昨日の会社帰りのお話。
怒涛の勢いで過ぎ去った6月が終わり、
「この1カ月は、一体なんだったんだろうか」と考えながら乗る東海道線。
横浜で思い立って途中下車をする。
そして気がついたらみなとみらい線に乗っていた。
次に気づいたとき、わたしは山下公園にいた。
近くで光るマリンタワーは、3月に見たときの緑色ではなく、
青い色をしていた。
夏仕様ということか。
シンとしている海岸沿い。
大桟橋の方へのんびり歩いていく。
夜22時。歩道を歩くのは地元の人か、ホテルの宿泊客。
そうか、22時って深夜の部類に入るんだな。
いつからか、それが当たり前ではなくなった。
今は日付を越えて1、2時間しないと夜になった実感が沸かない。
横浜を散歩するときには、
いつもこの道から開港広場前を通って日本大通りに出る。
夜、静かな通りを瞑想しながら歩いていると、
どこからか謎の音楽が聴こえてくる。
これを聴くとわたしは安心する。
サンアロハが近づいてきた=開港広場が近づいてきた≒大桟橋が近い!
たまには大桟橋に行ってもいいのかもと思いつつ、
いつも開港資料館方面に横断歩道を渡り、
神奈川県庁の庭にちょろちょろと流れるミニ庭園の水の音を聴く。
誰一人として歩いていない日本大通りを歩いていると、
きっと、100年前もこんな感じの静寂があったんじゃないかな、
と思わずにはいられない。
今日は、開港記念開館経由で関内駅まで行こう。
わたしは途中で道を曲がる。
黄色っぽい街灯に照らされた会館の前では、
なぜか数人の人がせわしなく作業をやっていた。
何か、イベントがあったようだ。
ちょうど一年くらい前に、
ここで横浜で活動を続けるお座敷芸者「京子さん」が出演する公演があった。
例のメリーさん関連のイベントだった。
あの時、一回りもニ回りも年上の方々(・・・)と一緒に歌った
(といってもよく知らないからうにゃうにゃ言っていただけだったのだが)
野毛山節が、なんとなく思い出される。
さて、いつも夜の散歩をすると気がつくことがある。
人通りのない海岸沿いでしばしの思考にふけった後、
同じく人通りのない道を経て駅に近づいてくると感じる、あの気持ち。
安心感という感じでもない。
帰ってきたなぁという気持ちと同時に居心地の悪い感じ。
最近、人ごみに行っていなかったせいもあって、
(夜は人が少ない時間に帰途につくもので。。)
人の沢山いる空間に行くと、人酔いしそうになるくらいびびる。
しかしその実感じているのは、すぐいけば誰かがいる「人のいる安心感」
矛盾しているようだが、
そんなちぐはぐな感情は誰もが腹の底で抱えているんだろうと思う。
歩いている時、オノ・ヨーコとフレディの人生について考えた。
前者は、自分の道を貫いたために一時(現在も)大きな負のエネルギーを喰らった。
後者は、いろいろ複雑すぎて書ききれないが、
紆余曲折を経ても自分のやりたいこと、心地よいことを貫いていたと思うし、
そのために死んだとも言える。
ぐるぐると考え事をめぐらせていたが、
私の人生なんかまだちっぽけなものなのだから、
ここで何が起こっても大したことなんかないんだと思った。
大きな決断をするときには、必ず不安はつきまとう。
でも、私のこの決断なんか、彼ら尊敬すべき人々の大きな決断に比べれば、
まだまだちっぽけだ。
この先、もっと大きい決断を迫られるだろうと思うが、
その時も、「自分がそれで心地よいのか」と言う観点を基本に据えて、
判断できればいい。
再び降ってきた雨に、傘もささず、濡れながら歩いていても、
すっきりしたこの気持ちは、晴天に近いだろうと私は思った。
人生の全てが思い通りにいかないとしても、
自分の意思で未来を選択することはできる。
その結果、誰かを傷つけたり、何かが犠牲となったとしても、
