ある日の職場での会話。
「fre9ちゃんって何型なの?」
「何型に見えます?」
「んー、、、AB型??」
「え!?ち、、ちがいます」
「じゃあ、B型!」
「実は、違うんですよねー」
「まじで??」
「はい。。。」
「でも、A型には見えないしなぁ。O型でもないよね」
「O型ではないですねぇ・・・」
「じゃあ、A型か・・・」(←ちょっとトーンダウン)
「すいません、、、A型です」(←ちょっと恐縮)
最近、なんとなく、全世界のA型さんに謝りたくなってしまいます。
大学以降、まともに血液型を当てられたことがありません。
多いのは、B型。
最近多いのは、AB型。(←これが意外ですね。)
つい最近、2人の人に言われました。
「ずっとAB型だって信じてたのに・・・」
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、何を期待されていたんだろうか、と。
特に気にしてはいないけど。
とにかく、BもABも、
どっちもA型の特徴ってやつからかけ離れてる血液型やないか!!と。
というわけで、A型に見えないとはっきり言われてしまったA型さんです。
なんでBとかABと思ったのか聴いてみると、
どうやら、A型のステレオタイプとかけ離れてるらしい。
つまり、
・几帳面じゃない
・真面目じゃない
・計画的でない
うわぁ。。。
人として、どうなのよ。。。この評価。。。
「A型」になろうと努力してるんだけどね。
無理ということが分かりました。
A型適性検査、不合格だと思います。
家族には、「A型の突然変異」と言われてひさしいです。
先天的血液型はA型。
後天的血液型は何型なんでしょうか。
そもそも、あまり血液型診断は信じていないが、
でも仕事してると時々感じる、血液型の特徴。
聴いてみると、周りにはやたらA型が多いので、
無理にA型になろうとしなくても良いかなと思っています。
そんな、実は奥底では「A型」の、女。
まったく、わたしって人間は、、、、、
何回浮き沈みをやれば気が済むのか知れないよって感じですが、
ようやく、今までの人生の中で一番、最悪に酷い状況を脱しました。
完全に脱したのか微妙ではあるけれど、
精神的に、だいぶ、だいぶ、軽くなりました。
だいぶ、ぐったりした。。
去年の末からここまで、多くの人を振り回して、時には傷つけ、傷つけられて、
数年分の涙を流して、数年分の毒を吐きました。
人間不信に陥ることもあったけれど、
半狂乱になりかかった極限状態のわたしを受け入れ、支えてくれる人は、
結局だれなのか、どんな人なのか、
そういうことも含めて色々なことを学びました。
人間は結局のところ、孤独だけれど、
孤独と孤独が合わさったり、交わったり、反発しあったりして
孤独なもの同士が融合していけるんだなと思いました。
こんな悟りの境地に至ったのは奇跡に近いです。
モノも喉を通らないし、眠れないし、
精神的に不安定すぎてどん底になったり、急にハイになってみたり、
今思い返すと、
はっきり言って、「迷惑きわまりない壊れた人」だったように思います。
相当心理的に追い詰められていたんだろうなぁ。。。
仕事とのバランスをとろうとして、がんばりすぎて疲れ切ってしまったり、
漠然とした不安を思い巡らせてしまったり。
考えたくないこともたくさん考えました。
それくらいの、強烈な出来事でした。
でも、そんなぱつぱつ状態のわたしを理解してくれた人たちへの、
感謝の気持ちは一生忘れません。ありがとう。
今まで、なんだかんだいって健康体だったわたしと、わたしの家族。
そこに、突如として嵐が吹き荒れた。
しかも、カトリーナ級の。
まさか自分の親が、だれもなんにも知らないうちに病気になっていて、
しかも、それは私たちにとってトラウマのあるもので、
気がついたらいきなり手術しなきゃいけない状況になっていて、
