだ。
でも間違ってもそれは観客に「あっ」と思われて恥ずかしかったり、情けなかったり、
その傍ら、みんなが助けてくれる。
そんな救いがある。(とはいえ、プロはそれ以前の話になってしまうわけだが)

でも、、、リズムの土台を築くティンパニが遅れ気味だったり間違ったりすると、
オケは崩壊する。
かろうじて崩壊は免れても、大混乱が起きる。
おろおろおろ。
一気に収集がつかなくなる。

ロックバンドでも、ドラムスは重要だ。
派手なパフォーマンスはなくても、
メトロノームのようにきっちりリズムを叩き、
ボーカル、ギター、ベースをまとめていく中枢はドラムスだと思う。

なぜなら、リズムは、音楽の要素でもっとも、重要な要素だと私は思っているからだ。

よくテンポを間違えている私には言える筋合いはあまりないわけだが、
今実感している。

じゃあ、メトロノームでやればいいじゃないの、と思う人もいるかもしれないが、
そこはやっぱり人間の表現力同士の化学変化の方が魅力的なのもあり、
今のところ、機械にその代役はできないだろうなと思う。

でも、将来、ロボットの学習機能が究極に発達して、
画一的ではなく、指揮者の味まで表現可能な力量を持ったロボットオケができたら、
聴きに行ってみたいとは思っている。

生きてるうちにできちゃうんだろうか。

Posted by fre9 at 03:45 | Comments (0)

2007年12月07日

ルー語に変換されたfre9ブログ

また風邪でぶっ倒れて(何回倒れてんだ・・・)
ちとヤケになってるので、のっけてやる。
ルー語に変換された我がブログ。

どこまでも、ルー語。
かなしいほど、ルー語。
なんとなく元気になる、ルー語。

http://lou5.jp/?url=http%3A%2F%2Fblog.fre9-is.com

Posted by fre9 at 00:28 | Comments (0)