お互い様なんだと私は思う。
私だって、色んな人の決断によって生活が変わったこともあったから。
ただ、一度きりしか生きられなくて、
しかも、いつ死ぬか分からない寿命というものを考えたとき、
私はその時自分が幸せなのかどうかを考えたい。
そして、幸せだと思う道を選びたい。
それは時に苦しい方の選択であったり、あるいは妥協だったりするかもしれない。
でも、自分が良いと思ったこと、良いと思った人、良いと思ったという事実を、
私は全力で信じたいし、信じられないのならば、それは真ではないのだと思う。
ある人は言った。
「やりたいことがあるのは、素晴らしいことだ」
そうだ。
私にはやりたいことが山ほどある。
時間がいくらあっても足りないほど、やりたいことがあるのだ。
「やりたいこと」が本当にやりたいことであるのかどうか、
それはやってみなければ分からないこともある。
でも一つ言える。
「やりたいこと」と、それを考え付いた自分というものは、
過去の自分がいなければ出てこないということ。
だから過去の自分と、私を支えてくれた人々への気持ちは
とても温かいもので、この先ずっと忘れはしない。
今は自分や相手のことを信じて毎日を過ごすことを考えようと思う。
怒涛の6月が終わろうとしている夜、
パソコンのディスプレイは、曇ってしまっていて、
ゆらゆらとうごめく光の塊のようだった。
あの、黒澤明 「天国と地獄」がドラマ化されるらしい。
黒澤明へのオマージュだという。
役者は、佐藤浩市、鈴木京香、阿部寛という面子。
ふむ、なかなか良いかもしれん、と思っていたが、
一つだけ解せないことがある。
舞台が、横浜から小樽に移されたことだ。
何も、地元から移されたから言っているわけではない。
格差社会を表現するために小樽でのロケを敢行したそうなのだが、
この天国と地獄という映画をただの格差社会のゆがみと捉えているのは、
いかがなものか、と私は言いたい。
確かに、この映画にはいわゆる社会の底辺であえぐ人々がたくさん出てくる。
大金持ちと享楽に耽る愚民と、日々の生活に苦しむ人々と。
そんな人間たちが全員同じ場所で、所詮同じような人間の営みをしている。
なのに、お金を持っているか持っていないか、
あるいはステータスがあるかないかの狭間で
日々、苦しまなければならない社会の矛盾がある。
そしてどうしようもない「欲」がある。
最後まで見れば分かるのだが、
この映画は結局のところ、脆い人間社会を描いたものなのだ。
金持ちの脆さ、自分こそ正義と思っている人の脆さ、
完全犯罪を成し遂げたと思った犯人の脆さ・・・
その脆さは欲の裏返しとして強烈な行動の中に現れる。
その脆さを描くためにこそ、戦後横浜の赤線地帯が舞台として選ばれ、
富と貧困という格差がモデルとして描かれたのだ。
この組み合わせは、黒澤明の時代だったからこそ、
成り立ったものである。
それが現代に通じるとは思っていない。
ただ、小樽という土地を「格差」を描くためだけに選んだとしたら、
それは大きな間違いであると私は述べたい。
理由は上に書いてあるとおりだが、
別に小樽と言う土地が嫌いなのではなく、
そこで、「ちっぽけな人間」を描きる気概を持って企画を練ったようには到底思えず、
「今はやりの格差社会と言う言葉を表現してみる」ために、
天国と地獄というストーリーを借りたようにしか思えないから、ぐだぐだ言っている。
そもそも天国と地獄という話自体、エド・マクベインという海外の作家の作品であり、
黒澤明という人はこれを完全に自分の中で消化して自分のメッセージを込めた。
今回のように、単なるリメークをしたわけではない。
本当に黒澤明へのオマージュにしたいのならば、