その後はびっくりするほどの速さで退院までの物事が展開していくだなんて、
だれが予想しただろう。
考えてみれば、年を考えたら当たり前に病気になる歳なのかもしれないが、
なにせ元気いっぱいで、病気とは無縁の生活をしていた人だったものだから、
(今、帰ってきて目の前にいても、平気な顔でピンピンしてるし・・・意味分からん)
全員ショックで、
全員が自分のことを責めたり、感情を抑えられなくなって泣いたりして
なにがなんだか、わからなくなった。
でも、時間は刻々とすぎていく。
病気も、時間も、待ってはくれない。
簡単に判断できないことを短時間で一生懸命考えて結論を出さねばならず、
とにかく前に進んでいくしかできなかった。
主治医の言う、あらゆる可能性の、○%という数字が、重たかった。
たとえ小さな数字であっても。
そして、今。
わたしたちは新たな結論を出す時を迎え、いろいろな角度から話し合っている。
タイムリミットは1週間。
でも、不思議なほど、落ち着いて話せるようになった。
わたしも、家族も、
めまぐるしく変化していった現実にようやく追いつき、
全てを受け入れることができる心境になったということだ。
そしてなにより、一区切りを迎えて、
現実に関する情報の全てを手にすることができたことに、
皆、ほっとしている。
病名(っていうか、場所)そして、詳細な分析結果の全て。
量が多すぎてまだ理解できていない部分もありそうだけど、
どういう状況にあるのかが分かったことと、
これから先の生活の見通しがある程度立てられる状況になったことは、良かった。
今月の初めに比べたら、だいぶ、生活は落ち着いて、
また前のような「普段」が戻ってきつつある。
今回のことのために、生活に少し不便があっても、それが日常の一部になった。
これから先のことが不安であっても、
それをかかえながら生きていくのだ、という意識をだいぶ共有できてきた。
まだそんな不安、全てを受け入れることなどできないが、
今、わたしたちはそれを自分たち自身に必死に言い聞かせ、
そして、そのうちそれも日常、あるいは人生の一部になっていくんだろう。
今までの「普段」が大きく変わって、これからの「普段」を作っていく段階に、
今はきているのだ。
新たなるスタートのような気がしている。
これからの「普段」を生きていくために、わたしたちが考えること。
それは、これから出す結論が「正解」なのか否かではない。
それが、これからの生活と人生にとって、「最善」なのかどうなのか、
ということである。
「正解」は、残念ながら医者にも誰にも分からない。
医療が進んでも、治療方法が確立されてきていても、
哀しいことに、100%真実などないし、100%正解はない。
考えてみたら、どんな病気も、治療すれば生存率100%、なんて、ないのだ。
神のみぞ知る、これからの未来。
まさに、Made in Heaven.
だから、「必ず治る。治す。」という信念を、
ぶれないように、気持ちの中心で持ち続けていくしかできない。
これを維持していくのは、とても、難しく、試練となることだ。
でも、これが、一番、大切なことなのだ。
そういう観点から、「今」と「これから」について、
今後も話をしていけたらいいと思う。
そして、「最善」と考えたその時のわたしたちと、未来を信じて、
一歩一歩、焦らず進んでいきたい。
わたしの気持ちも、ここで一区切りをつけられたような気がする。
やっと、周りと周りのやさしさに応えていこうと思えるようになった。
もうすぐ、3月。
春が来る。
かなり壮大な話を考えています。
構成を考えるだけでも大変だ。
これを文章でまとめるのも大変な話だ。
だけど、どうにかして完成させたい、完成させるべき話だから、
がんばる。
いつもの最低枚数と戦うレベルじゃなく、
