2006年09月29日

号泣。→自信→やる気!!!

超やばい。
まじ泣けてきた。
それからすごい嬉しくて、やる気が満ち溢れてきた。

7月の末くらいに、わたしは某ラブストーリーのコンテストに応募した。
結局それは一次で落ちてしまったことが最近分かって、
悔しいと思っていた。
T島社のホームページで結果を見て、もう二度と見たくないと思った。
(→ばればれとは思いますが伏せ字にしてみた)

だけど!!!

ついさっき、自分の名前でGoogle検索したら、

「審査選考委員を悩ませたあともう一歩の作品」

とかいうコーナーに我が作品が取り上げられてるではないか!!!

マジ!?????????????????

すごい。。。んだよね、、、、、、これは。。。。。おそらく。。。。

やったじゃん。。。。。わたし。

びっくりしすぎて放心しちゃったぜよ。

ずっとずっと出しては落ちてを繰り返して、
どんな評価をされているのかも知らず、
不安で不安でしょうがなかった。
でも、、、1000人くらいの人が応募している中で、
審査員がわたしの作品で悩んでくれたと分かったし、
それから自分の作品のどこが悪かったのかはっきりと書いてくれて、
この上なく嬉しくてしょうがない。

キャラクターや文体が面白いという評価はもちろん自分への自信につながったし、
めたくそに言われてる部分も、実は自覚してて、
あぁ、やっぱりだ。。。悔
っていう気持ち。

だけど、なんと嬉しいことか。
書いて書いて捨てて捨てて、
やっとここまで来た。
あとは一気に突き抜けられるようにがんばるのみ。
今以上に自分にシビアにこだわりを持って作品作りに励もう。

やっぱり、わたしの路線は良かったんだ、ということが分かった。
そして、わたしが死ぬ思いをして書いたあの作品。
誕生日の夜から徹夜した。
登場させた人物は、謎のタイ人と謎の中年のおやじと、謎の女。
みんなモデルがいる。
(まぁこの時点でにやりとする人がいるとは思いますが。。。
一言自己弁護すると、事実ではなく空想である、ということです。)

モデルたちにも感謝します。
あなたたちがわたしにとって強烈な印象の人物であったから、
この作品はできたんです。ほんとうに。

この作品は久々に、
なかなかイカす書き方ができたなと思えた作品だったので、
やっぱりあの気持ちも正しかったんだ。
書ききった思いがあったから。
だから、これを改編する。
キャラクターはそのままで。
悪かった点を直す。

そして、絶対世に出してやる。
世に出して、彼らが読んでくれることで、
わたしの、ありがとうの気持ちを表したい。

そして、蛇足だけど結構大事なのは、
賞金○百万をいただいて、その日から一年間放浪させてもらいます。ということ。
(↑本当にするかどうか分からないけど、もしできることなら世界を放浪したい)

もう少し待っててください。
わたしは必ずや、この作品を世に出して、
さらに今構想を練っている近未来の話を日本中、世界中にばらまくまでは
あきらめません。

というわけで、
あさって締め切りのコンテストに向けて、徹夜しようとしている、
無謀なる夜中の出来事でありました。

まじで涙流しながら書いてます。
がんばるぞ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

Posted by fre9 at 01:19 | Comments (0)

2006年09月28日

AO入試の季節。

今年もSFCのAO入試の季節がやってきた。
わたしのところに一年に一回くらいやってくる、遠い後輩たちの叫び声。

今年も来ました。
志望動機書そのほかの添削。
来るものは拒まず。
いつでもどうぞというスタンスだし、
わたしもあの時はいろんな人に助けてもらったから
それを後輩たちに還元することで恩返しをする。

はっきりいって、AO入試で自分が受かった理由が未だにわからない。
よく受かったよな、と思ってる。
あとわたしを拾ってくれた教授たちに感謝してもし足りないとも思ってる。

後輩たちの悩みを聞いていて思うのは、
あのときの自分もそうだけど、
遠慮しないで自分が思うとおりに発言できるなら、そうやるべきだということだ。
言ってみて失敗したならそこで考えればいい。
言わないで終わるよりかはいいと思う。

どうも、去年もそうだったけど、
遠慮がちというか、萎縮している子が多いような気がしてて、
もっと突っ走っちゃえばいいのにと少し思う。
(って書くと、君が突っ走りすぎなんだよ、と誰かに言われそうなので自粛する)
一体だれに遠慮しているんだろうか。
自分なりの根拠があるなら、自信持っていいところなのに、
その根拠が信じられないのかな。
だとしたらそれはとても哀しく悔しいことだと思う。
自分が見聞きしリサーチして分析したことを少しも信じられないなんて、
自分のことを信用できてないのと同じくらい不信精神が据わってしまっていると思う。