黒澤版を単になぞるのではなく、全く新しい切り口の天国と地獄にするべきだ。
単純に「格差」だけ取り上げて何がオマージュか。
この企画、どうも生ぬるい空気がして気に入らない。
と、大分偉そうに言ったので、自分の提案をしてみるとする。
もし、舞台を移す候補を挙げるのであれば私は今の品川は良い候補地だと思う。
開発の進んだ部分と、戦後を引きずった地域が混在しているからだ。
山の手もあり、ビジネス街もある中に、広く括ったアジア人の集う場所がある。
ガード下のラーメン屋街などもストーリー上鍵になる場所となりそうだ。
昔の横浜に代わる場所と言うと、新宿だとか六本木だとかが候補になりそうだが、
私はかえって巨大すぎて違うと思う。
雰囲気的には似ているとは思うが、この2つの土地には、
今も横浜に漂う「微妙な暗さ」がない。
この「微妙な暗さ」というのをもう少し表現してみると、
例えば、飲み会で大騒ぎする人々を遠目から見ている時に感じる、
なんとなくだるい、陰鬱な気分になりかかる、そんな気分的なことに通ずる。
そこでさらに候補地を挙げるとするならば、新橋かと思う。
ガード下もまだ残っているし、煩雑とした通りがあるし、
少し行くとお台場がある。
新橋を歩いていると、なんとなく想起する人物が頭の中にいるのだが、
その人物はなんとなくけだるくて、
なんとなく世の中を斜め30度くらいから見ているような気がする。
ひねくれているようで、矛盾を許容する器も持ち合わせている。
そんな空気。
新橋駅周辺がサラリーマンの街と言われ、私もそれに賛同する理由には、
上のように、
なんとなく社会を斜めから見ておきたいけれど、
「そういうことなんだよね、結局は」と受け入れてしまう「お父さんたち」の
週に一度のつぶやきを感じるからだ。
そして、そういう強さを持ちながらも上司だとか、妻だとか、子供から攻撃されると
何も言えなくなってしまう優しい脆さを感じる。
私はここを舞台に、子供の誘拐ではなく、
大人の誘拐(なのか失踪かもしれないが)をテーマとした、
新しい「天国と地獄」が撮れると思う。
そういう話を読みたい。
格差社会と言う問題だけではなくて、
結局、今の家族や組織というコミュニティに人間がつながっている意味や理由、
そして儚いそれらを維持しようとするがために
どれほどの、馬鹿馬鹿しくも哀しい努力をしなければならないのか、
そういう世界を見たい。
と、ここまで書いたところでふと思った。
書いてみればいいじゃないのよ。
たしかに、そうなんだ。
絶筆してもうすぐ2ヵ月。
そろそろ、思い切り爆発するように書けるくらい、
回復をしたい。
ペアなんとか、っていうのがある。
ペアリング
ペアルック(古・・・)
日本的に言えば、夫婦茶碗?みたいなもの。
要するに、恋人同士、あるいは夫婦でお揃いで持つ何かっていうのが、
世の中にこんなにもあったんだ、っていうのを人生で初めて実感したわけです。
特に、ペアリングなるものが。
我が大親友が今欲しいものは、
「ペアリング!」とのことで、今日一緒にジュエリー売り場を見てみたのです。
一言、カルチャーショックだったわたし。
あ、あそこにある。あれ?あっちにもある。うぉ?ここにもあるじゃん。。。
世の中にはこんなにペアリングなるものがあったのか!!
世の中の一般的な彼氏彼女たちはこんなにペアリングをするものなのか!?
ほんとに??
(傍にはるんるん気分で選ぶ男女二人組みがぞろぞろと・・・)
まじ??
(大親友と顔を見合わせる)
へぇ〜〜〜〜〜〜〜〜・・・・・(妙に納得)
ジュエリー売り場っつうものは、
婚約指輪か結婚指輪か、お洒落用の指輪が売ってるものだと思ってたのに。。。
なんじゃ、ペアリングだらけじゃないか。。。
あの高島屋でさえ、ペアリングだらけさ。。。
なぜ??