時間と世界と格闘になる。
だけど、考えていると相当面白い。
こんな世の中になってほしくはないが、
あり得なくもない、近い未来の話。
覚悟で挑みます。
仕事が今ようやく、おわった。
明日とある用事で会社休むのもあって、自宅作業にさせてもらった。
みなさま、ありがとう。
ここでヘタバッテしまうと、多大な迷惑になるため、
なんとしてでも起きてがんばろうと、かけた曲は、エアロスミス。
大音量で、Back in the saddle聴くとすごい。。。
ノリノリで超はかどった。
で、この時間まで粘ったと。
あとは、執筆が待っている。
今はプロットを組み立てていて、
ものすごい妄想がぐるぐるぐるぐる頭の中をめぐっている状態だ。
ねむいけど、たのしい。
あぁ、超ねむい。
わたしにしては珍しく、連続ドラマを観ているわけです。
「華麗なる一族」
なぜか、「華麗ぱん」をノリで買って食べてしまった。
思ったとおり、今までどおりの普通の、カレーパンだったんだが。。。
このドラマは、一言で言いきれないけど、あえて言ってしまえば、
「財閥(閨閥?)一家のごたごたによる社会政変」であって、
はっきり言って、彼ら親子の確執問題で、
日本社会の経済が揺るがされてしまうだなんて、
冷静に考えてみれば、はなはだ迷惑なお話なのである。
(↑酷い・・・)
でも、すごい分かる部分もあったりする。
家長と長男の確執とか。
嫉妬からの意地をエネルギーにのし上がろうとする家長とか。
長男の人のまとめかたとか。
生きていく中で、普通に真っ向から衝突しないといけなくなることが
網羅されているような気がしている。
個人的には勧善懲悪を望むのだが、たぶん、そうはいかないだろう。
それが、不条理というものだ。
だけど、わたしが一番納得いかないのは、
なぜか、キムタクのソロのシーンで流れるEaglesの曲である。
あの曲は、Desperadoという曲で、
わりと感動的な詩ではあるのだが、
(そしてキムタクの役には合っているのだと思われるのだが)
ドラマの雰囲気に合わないよ。。。
画面ではコテコテの「昔のニッポン」を追求しているのに、
BGMで、カッコいい洋楽流されてしまったら、ちょっと調子が狂う。
テーマ音楽が、ストーリーを表現しているだけに、
この差が際立ってしまって、どうもムズムズするというか、落ち着かない。
で、ここからドラマと主題曲の考察に移るのだが。。。
日曜劇場の中では、
「砂の器」は音楽がとてもよかった。
千住アキラさんの「宿命」、
グリーグのピアノ協奏曲の雰囲気と似ていることに、後日気がついた時は、
なんだか得した気分だった。
その千住アキラさん、今は大河ドラマのテーマ曲をやっています。
風林火山、だけに、疾風怒濤を表現しているっぽい。
それで、わたしが今まで見た大河ドラマの中で、No.1は、
義経の時の、アシュケナージのテーマ曲。
わたしが大好きなロシア音楽の雰囲気満載で、
その暗さ(って言うのも何だが・・・)が、
義経のイメージと合っているように感じたのだ。
クラシックで一番好きなのは、もちろんベートーベンとビゼー
(両者、タイプが対照的すぎるけど。。)
そして、実は、ロシアの作曲家は全般的に好きです。
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲は、
むずいけどいつかは弾いてみたいねぇ、というとっても低い向上心ではありますが、
まだ希望を持っている今日この頃。(←とりあえず弾ける体力あるうちに弾こうよね。。。自分)
ちなみに、我が敬愛する映画音楽家、エンニオ・モリコーネは、
(ニュー・シネマ・パラダイス、海の上のピアニストといえば分かる人が多いはず)
「武蔵」の時にテーマ音楽をやりました。
これは、わたしの中では一大事で、
NHKは一体どんな形でオファーをしまくったんだろうと一瞬考えた。