なにはともあれ、
後輩たちが自分が選んだ道を後悔しないくらい考えに考えて、
一生懸命出した結論を応援したいし、
突き進んでほしいなぁと思います。

んで、わたしも相変わらず突っ走ろうと思います。

わたしがとことん突っ走ってればきっと、
そんな人がK女から出てしまったんだねという前例になって、
そのうちさらに上を行く突っ走りをしてくれる後輩が出てきてくれて、
わたしは晴れてプチリタイアができる(なんだそれは。。。)

実を言うとわたしが高校3年の時の中学1年とかのはずだから、
恐ろしい歳の開きで、
女子高生ってこんなんだったっけか、と思う瞬間もある。
(相手の声の弾み具合がすんごい若いんだ、ほんとに)

顔もあわせたことは少ない間柄だけれど、
知らない後輩であってもこうやってお話ができるのはいいことだなぁと思う。
KO大学よりも、OGと在校生のつながりは強いはずだ。
さすが、K女。

がんばれ後輩たち!!

Posted by fre9 at 00:35 | Comments (0)

サイクリング。

台風一過は明日、ハリケーン一過は10月頭、
そんな怒涛の嵐の中を突っ走っている、fre9です。

いろんな書きたかったことが溜まってゆく・・・

今日は夜道を自転車で駆け抜けました。
重要書類を、山手線で一駅の距離の某社に取りにいく用事があって、
電車で行くのもめんどいし、かといってタクるのもやだし、
と言う話をみんなでしていたら、

「じゃあ、チャリしかないじゃん」

という話になり、

先輩のチャリを借りて代表してわたしが取りにいくことになった。

す、数年ぶりの自転車。
果たして乗れるのか??
という根本的な問いが頭をよぎる。

最初はちょっとよたついたけど、すぐに勘を取り戻し、
あとはすーいすーいとまっすぐ走る。

まじ気持ちよかったです。
風も適度に冷たくて、風を切りながら走るのが快感だった。
いいな、夜のサイクリング。
戸塚から、バスじゃなくて自転車で帰ろうかな。
と思い始めました。
むしろそっちのほうが安全かもしれないし。
親が心配してる暴漢がやって来たら、自転車で逃げればいいし、
まぁそのまえに持ってる傘で闘うと思うけど。。

まじでやりたい。自転車通勤。
うーん。
っていうか、、、
その前に自転車捨てられちゃったんだよな、この前。

という致命的問題を思い出す。
がーん。

Posted by fre9 at 00:23 | Comments (2)

2006年09月21日

マイナス電子を取る

いろいろとマイナス思考になって、
いろいろ吐き出してみたけれど、
今日家に帰ってお茶を飲んでたら思った。

入社して一年もたたないのに、
プロデューサーとしての役割につけて、
自分の仕切りができる(最近は完全放置状態。。。いいのか??)っていうのは、
ある意味幸せなのかもしれない。
行きたかった部署はなくなってしまったけれど、
その代わり、自分の好きなように仕事を回せる権利が与えられて、
(つまり不可抗力の調整がある程度つけられる余地のある)
そこにおいて、早く一人前になることを求められるというのは、
ずっと研修続きというより、自分にとっては良いのかもしれないなと思い始めた。

そう考えたら、なんとなくすっきりした。

もうすぐ10月。
今までOJT中で、トレーナーにはお世話になりっぱなしだったけれど、
もうひとり立ちをさせられる時期が近づいている。
自分が持った仕事は責任持ってこなす代わりに、
好きなようにやって良いという権限譲渡?が行われる。
厳しさは倍以上にはなるが、自由を手に入れることもできる。

制限あってこその自由。
この自由をずっと保ち続けられるように、
責任範囲内においては必ず自己管理できるようにしようと思った。
あとは、、、どうなんだろうね。
自由を手に入れたい。

頑張ろうという気力が戻ってきたとはいえ、
やっぱり、のんびりマイペースで生活は送ろう。
キンモクセイの香りや、朝日の眩しさに気がつけるくらいの余裕は保ちたい。

それがきっと自分の働き方で、
ここを崩してしまったら、後戻りはできないことは容易に分かる。
バランスを意識します。

Posted by fre9 at 01:04 | Comments (2)