季節柄??
それとも、これはカルチャーだったのか!?
今まで自分たちの中にはそんなカルチャーはなかったのだが、
どうやら世の中的にそういう空気はあるらしい、という結論に二人で達し、
「カップル市場って実はすごかったんだねぇ」と、手前の無知を棚に上げ、
まじめにショーケースの中を覗いてみたのだが、、、
なぜにバリエーションが少ないのだ、、、ペアリング。
ゴツイか、結婚指輪チックなものかに二極分化してる。
指輪というものは、つけていて可愛いのが一番だ、
という価値観である私たちにとっては、シンプルすぎるものはお気に召さず。
でも、お飾りはあまりついていないものだったんですね、ペアリング。
(そりゃ、男もつけるわけだから、キラキラ輝くハート型なんか嫌ですよね。)
そんなケチをつけつつも見入る女二人組み。
傍目から見たら、これは・・・ゲイカップルか!?
そんなことはいいと、とりあえずぐるぐる見てみた結果、
私はある結論に至りました。
ペアリングは私は要らんよと。
ペア○○○的なものはあるといいかなとは思うが、リングでなくとも良いや、と。
リングの隣にあったネックレスの方が私は好きだったぞ、と。
なぜなら、、、、、
【結論】ペアリングは他の大多数のカップルたちとかぶるから嫌だ!!
というわけで、「ペアなんとか」に出来そうなものを考えてみた。
アクセサリー(リングは除く)、ペン、時計、おサイフ、ケータイ、服(これは即却下)、
ストラップ、マグカップ、ブックマーク、などなど
あと、本、いいなぁ。(これはペアとは言わない気がするが)
それから、パソコンとかあるといいね(世間一般的にはまずやらないだろう)
楽器もいいな。(出資額がハンパなさそう。。。)
ハガキとかレターセットもいいかもね(とある知り合い夫婦からそういうのが来た)
さて、この中でわたしが「ペアなんとか」にしても良いものは何なのか。
おそらく。
わたしはそのモノの機能がはっきりしているものは「ペアなんとか」にできないと思う。
ペンとか、マグネットとか時計とか、サイフとか、ケータイとかとか。
機能性とデザインへのこだわりが強すぎるので現実的でない。
というわけで、
きっと機能性を追求しなくていいものに落ち着くんであろう。
そうすると、アクセサリーと服?そしてストラップ?本?楽器?
まぁ、この中で服だけは絶対に却下の方向である。
なぜなら、、、
親のペアルックを見て、ドン引きしたからだ。。。
いや分かりますさ、
親たちにもそういう時代があったんだなぁということくらいは。
でも、白いセーターとか黄色いセーターとか、いろいろ同じ色の同じ形のものを着て、
一緒に街中を歩いていたなんて、
想像するだけで背中がかゆくなってきちゃいます。
なので自分には無理とみた。というか、背中がむずがゆいから、やだ。
あからさまなのは、嫌じゃ。
というわけで、機能性は追及せず、あからさまではないもの。が、
fre9的にイケル「ペアなんとか」と成り得るわけだ。
それって、何よ、いったい。。。(議論は続く)
6月、ひさびさのブログ更新。
今月は、心の底からダークでしたので、あえてブログ封印してみました。
やっと、気持ちが明るくなってきて、希望が見えた気がしてきて、
書く気になった。
土曜日は、週末に持ち込んだ仕事を片付けた後、
のんびりと某所から夜景を見られたり、
色んなことを語れたりして、
なんだか、ほのぼのとした幸福な良い日になりました。
そしてその日。
これまでのfre9人生において、初!くらいの勢いの大激震が走ったのでした。
突然飛び込んだ、ニュース速報。
我が大親友、ついに彼氏ゲットしたり!!!
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!