実際ドラマを観て聴いてみると、
やっぱり、さすがモリコーネと思ってしまう深い音楽を聴いた気がしたのだが、、、
「武蔵」と合っていたのかは微妙かもという結論。
「強くなりてぇ!!」とひたすら叫ぶ、えびぞうさんの後ろで、
壮大すぎる曲が流れていたシーンは、どうしていいか分からなかった。
でも、巌流島の決戦のシーンは、かえってその壮大さが良かったので、
五分五分くらいの評価ではあります。
ドラマとテーマ曲は、難しい。
「プライド」の時に流れたクイーンの選曲にもいちいち文句つけてたfre9ですが、
とりあえず、何かの雰囲気と音楽の組み合わせに対する感性だけは
今まで何年も培ってきたからこだわりを持つようにしている。
同じ夕日でも、サンタナが似合う夕日と、Eaglesが似合う夕日は違うのだ。。
そんな考察を、日々、続けています。
コトバ恐怖症にはならなかったけど、
コトバの怖さを思い知った、
というより、
コトバを扱う人間の怖さを身にしみて体験したような気がする。
言葉の文脈は人それぞれで、
生きている文脈も人によって違って、
その文脈が近ければ近いほど、きっと相手のことは理解しやすい。
一緒にいる時間が長くても短くても、
この文脈の共有がどれくらい出来ているかで関係性は大違いだ。
長い時間一緒にいて、文脈が共有できるならそれでいい。
短くても、文脈を感じられるなら、それでもいい。
だけど、そうはうまくいかなくて。
ずっと十何年も長く一緒にいるはずなのに、少しも共有できていない。
今まで文脈の違いでさんざんすれ違いがあったのを乗り越えてきたはずなのに、
まったくお互いのことを分かっていない。
それでいて、近くにいすぎるから、
一番きつい言葉を浴びせかけることができてしまう。
この怖さ。
知らないことから生まれる悲劇も、
知ってしまったことから生まれる悲劇も、
どちらもこの世界には存在することで、
もはやそのことについて気持ちを沈めたりはしない。
赤の他人でもない、かといって、わたしのことを全て知っているわけでもない。
生き方が違うから、自分の世界に持つ文脈が違うから、
分かりたくても分かりきれない、
割り切りたくても割り切りきれない。
だけどわたしは、彼らのことが、好きだ。
とりあえず、仕事が終わらず、自宅で鋭意作業中。
自宅作業にさせてもらえたありがたみを感じつつ、
誠意を持ってやろうと思ってます。
ある程度かたがついたので、気分転換に、書いておきます。
fre9、伝説構築中であります。
なんの伝説かって、、、
そりゃ、一つしかありません。
Freddie Mercury絡み、です。
今日、得意先の人に唐突に言われました。
「Freddie Mercuryがお好きなんですってね」
出たーーーーー
ついに、社内だけではなく得意先にまで知れ渡ってしまったのか・・・!!!
誰から聞いたのか探ってみると、
どうやら情報発信元は、我が元上司らしいということが発覚。
やられた感満載。
さらに、得意先の中では、
わたしが11月に取った長期休暇でロンドンに逃亡している間、
「 ”fre9の本名” さんは、きっと来年の今頃もロンドンですよ、おそらく」
とネタにされていたらしい。
そ、それって、、、今年の命日にも行けっていうことですか。
ってことは、今年中にビッグにならんといけないってことですか。
(↑これはわたしの勝手な話)
ロンドンはまた行きたいですがね。
次にロンドンに行ったら、フレディのお家のほかに行きたい場所がいくつかあって、
それはサザビーズです。
実は観光客ももぐりこめるらしいので、
何億という品を落札する代理人をこの眼で見てきてやろうかと。
あと、夜のSOHO満喫をしたいです。(←理由が分かった人は勲章ものです)
その前に新宿歌舞伎町に行くべきなんじゃないのか??