キンモクセイのかほり

タイトルが何の文字りか分かった人は、どうぞ、熱唱しちゃってください。笑

今日は小さな幸せを感じた日でした。
戸塚駅に着いたら、ほのかにキンモクセイの香りがする。
ふわっとした、あの香り。
わたしが大好きな、あの甘い香り。

でもまだ暑いしな。違うかも。とその時は思った。

それからバスに乗ってバス停で降りたら、
やっぱりキンモクセイの香りがする。
これは、間違いない。
咲いたんだ。
オレンジ色の、ちっちゃくて、かわいいあの花が!
その花の香りはちょっと憂いを帯びている。
雨が降ってしまえば一気に落ちてしまう弱い花。
じっと空気を感じていないとわからない、はかない香りを持つ小さな花たち。

キンモクセイというと、わたしは必ず2つの光景が頭の中にフラッシュバックする。
一つは、小さいころ住んでいたマンションの中庭に咲いていたキンモクセイの風景。
近所の子たちと一緒に、手のひらで花びらをうけて、
いい香りだー。と喜んでいたっけ。
いつも怖い管理人さんは、わたしたちがそうやって花で遊んでいても、
怒らなかった。
そして、笑った。
手のひらに乗せた花がもったいなくて、そのまま家に持ち帰り、
ポプリにしたいと思ったけれど、うまくいかなかった。
そんな、セピア色の風景。

それから、もう一つは、中学・高校時代の校舎。
建て替えてしまう前の、古い白い鉄筋づくりの校舎と、夕日。
ちょうどこのキンモクセイの時期は、文化祭やら、合唱コンクールの準備やら、
試験やらで、忙しくて、部活に集まる人も少なく、
顧問の先生も忙しくて練習を見にこれず、
ちょっと暗い音楽室で少人数でほそぼそと練習していた時期。

休憩時間とかいって、のんびり話して、
とりあえず最後はカノン弾いとくかって弾いて、
終わったり、
あるいは、文化祭のミニコンサートの追い込みで、
必死でみんな暗譜しながら合わせて終わった練習付けの日々の、
なんとなく気だるい疲れを感じながら歩く廊下の風景。

別に本当にだるくはないんだけど、
時々肌寒く感じる風と、早く落ちる太陽という組み合わせが、
なんとなくわたしの気分を気だるくさせていた。
ぼんやりと外の大通りの夕方の渋滞を眺め、赤くなった空を眺め、
帰っていく友達を見送って、教室に帰る。
剣道部の友達が汗だくで着替えている。
わたしはそのまま荷物を持って、鍵をじゃらじゃらさせながら職員室に向かい、
先生に報告がてら雑談をする。
先生に促されて帰る、薄暗くなった空の下、
わたしはやっぱりなんとなくだるい気持ちを抱えながら、
ぽつぽつと歩いて帰る。

そんな中にほのかに存在していたのが、キンモクセイの香り。

わたしはバス停からの帰り道、
キンモクセイの木を探して花を見たいと思った。
探したけれど、見つからなかった。

でも、あれは絶対にキンモクセイだ。
表立って自分を主張しないけれど、実はさりげなく存在感を示している。

わたしは、こういうキンモクセイの在り方が、大好きだ。

Posted by fre9 at 00:45 | Comments (1)

2006年09月20日

7人以上

よく言われていた格言?にこんなものがある。

「男の人は一歩外に出たら7人の敵がいる」

確かに、そうかもしれないと思う。
この格言中の男の人=社会人とすれば、
社会で働くということは、7つ(あるいはそれ以上)の何かと闘わなければならない。

でも、7つは全て外敵ではないと思う。

一つは内内なる敵、つまり自分自身だ。

自分自身を貫くのか、折れるのか。
そもそも「自分」を持つのか、持たないのか。

取捨選択を決めるのは、他人ではない。
何時でも自分だ。

直近では10月の第一週まで、
長期的には11月まで、
わたしは7つ以上の何かと闘うんだろう。
そしてその中に、自分自身がいる。
以前は捨て身になってもどうとでもいられたし、何も気にするものはなかったが、
今は、何もかも捨ててしまう状況は作りたくない。
作れないはずだ。
結局、何もかも捨てて失うものは何もない状態というのは、
外的要因で全てを破壊されたか、
内的要因で自分自身を追い詰めて捨て身にさせたかどちらかであると考えていて、
現代においては後者の要因のようが多い気がしている。

つまり、ここでわたしが自分自身に負けてしまうと、
数年前の事態を再び引き起こすわけで、
それは絶対嫌だし、
今は失いたくないものや人がたくさんいる。

失わないためには、自分が爆発してしまう状況にしてはいけない。
追い詰めてはならない。
一人で抱え込みすぎてはいけない。
強がりすぎてもいけない。

幸いにして(連休中の爆睡で)体調の悪さは過ぎ去ったから、
健全な精神が戻ってきたと思っている。
今は不安じゃない。

だけど時々もの凄い不安に襲われる。
昔に比べたら、
わたしの叫びをキャッチして
私の代わりにどこかに放り投げちゃってくれる人々がいてくれるから、
大丈夫なのかもしれないけれど、
でも拭えない不安。
こんな不安大したことないのかもしれない。
先輩たちに比べれば。