叫びました。
その前からのお話をちらちらと聞いていただけに、
嬉しかった。
ほんとによかった。(涙)
大親友として、応援したいお話だったのと、
なんとなくどうなったのか気になっていたところだったので、
ビッグニュースでした。
告った彼女の勇気にバンザイ三唱です。
(自ら告れる人を尊敬します)
で、日曜日。
ひさびさに横浜に帰ってきた彼女と、約1年ぶりの再会を果たし、
話しまくり、食べまくり、買いまくり(ウィンドウショッピング含む)?
一日が終わったのでした。
いやぁ。。。
良い週末だったです。
リフレッシュ☆
今日、戸塚駅に出たついでに、
再開発で廃墟のようになった商店街を撮影してきました。
仕事のおかげで再開発当日の撮影が叶わなかったため、
もう柵が張り巡らされている状態の、最期の商店街の姿だけでも収めてこようと
デジカメ片手にうろうろしました。
一気には無理なので、少しずつアップしていきます。
戸塚在住の人も、戸塚住人だった人も、戸塚に来たことのある人も、
みなさま、ご覧あれ。
これが入り口とメインストリートです。
旭町通商店街といいます。
「あさひちょうどおりしょうてんがい いつも新鮮な野菜をお届けする○○商店」
的なアナウンスがスピーカーから流れていました。
いつも同じアナウンス。商店街のお店を紹介していたアナウンス。
このたこ焼きの屋台みたいなのがゴォーっという音を立てながら
営業しているのが、わたしにとっての、夕方以降の「戸塚」というイメージ。
屋台の向こうにあるミスドでは、友達とよくお茶をしました。
自分ひとりでもこのミスドはよく利用した。
ミスドから奥の道は、通行止めなので、人一人通っていません。
本当に、廃墟のようです。
上の写真を少しズームアップしてみました。
あまり良く撮れてないですが。
一番手前側には、ジュエリーツツミ。
手前左手の青い看板は、ハリウッド化粧品と書いてあります。
ハリウッドが憧れの時代のネーミングのような気がしてなりません。
右手の青い看板は、ご存知横浜銀行。
一番手前にあるのはユーハイム。
その隣は文明堂、中村屋。
そのお隣に、怪しげな日用品店と、小さな靴屋さんがあり、
fre9父はそこで靴を買っていました。。。(すごい安いやつ)
わたしも高校卒業してすぐのころ、こっそりバイトしようと思って、
バイト先に必要な上履き(懐かしい響き!)をここでこっそり買いました。
今も部屋で眠ってますね。。
その辺が分かるのが次の写真になるかと思います。
道を進んで奥の曲がり角付近にマクドナルド。
その隣の100円ショップは3月に店じまい。
その手前の薬局もなくなりました。
薬局の手前にあったたこ焼き&今川焼き屋さんは、
どこかで商売を続けているようなことが貼り紙に書いてありました。
途中にある時計屋さんで、わたしの愛用品である時差目覚まし時計を買いました。
世界中どこでも使える優れものです。
あと、今川焼き屋さんの向かい側に、リトルマーメイドがあって、
中学生だったころ、わたしのお腹を満たしてくれました。
それから、もう少しいくと、「さいとう」というお肉屋さんがあって、
ここのコロッケはおいしいということで有名でした。
戸塚在住の人は一度は食べたことがあるのでは。
某おじさんもお気に入りだったな、そう言えば。
ここら辺のお店は、仮設店舗ビルの中に入居していると思います。
次は、メインストリートの左となりの通りです。
水色の看板のところが鰻屋さんで、我が家のお気に入りでした。
ここのおじさんにまけてもらうのが私の趣味でした(なんだそりゃ)
ちっちゃいお店だけど、ポイントカードとか頑張ってて、
店頭には水槽をイメージした看板がありました。
次の写真は、上の写真の通りから、商店街方面を写したものです。
右手の白い建物が、戸塚駅。
左手が商店街。古い建物が多いのが分かります。
右奥の焦点部分は、タクシー乗り場です。
今回はこのくらいまでにしておきます。
次回は、メインストリートの右側の通りからレポートします。