という、鋭い突っ込みをつい最近うけましたが、それはとりあえず無視しておく。
っていうのは余談なのだが、
とりあえず、社会人一年目の目標であった、
「○○といったら、この人というイメージを最低3つは作る」
というスローガンの、一つは決定です。
社内のあだ名も最近 Freddie だす。。。
やっぱり最初の自己紹介で、
「わたしはヒゲフェチです。フレディ・マーキュリー大好きです」
と、拡大写真付きで大々的に発表してしまったのが、強烈すぎたっぽい。
そんなわたしの手元には、疲れた頭と身体を癒してくれそうな、
外国版フレディの写真集があります。
2月が終わったら、「よくがんばったで賞」として、
DVDを買っちゃいたいなぁと考えている深夜3時・・・
さすがに、ねむい。
とある理由で、今、主婦兼仕事人をやっています。
(注:一緒に住んでいるのは、親です)
元来、わたしは適当人間で、家事も適当にやる人です。
てきとーすぎて、たまに苦情がきます。
だから、私は今は一人暮らしはしていないけど、
もし自分が一人暮らしをしたならば、
相当てきとうにやるはずです。
それで、問題はないから。
自分ひとりが生きていられればいいから。
だが、、、
家族が一緒に暮らしているというのは、
仕事が3倍になるということで、
これをやるだけで一日があっという間に終わっていってしまうのです。
人数も3倍、面積も3倍(我が家は一戸建てです。。。)
たとえ、てきとーーーーーーにやっていたとしても、終わりが見えない。
自分の時間??
慣れてないせいもあると思うけど、今のところ、皆無です。。。
家族が寝静まった夜中に、こつこつと作業をやるしかありません。
それに加えて、わたしには、仕事があります。
先週は、仕事+主婦業をひたすらやっていて、
残業を終えて食材を買って帰り、ご飯を炊いて、さっさと食べて、
さっさと洗って、洗濯物をして、散らかったものやゴミを処理して、
明日の朝の準備をして、やっとお風呂に入れて、一息つける。。。
寝るのが普通に深夜で、へとへとになりすぎて、
PCに向かったまま寝ている状態が続いていました。
半泣きでした。
でも、やらないわけにいかなかったし、
これはやるべきだ、きちんとやってあげたい、と思いながらやりました。
だけど、膨大な作業を目の前に呆然としてしまう時もありました。
そして、、、行き着いた先はこれ↓。
(なんで手伝おうとしてくれないんだよ、○○よ!!!!!)
(なんでガタガタ走り回っているのに、テレビ見てるんだよ、○○よ!!!!!)
(以上、心の叫び)
わたしは一体なんなのだ。。。
脱力感に襲われる主婦の気持ち、とやらを身をもって知ってしまいました。
いつだったか、
「妻が夫にキレたこの台詞!」という特集を雑誌で読んだのを思い出しました。
育児でてんてこ舞いになっている妻に、
「なんか、てつだおっか?」と言った夫のコトバにキレた!という投書があって、
それへの同年代の共感度合い(わたしも同じよ!的な・・・)がすごかった。
そう、そうなんですよ。
そういうレベルなんですよ。
要するに、この作業(投書の中では育児)は、わたしだけの仕事なのか!?と。
手前の仕事ではないけどね、とでも言いたいのか君は!?と。
一生懸命やっているのに他人事のような態度を取られていると思った瞬間の、
煮えくり返るような怒りは、しばらく収まりませんね。
かつて、母親が毎日終わらん終わらん言いながら、
それでも必死にやっていたのが分かりました。
わたしが小さい時には、
これプラス、わたしの洗濯物やなんやらも全部やってくれていたんです。
嫌な顔しないで、わたしの仕事だから、と言って、笑ってやってくれたんです。
外から見ているわたしにとっては、
効率の悪い作業の仕方をしているように思えていたのだけど、そうじゃなかった。
自分で言うのもなんだが、自分は要領よく片付けるのが得意で、