だけど、3つのプロジェクトをいきなり一人で回す状況に放り投げられたら、
いつ終わるとも分からない先行きに不安になるのは仕方ないじゃないか。。。

どうにかしてこの状況を楽しく思える方向に持っていこうと、
必死に言い聞かせ、わたしは毎日生きている。
これは岡本太郎の言う、いばらの道なのだ。
精一杯生きて闘ったら、太郎的人間になれると信じる。
とにかく、信じる。

Posted by fre9 at 00:05 | Comments (0)

2006年09月19日

罪悪感。

某仕事関連で、いろいろな素材を買わないといけなくて、
新人のわたしが調達することになりましたとさ。

一応上司のチェックも受けつつ、全部揃えて、
いざ買うことになりましたとさ。

素材代理店の担当者が電話でのたまった金額を聞いて、びびったとさ。

しめて51万円・・・

えっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・絶句

た、、、立て替えるなんて無理。。。
そんな貯金ない。
という発想が頭をよぎる。

上司に金額を伝えて顔をそーっと見てみると、あっさり。
「請求書送っといてもらって。」

請求書って便利なんですね。
便利すぎて、マヒしてしまうのですね。

わたしが51万円もの買い物をしてしまったことに結構罪悪感を感じて、
「こんな高額な買い物したことなかったです。心が痛みます。」
と、わりと深く凹んでいたら、隣の人があっさり言いました。

「そのうちもっと大きな買い物をするよw」

がーん。。。

たまにスーパーやドラッグストアでめぐり合う、
98円の「おーいお茶」を買うことに幸せを感じてる人間なんですけど、
見積もり作っているときに、そのゼロの多さに未だにびびってる人間なんですけど、
最近はタクシー乗らずに根性で電車使って得意先まで走ってる人なんですけど、
新幹線より高速バスの旅、大好きな人なんですけど、、、、、
渋谷まで、東横線で行っちゃう人なんですけど、、、、、

そのうちそんなこと言ってられなくなるのか??
身体とお肌の健康のためにはお金は使うことにしてます。最近。
あと、Freddieのためと、少しはファッションにも気を回すようにする。
それから、興味のある分野の本代に糸目はつけない。

が、、、
それ以外に糸目を全くつけない生活は、
わたしには無理です。
無理。。。
というか、気持ち悪い。

わたしはそんな業界にいても小市民として生きてやります。

Posted by fre9 at 01:39 | Comments (2)

オモテとウラ。

久々にテレビを見たり、
ネットの広告をチェックしてみたら、
ありとあらゆる通信系の企業が
「うちらは顧客満足度 No.1!!」
とか言ってる。
顧客満足度。
Customer Satisfaction

この言葉今まじで聞きたくない。

本当に顧客満足を考えている企業は、
わざわざ広告を打つ必要なんかないんです。
わざわざアピールしなくたって、満足度は高いんです。
その証拠に、某業界のNo.1の企業は、この時期に何も言ってない。

このCM列挙の要因を知ってしまうと、
非常にやるせない思いでいっぱいになる。
世の中の人はどう思っているんだろう。
唐突すぎやしないかな、この連発ぶり。。。
ある意味奇妙な現象だと思う。

物事の、表と裏。
こういうことなんだなと思った、3連休最後の夜。

Posted by fre9 at 00:06 | Comments (0)

2006年09月18日

戸塚の吉野家

ちょっとわかりにくいけど、戸塚の吉野家の様子です。 右上のオレンジが吉野家の看板です。

駅のホームから激写しました。
パチスロの行列かと思ったら牛丼の行列だった。
これは面白いと思って隠し撮り。

このアメリカ肉の牛丼への情熱、凄まじすぎてむしろ怖い。。
この分だとオージービーフは完敗なんだろうか。


Marie*fre9


Posted by freddie at 11:27 | Comments (0)

エッセイ完成。

やっと、書き終わった。
1200字でなんとかまとめた。
何をまとめたかというと、わたしがエセ通訳をやった時の話だ。

もう2年も前になるけれど、オケに外国人ソリストが来て、
なぜか通訳をやることになって、てんてこまいした時の話。
あの時、いや、それ以前から、わたしはたとえ単語は多く知らなくたって、
わたしは英語は話せるんじゃ!と思っていたし、
あの時も実感したし、今もそう思っている。

