2006年09月01日

考察『東電OL殺人事件』第一部

ついに読み終わりました。

この本との出会いは、直接のきっかけはIさんなんだろうけど、
間接的にはメリーさんだったりするわけです。

長いノンフィクションを読み終えての感想は、一言では言い表しきれない。
この事件の被害者であるWという女性の気持ちは、
身を斬られるような感覚で、わたしの中に入ってきた。
それくらい、理解ができる。

この本の中に、こういう発言がある。
『女性ならば誰でも、自分をどこまでも貶めてみたい、
という願望を持っていると思うんです』

この本の中では、貶める=堕落、という大まかな定義づけがなされていて、
Wが、昼間のOL生活の傍ら、夜な夜な渋谷の街で身体を売っていたことを、
堕落、と表現している。

そもそも、堕落、とはどういうことなのか。

堕落とは、世の中で正しいとされている路線から外れることである。
では、世の中で正しいとされている路線とはなにか。
過半数、あるいは大多数の人間が幸福感を感じる状況を作り出す方向性、である。
一瞬たりとも、足元が揺らぐような不安感を覚えさせてはならない。

眼を覆いたくなってしまうような真実を、突きつけてはならない。

わたしは、Wはもっとも動物的嗅覚を持っていた人なのではないかと思う。
それは、身体を売っていたからとかそういうことではない。
それだけの理由じゃない。
自分が生きていると感じる瞬間が、
極めて動物的本能とかかわりの深い時だったのではないか、
と感じられるからだ。

たとえば、彼女は、性的欲望を満たすことで、
自分の生を感じていたとは考えられないか。
それから、彼女は、食べないことの飢餓感から、
自分が動物であることを感じていたとは考えられないか。

眠れない夜に、自分が睡眠に導入されていく過程を感じる時、
このまま自分は死んでしまうのではないか、
本当にこのまま自分は眠りに入るのか、
こういう思いにかられない人は果たしているのだろうか。
Wもまた、同じだったろうと思う。
この眠りの瞬間、というのも、強いていえば
自分が動物として一日のサイクルをこなしていることを感じる瞬間
であると思われる。

彼女の精神性や心の闇についてのフォーカスを当てた最後の部分は、
わたしにとっては、
「なるほどね」と感じる程度である。
彼女は精神を持つ以前に、まず人間であって、動物なのである。
動物は、3つの欲を持ち、それぞれのバランスの中で生きている。
大脳の発達した人間は、それら欲を、
意思というもので無理に抑え込むことができる。
間違っても、雄ライオンは雌ライオンを前にして
ライバルのいない状況でとっとと帰ることはしないだろうと思うから。

欲を野放しにしておけば、経済の理論にもあるように、
全てのものが枯渇する。
大勢の人間が共存するためには、欲のコントロールが必要だった。
そしてそのコントロールは人間の意思とは無関係に、
時間とお金のシステムに組み込まれていった。
人間は、システムに身を委ねてさえおけば何不自由なく生存できるようになり、
まず元々動物であることを感じる必要もなくなった。

そういう人間が、ある日突然、自分の動物性、野獣性に気づいたとき、
彼(あるいは彼女)は非常に動揺することだろう。
それらへの対処方法のマニュアルはない。
そこで初めて、彼らは自由意思選択の権利を行使できる。
ただ、どうやって自由である権利を使えば良いのか分からない。
そこで人間はもう一度秩序を決めてシステム化してしまおうとする。
そのほうがはるかに楽だから。

Posted by fre9 at 2006年09月01日 01:30
Comments


誰もが密かに隠し持っている野獣性が白日の下にさらされた。しかも法廷という裁判、一字一句全てが 感情を排した文書で語られる事実の羅列がショッキング。

コントロールしている私の堤防は大丈夫かと…。

Posted by: 女三宮 at 2006年09月01日 12:31

読んでいくうちに、ショックさ増していきました。
わたしはこれから続編を読むつもりです。
確か、東電OLシンドローム、です。
もっとショックなことが待ってるかもしれない。。

Posted by: fre9 at 2006年09月03日 01:30