その能力はいかんなく発揮されたと思うが、それでも大変だった。
今日も、一日終わったのが今さっきです。
自分のためだけじゃなくて、家族全員の世話をするのが、
こんなに大変だとは思わなかった。
こんなんじゃ、仕事をもったまま結婚して、子供も持つなんて、
遠い夢なんじゃないか。。。
ふと思いました。
どんなに愛情を持ってそれをこなしているとしても、
いつか、爆発、あるいは崩落する日がやってくるに違いない。
そう感じてしまうときが何回かあって、
そのたびに、まじで哀しくなりました。
でも、さっき家族から言われた一言は、涙が出るくらい嬉しかった。
「今日一日、ありがとう」だって。。。(涙)
まじ、泣ける。。。
また、がんばろうと思いました。
しばらく、この生活を続けていく気力が生まれました。
世の中、仕事を続けながら結婚、出産を経験していくには、
(あとは、介護とかも入ると思う)
夫、そして家族の協力が必要、と言われてて、
それは当然だと思うけど、それだけじゃない。
「姿勢」なんだと思いました。
ただ、半分こして分担してやればいいというものではない。
それぞれ自立して生活するのは当然として、
あとは手伝えばいい、というものでもない。
一緒に生活している以上、関心を持って、状況をちゃんと把握してあげることが、
まず、大事なんだということが分かった。
結局のところ、「思いやり」というコトバでしか表現できない、
でも、それ以上の何かを含んだ、微妙な空気感を感じること。
うまく言えなくてもどかしいけれど、
そういうことができる人間というのは、人として本当にすごいと思う。
わたしはまだ出来ない。
家庭でも、仕事でも、友人関係でも、
みんな、こういうことが自然にできるようになれれば、
平和に暮らせるのに、と思います。
理想論でしかないのは分かってる。
でもこの理想は、結局、
根本的なところに位置している現実だと思います。
そんなことを痛いほど感じた、この2週間。
人生経験として、良い体験だったように思います。
まだまだ、えせ主婦兼仕事人の兼業生活は続くのですが、
精進していきます。
ふぅ。。。
超疲れたけど、なかなか面白くなってきた、家事。
なかなか、やるじゃん、自分。っていう自画自賛。
それにしても、必死になって家事やってるときに、
「わだア○コ殺人事件」を観てゲラゲラ笑ってる声が聴こえたときは、
本気でテレビぶっ壊してやろうかと思いました。
壊せばよかったな(毒)
桜塚やっくんの存在をちゃんと知ったのは、
実は、紅白歌合戦でした。
それまでもCMで、誰だこの人?と思っていたのですが、
あぁ、芸人だったのね、とやっと分かった。
っていうくらい、恥ずかしながら世間についていけてなかったのですが。。
でも、ずっと思っていました。
なんか、この人どこかで見たことある。
絶対、知ってる。
でも、桜塚やっくんとか、スケバン恐子だなんて知らないよ。
じゃあ、誰??
昨日、この不思議な疑問が解決しました。
桜塚やっくん、実は元あばれヌンチャクだったんです!!
この事実が分かって大喜びしていたら、某友人から
「なにそれ?」と言われてしまったので、説明するか。。。
あばれヌンチャクとは、お笑いコンビの名前です。
背の高い男と、「やっくん」という名前の少年キャラが、
紙芝居形式で掛け合いしていきます。
やっくんは、つなぎのジーンズと、短い髪がトレードマークです。
純朴な少年が一生懸命しゃべっている内容は、実はすんごいブラック。。。
そんな、コワかわいい少年キャラを、実は、桜塚やっくんがやっていたわけです。
で、わたしはあばれヌンチャク時代のやっくんをずっと見ていたということなのです。
あばれヌンチャクは、わりと好きなコンビだったというのもあって、
結構二人のコントを目にしていたのです。
どうりで、見覚えがあるわけだな。。
やっくん、、、あばれヌンチャクだったのか。。。
じゃあ、あばれヌンチャクどこ行った?