英語を話すって、
外国語を話すって、
単語力も大事だけど、とにかく「話す意思を持つ」ことが重要だ。

変な英語だっていい。
正しく話そうと思うから通じないと感じ、ますます話せなくなる。
英語が正しく話せない者同士がメッセンジャーで会話していても、
なんとなく相手の言いたいことがわかる。
この現象の説明がつく人はおそらくいない。

そんな話を書きました。
本当はトリエンナーレの話を書こうかと思ったけれど、
時期的にもう一年か・・・と思ったら切なくなりそうだったので、
やめました。

もうすぐ、わたしの生き方を大きく変えることになったイベントから一年。
これをきっかけに、わたしの人生は変わった気がする。

去年の今頃から今まで、
なんでこんなにも、と思えるくらいの不思議な出会いと出来事が起こって、
まさに激動だった。

楽しい思いもしたし、大きく傷ついたこともあった。

でもいつも思う。
非凡な人生があるからこそ、
身近に存在する平凡な出来事の幸せを感じることができる。

そしてそれに気づかせてくれた人と出会えたということ。

秋の空気は淋しくて、
何も起こっていないのに、苦しくなる。
秋と冬は、いろいろな思い出が詰まっていて、
時々雪崩のように全てのものがわたしを追いかけてくるような気もする。
だけど、わたしは今を生きているからもう巻き込まれはしない。

雪解け水を飲むことはあっても、
雪の中に身を埋めたまま生を諦めることはしないから。

Posted by fre9 at 02:39 | Comments (0)

2006年09月17日

わたしは○○

そういうわけで、ぐんにゃりとした身体を再生させるべく、
今日一日くねくねしながら寝ていたら、家族からこう言われました。

「あんた、こんにゃくみたい」

ええええええええええええええええ・・・・・・・・・

こんにゃくですか。
生き物ですらないのか。
せめてタコがよかったよ。。。

※こんにゃくは好きですけどさ。

Posted by fre9 at 02:11 | Comments (0)

気分転換。虫の声。

実は今エッセイを書いている。
1200字。
この長さは調度、起承転結さえうまくいけばすっきりする長さなのだが、
本当にまとめ方が難しい分量である。

ちょっとエンディングに困ったので気分転換にとりとめのない話を書く。

今日は、今朝まで例のわけの分からない事態の対処をしてて
結局7時間くらい寝てお昼に起きた。
ぼんやりしながら時間を過ごしていたら、喝を入れたくなって、
思い立って美容院に行く。
いつものWさんをご指名させてもらって和やかに髪を切る。
途中、明らかに新米と分かるおにいちゃんが、
「マッサージします」といってやってきて、
肩揉みをしてくれたのだが、、、、、

いかんせん、わたしの肩が板のように硬いので、
「か、、、硬いっすね。これすごいっすね。」
とつぶやきつつ、うんうん唸りながらほぐそうと努力してくれた。

でも、肩凝りは解消されなかったんです。
おにいちゃんには悪いけれど、これはもう誰がやっても同じなんじゃないかと。
それくらいガチガチになっているわけなんです、わたしの肩。。。
あな、哀れ。

会社でもずっと机に縛りついていたので、
これは運動不足なのだ、と思い、
帰りは30分歩いて家に帰ってみた。
ちょうど国道一号線が渋滞する時間帯だったから、
むしろバスに乗るよりも早く家に着く。

気持ちよい汗をかきました。

ずっと80年代のディスコ音楽を聴いてたのだけど、
大音量で聴いていたにもかかわらず、
それでもリンリン聴こえてくる、虫の声。
バスやトラックが走り抜ける音がうるさくても、
それでも必死の叫びのように耳に入ってくる、虫の音。

これはすごいなと思った。
何にもかき消されない、生命力。
そして、誰の耳にも届いている、生の証。
普通は聴こえていても他の音に注意がいってしまうけれど、
今日はなぜか気になった。
彼らの叫びは一体なんなんだろう。
自分が生きていることを精一杯表現しようとでもしているのか。
それとも、ただ何も考えず無心に鳴くこと自体が彼らの生なのか。

今も窓の外から聴こえてくる。
ちょっと前まではうるさいなぁと思っていた音だったけど、
今はなんだか励まされるというと変なのだが、
一生懸命生きることってこういうことでしょと言われているような気がして、
じゃあわたしもそろそろ一生懸命になってみるか、と思わされる。

今わたしは本当に一生懸命生きて闘おうとしている過程にいると思う。
状況がそうさせているのは明白なのだが、
2ヶ月くらい前までの自分だったら、今燃え尽きてると思う。
今は、確かに燃えつきかけてるけど、もう少し走ろうと思っている。
まぁ、走らざるをえないのですが。。。

だから、一度やる気がゼロ以下になってまた浮上したこの状況は、
周囲にとっては
「やっとやる気を出してきたか、この子は」と思われているに違いない状況である。

とりあえず、次の週末は精神統一と、アートの世界に再び行こうという、
楽しみな行事があるので、それに向かって突っ走ろう。

この3連休は、休養です。
体力的にも、精神的にも。

仕事のために燃え尽きたくはないけど、
今を耐えなければもう二度とやる気なんか出せないと思う。
そうなってしまったら、余計に自分を追い詰めるだけだ。

エネルギーを充足させて、あと少し。がんばろう。

Posted by fre9 at 01:34 | Comments (0)

2006年09月16日

くにゃり。

今週、残業に残業を重ねて、
三連休を勝ち取りました。

お昼ごはんも、夜もほとんど食べずに、
あれだけやったんだから文句はないだろ。。。
っていう確信犯です。

わざと食べなかったわけではなく、
本当に買いに行く時間さえなかった。

不健康極まりない生活が続いたので、
帰りの電車ではぐんにゃりしてて、
帰ってすぐに爆睡してしまい、今、起床。←謎

そうだ、思い出した。
ということがあったので、メールチェックをしたら、
取引先から添付で送ってもらうはずの重要な書類が、
添付されてない!!!
超ピンチだ。
携帯の番号を控えてくるの忘れたし、今会社に電話しても誰もいないし、
上司はメッセンジャーにいないし、
とりあえずメールだけ送っとくかと思ってメールを送ろうとしたら、、、

届かない・・・

なんだこれ。
やばいじゃん。

超やばいじゃん。。。

寒いけど、冷汗

何度送ってもエラーが出る。

これはメーラーの問題か??
会社はBecky、家ではAL Mailなんだけど、
そのせいか??

ということで、久々にBeckyをインストール。
全ての設定情報をいざと言うときのために控えておいた、
数ヶ月前の自分を、ものすっごい誇りに思いつつ、
設定を終え、いざ受信・送信テスト。

あれ???

件のメール。
ちゃんと添付されてるぞ?

ちゃんと、依頼したものが届いてるぞ??

じゃあさっきのはなんだったんだ??

なんで、勝手に添付ファイルが削除されてたんだ??

わたしのあの焦りは、無駄だったんじゃん。。泣

相当まずいと思ったせいで、
目が覚めてしまって、反対に眠れなくなってしまいました。
ちょうど先輩からもらったウイスキーの小瓶が近くに見えたので、
飲んで寝るかな。
じゃないと寝られないな。。

あー。。。
余計に疲労感が増した感じがする。。。
身体は疲れてるけど、脳が寝てくれません。
わたしの前頭葉よ、、、少しは寝ようよ。
もの書いてる場合じゃないよ。。。。。。。。。。。。。。。。。

Posted by fre9 at 02:19 | Comments (2)

2006年09月15日

フランクなコミュニケーション

今日は機会があったので、
自分が思っていることを全部吐き出してみた。
ぶつけてやった。
今週、ほとんど会話らしい会話をしなかった。
お互い黙っていても分からないだろうから、
わたしが何考えているのか、ということや
向こうが何を考えているのかを共有するために、
いろいろとぶっちゃけた。
話すつもりはなかったけど聞かれたから答えた、
わたしが今までぶつかってきた家族の話も、
全部洗いざらい話した上で、
でも自分は家族を言い訳にしないし、バランスは取る、と。

だけど、無駄のありすぎる今の現状に、
自分はメリハリをつけたいんだということを強調した。

頑固なヤツだと思われただろう。
何も分かってないくせにと内心思われていたって、わたしは構わない。
何も分かってないかもしれないけれど、
自分が生きていくために、死なないようにするためには、
言わなければならなかった。

人間、寝なきゃ死ぬんだということと、
何事も目途をつけないことには、終わらないということ。
それから自分は良くたって、そう思わない人がいるんだということ。
(これは、かく言うわたしに対しても言える話だと自覚はしているが。)

見通しを立てて目途をつけることは、
別に仕事じゃなくたっていろいろな物事全てに共通することだ。
目途がないために、際限なく自分や周囲の他人の首を絞めて、
それが仕事だから当然だなんて考えるのはおかしくはないか。