実は、2年前に解散しちゃってました。
すごいびっくりした。
ちなみに、わたしは高校2年くらいから、ずっとお笑い見てて、
特に、NHKの爆笑オンエアバトルとかは毎週欠かさず見ていたのです。
最近は出てくる人たちのレベルがあまり高くなくて、おもしろくないから見てない。
きっと若い芸人たちは、民放に行ってしまってるのですね。。。
でも、あのオンバトっていう番組は、
観客の評価が如実に現れるからシビアで良いと思っている。
うけなければ論外だし、
どんなに笑いを取れたとしても、
周りのレベルが高かったら放送してもらえない。
つまり、常に最高レベルの笑いを提供しなければならない。
しかも、毎回違うネタで、だ。
だから、HGのような人はまず連勝は無理と思う。
わたしは芸人じゃないからよく分かってないで言うけれど、
プロとしてお笑いをやるなら、常に周りに比べて最高と言える笑いを作ってほしいし、
そうじゃないなら、簡単にテレビに出さないでほしいと思っている。
この前観た、エンタの神様は、酷かった。
サクラの声しか聴こえない。
何を持って笑わせたいのか分からない人が続々出てきて、頭にきた。
こっちは、笑いたいから観てるのに、笑えないなんて、サギだ。
サギはちと違うかもしれないけど、
とりあえず、テレビに出たってだけで満足してしまっているような、
自称ゲイニンをわんさか観させられたので、チャンネル変えてやりました。
ちなみに、スケバン恐子はいいと思っています。
観客に突っ込み役をやらせるというスタイルは、オリジナリティあると思うし、
それだけ計算してネタ作りをやっていることが分かる。
少なくとも、あばれヌンチャクを解消してしまったこともあって、
自分はお笑いで生き残っていくのだ、という気概はちゃんと感じる。
色んな想定外も、もっとネタにしていけたらもっと面白くなりそうだけど、
きっとその方向は鍛えていくんだろうなと、わたしは勝手に期待しています。
ちなみに、、、
陣内智則さんも、オンバトでよく勝ち残っていましたね。
彼も、他の人とは違うスタイルを確立した人で、
実は裏には映像作家のパートナーがいるのですが、
かなり綿密にこだわって作っています。
わたしも好きな芸人さんです。
とはいえ、微妙な間と空間まで計算できているのは、
ラーメンズだと思っています。
高校の時はただ面白くて見ていたけれど、
今、もう一度見返してみると、
ものすごく正確に、事前の計算を舞台で再現していることが分かるのです。
すごい。ただ一言。
あとは、麒麟さんが好きです。
今、わたしが安心してネタが観られるのは、
ますだおかだ(もう、安定期に入っちゃった感じ)
麒麟
タカトシ
路線はちょっと違う方向になってきているけれど、ぐっさん
ペナルティ(わっきーガンバレ!!!)
じんないさん
くらいかなぁと。
お笑い番組に名前が載っていて観たいと思えるのは、このくらい。
ラーメンズはテレビが嫌いだし、これからもほとんど出ないんじゃないかな。。
ちなみに、わっきーが好きだというと、引かれるのですが、
わたしは彼がプロになっていくのを応援しています。
なんていうか、Freddieと同じ方向性を感じるから。
(こう書くと、Freddieファンから野次がとんできそう・・・まぁいいや)
なんだか、やけに、ちなみに、が多かった気がするが、
久しぶりにお笑いについて思考をめぐらせることができたので、よかった。
おわり。
テレビをぼーっと見ていたら、目を疑うようなCMが流れていた。
思わず、
「え??何!?何が起こったの!?」
と思って身を乗り出してしまった。
ダイハツのタントカスタム
もこみち王子と、女の子のラブラブなCM
今まではほほえましいと思ってた。
雪の上で手をつなぐとか、
セーター2枚ぴったりくっつけるとハートの絵になるとか。
かわいいじゃん。
でもさ、、、
セーター1枚を二人で着るのはどうかと思いますよ。
のびちゃうだろ!!!
よく入ったね、二人も。
するっと、いとも簡単にもこみちに大接近してるけど、
セーター、あのシーンだけXXLくらいなんじゃないかな。。。
伸び方が尋常じゃないよ。
一つのマフラーを二人で巻くとか、
コートを二人で羽織っちゃうとか、
そういうのはあるけれど、
一つのセーターを二人で着るっていうのは無理があるだろう!!!
きもいよ!!