分かった口をきいているつもりはなく、
ただ、わたしはメリハリをつけたスタイルを貫きたいんだということを伝えた。
もちろん、エンドレスでやらなければならない時がこれから先来るだろう。
でも、段取りと目途を周囲と共有することで、
健康的に、快適に乗り越えていけることを、
自分で証明してみせる。
ここまで言ったからには、証明してやるしかない。

「そういう世界だからしょうがないんだ。」
この台詞は今大嫌い。
本当にしょうがないのか?
変えようがないのか?
その世界を少しでも良い方向に変えるのは、
個人の意思を置いて他にないというのに。
それを最初から放棄しておいて、不平不満をぶちかましているだけなんて、
わたしには許せない行為だ。

まず行動ありき。
今回のように言ってみて、それでダメならまた考える。
幸いなことに、全部ぶちかましてみたら
実は同じことを考えていて頭では理解しているらしいことが伺えた。

今日はそれなりに姿勢を見せてくれたと思うから、
わたしだって明日から精一杯がんばる。
死なないようにがんばりますよ。

Posted by fre9 at 01:28 | Comments (0)

2006年09月14日

プチ噴火。

たくさんのことがらを、手短にまとめた言葉を探してみる。

とりあえず、
効率を考えているようで全く考えてなくて自分の首を締め上げ、
結局玉砕するような仕事をする人に、
思いきり振り回されてる周囲の人間の気持ちを考えろと言っても、
どうせ分からないんだろうが、
いい加減にして欲しいとわたしは直接口頭で訴えてやろう。
と、『他人をゆるせないサル IT世間につながれた現代人』
を読んでいて思った。

なんで、他人は自分と違う、ということが分からないんだろう。
どうして、自分がしていることを人に強要しようとするんだろう。

と書くと、わたしもきっと他人をゆるせないサルなのかもしれなくて、
いっそのこと、パソコンも携帯電話も全部壊してしまいたくなる。

人は、もはや物理的に使用不可能な状況にならなければ、
諦めがつかないようだ。
人が作り出した人工物に始終振り回されて、
最終的に自分を殺してしまうようなことなど、
わたしは、したくない。


※何をやってもどうしてもうまくいかない日は、早く切り上げるのが一番です。
  集中すらできないんだから・・・凹

Posted by fre9 at 01:28 | Comments (0)

2006年09月13日

備忘録。

とりあえずちゃんと座って書ける状況にないということで、
後々の備忘録としてメモります。

週刊トピックスみたいなもんです。

・オーマイニュース代表と名刺交換実現。
・友人と仕事論について語るその1
・OKと再会、しばし語る(頭がちょっと白くなったなぁという感想)
・O研の顔ぶれと再会、古巣に戻ったというか、波乱万丈人生を語ることになる
 というかもの凄く心配されていたことを知る
・踊った
・今まで何かとSFC絡みで顔を合わせていたTさんに、名刺を渡す
・友人と食事について語るその2

・先輩社員からもらったウイスキーがかなりおいしい
・健康診断の採血で、血管が浮かび上がらず・・・

どれから書くかは未定です。

Posted by fre9 at 01:53 | Comments (0)

2006年09月09日

夏の終わりの、大さん橋の午後

9月に入ってから、昼の大さん橋に行きました。
特に理由もないんだけど、
なぜかいつも行くのが寒い時期の夕方以降だったから、
暑い時期に行ってみようかなと思ったんです。

そこで感じた、世界の果ての静寂について、書きます。

大きな風もなく、凪の状態の海を前に、わたしは汗だくで歩いていた。
近くでは大方カップルや学生みたいな人たちが固まってくつろいでいて、
楽しそうに談笑している。
または、自分の親くらいの年代の夫婦のような人たちが、
静かに隣り合って座っている。

芝生に座ったり、手すりの前でカメラを構えたりしている。
近くに構える仮設店舗のラジオから聴こえる歌を、歌っている人もいる。

自分にとっての日常を感じるのはそこまでだった。
その仮設店舗を通り過ぎて大さん橋の先端の方に向かうにつれて
音が消えていくのをわたしは感じた。

冬には聴こえた波のちゃぷちゃぷとした音が聞こえない。
聴こえるのは、シーバスのモーターの音がかろうじて小さく唸っているくらい。
しゃべっているはずの男女の声も、
笑っているはずの学生たちの声も、
全てどこかに吸収されてしまったかのように、
微かに遠くで囁かれている程度しか聴こえない。

わたしはふと立ち止まって辺りを見渡す。
わたしの周囲に存在しているはずの人々は、
まるで風景画の中の人間のようにぺったりしていて、
大さん橋に張り付いてしまった、と思えた。