と、まじで突っ込みたい。
すんごい突っ込みたかった。先週くらいから。
これからだんだんエスカレートしていくのかな。
次はなにが来るのか、もはや楽しみ通り越して怖いです。
いろいろあって、殻に閉じこもっていたのですが(心の中で)、
心ある人々のおかげでどうにか平常心をそれなりに取り戻し、
社会復帰の決意をしたので、ブログを再開してみることに。
って書くとfre9重病説?が再燃してしまうわけですが、(オケ内限定)、
病になったのはわたしではなく、わたしにとても身近な人で、
この先もずっと一緒に闘っていくというか、出来る限りケアしていくことになり、
全く想像したことのなかった生活を前に、
動揺して、泣いて、人とぶつかって、感情的になって、を繰り返しました。
あーぁ、もうちっと冷静な人間だと思ってたのにな。。。
と、自分の弱っちぃ部分に直面した時思った。
でも、本人が一番動揺しているのだし、
わたしが泣いたところで病は去っていってくれないので、
自分は自分のことをがんばりつつ、
その人のためにできることを一つずつ試行錯誤していくしかないなと、
今週思った。
「現実」は優しくない。いじわるだ。
どうしようもない無理難題をふっかけてきて何が楽しいのか。
なんて思ってしまうくらい、わたしは一時期現実と事実と自分を恨んだけれど、
ちゃんと冷静になって事実を受け入れて、
今ある現実を少しでも良い方向にかえていこうと心の中で思うだけで、
見え方は全然違ってくるなと感じたわけです。
わたしが祖母を亡くした時、それは絶望的な状況から一連のことが始まった。
誰かが病に倒れるたび、
そんな悪夢がふと頭の中をよぎるくらいのトラウマになった。
でも、今度は希望のほうが少し多い。
少しっていうか、結構多い。
だから、その人が元気を取り戻すまで、とその後、
沢山面白いことをさせてあげたいし、
わたしも楽しさ、面白さを一緒に楽しめる心境と心の余裕を持っておこうと今は思っています。
そのために、何か捨てなくてはいけないことはあると思う。
でもきっとわたしは後悔しない。
生きていく途中で、何かを捨ててでもやらないといけないことがあるんだと、
今回分かった。
わたしの人生のバイブル「SWAN」の一節では、
「バレエのために今まで多くのものを捨ててきたからこそ、
絶対に簡単には引き下がらないのだ」
という台詞がある。
わたしの場合は種類がちょっと違うけれど、でもそういう心境でいる。
今回のこともそうだし、自分の生きる道に関してもそうだ。
だから、今できること、やれること、やりたいことを精一杯やるべきだと思った。
そういう生き方をするべきだと思った。
誰に何を言われたとしても、わたしは、後で後悔するような生き方はしたくない。
それは身勝手な行動を取るという意味ではなく、
人と人との関係性のなかで、目先鼻先のことばかりを気にかけるより、
何をしたら、自分も周りの人もハッピーなのか、ということを考えて、
行動できるようにしたい。
その軸から外れていってしまった関係性は、振り返りもしない。
だから、わたしは今回の事象のために自分を犠牲にしようなんて全く思っていないのだ。
わたしが犠牲になるようなことになったら、その人は悲しんで嘆くにきまってる。
考えなくちゃいけないことが山積みで、頭がパンクしそうで、
はっきりいって仕事どころじゃないけれど、
わたしががんばって生きている、
ということをちゃんと見せたいと思う。
それは、仕事なのか、創作なのかと言えば、
おそらく、その人にとっては創作のほうだと思うが、
今まで以上に全身全霊をかけて注力していこうと実は思っている。
もちろん、仕事と健康に支障をきたさないようにすることは大前提だが。
そんなわけで、しばらくストップしていた(というか、する気力がなかった)創作を、
昨日から再開し、3月末を目指すという状況だったりします。
仕事の年度末が辛かろうが、これは一年間目指してきたものだから、
なんとしてでも完成させて、出したい。
だから、今からがんばっていくのです。
2007年は、成果を出す年にしたいから、がんばる。
だから、早く回復してください。>病と闘う、本人へ