わたしは先端から海とベイブリッジを見る。
波はあるはずなのに、風もあるはずなのに、
大量の海水はしんとしてただ漂っているだけだ。

わたしがかつて聴いたはずの音たちは、
天上の世界に吸い込まれてしまったのか。

音も動きも、最小限に抑えられた空間の中で、
一人運動しているのは、わたし。
まるで、画の中を動く、CGの人間になったような気分だった。

わたしの普段の生活は、音に囲まれている。
テレビの騒音と、ipodで聴くロック、
パソコンをタイプする音、電話の音、人の話し声と叫び声、
お金の音。。。

たまには音のない生活がしたい。
そう思っていた。

でもこのとき感じた、完全に近い「静寂」の世界に、
わたしは落ち着きを感じることはできなかった。
なにかがおかしい。
見えている動き、見えている音が、聴こえない。
人の存在、人の体温を感じる根拠になるはずの、視覚と聴覚が一致しない。
ただ照りつける太陽の暑さばかりが、わたしの体力を奪っていくのを感じた。
そして、不安になった。

こんなに音がないことが、わたしを不安にさせるとは思わなかった。
もしかしたら、音のある暮らしに慣れきってしまって、
もう後戻りができなくなっているのかもしれない。
音があることが、わたしにとっては当たり前のこととして身体が覚えてしまっている。
少しの静寂も、身体が許さなくなってしまっている。
動きあるものは、音を発する。
そういうものだとどこかで思い込んでいる。

わたしは、もう一度、仮設店舗のところまで戻ってみた。
そこでは、陽気なレゲエにのって歌う店主と客が戯れていて、
ドリンク片手に最後の夏を堪能する光景が、動いていた。

わたしの眼に飛び込んでくる人の動きと、
耳に響く音の流れが、一致した。
これが、わたしがいつも見ていた日常だ。
そしてさっきまでの光景は、一体なんだったのか。

いくら考えても結論など出なかった。
おそらく、自然現象の一環で静寂の空間が作り出されていて、
わたしはその中にいただけなのに、
いつもと違う感覚に襲われて、逃げ出してしまった。
そこの場では、きっとわたしも音を発しない動体で、
周囲の風景の一つにすぎなかったのだろうが、
わたしは、自分だけに異質性を感じていた。

本当は周りと大して変わりはしないのに、
自分だけに特殊性を感じるとき、
それは周囲の状況の矛盾に自分も内包されていることに気づいていない時だ。

そもそも矛盾した存在である人間の存在を、論理解明しようとしても、
それは一原理を説明しうる一論理なのであって、
全てを解明できる万能理論にはなりえない。
矛盾した人間が作り上げてきた科学は、
いつか人間の全てを解明してしまう挑戦に立ち向かうのか、それとも違うのか。

如何とも説明し難い現象に遭遇して、
科学が大好きだったわたしはこんな感覚を覚えたのだった。

おわり

※今でも科学は好きです。

Posted by fre9 at 23:37 | Comments (0)

アクセス解析に見る人間模様。

ひさびさにアクセス解析結果を見てみたら、
なんと、本日、こんな検索ワードでわたしのブログがひっかかってました。

「恋人との付き合い方 束縛 嫉妬 良い関係」

しかも、MSN検索でトップで出てました。。

なんと。。。
ショックだ。。。

今まで一番驚いた検索ワードは、

ボイスチェンジャーと、ガスコテだったんだけど、
それ以上にこの結果は衝撃的。

どれだけ悩んで検索をかけたんだろうと。
そして、わたしの恋愛バトンに一番初めに行き着いたときに感じたであろう、
焦燥感。
なんか、申し訳なくなった。
恋愛バトンも参考にはなるだろうけれど、
わたしの恋愛観はどうも世間一般とはちょっとずれた位置にあるらしいので、
この人は、ようわからんと立ち去ってしまったんではないかと。
ちょっと考えてしまった。

このように、アクセス解析と言えども人間性は滲み出てくるわけで。。。

サーバーを新しくしてから、検索エンジンからのアクセスは少ないみたい。
過去のエントリーをまだ全部アップしてないからなんだろうけど、
今更アップするのもはばかられそうな気もしてきてて、未だ迷い中。
一番の理由は、
「正直めんどい。」(←正直しんどい、ではない)
からなんだけど、いずれやりましょうかね。。

その前に意味不明の文字化けと、コメント投稿できないバグ、なんとかしないとなぁ。
なんでコメントできる人とできない人がいるんだろうか。
直らなくてすみません。>コメントがいつも上手くいかない方々へ

もはやバージョンアップした方が早いかも。。

Posted by fre9 at 23:16 | Comments (0)

わたしの顔のひみつ

まりーさんの顔って、
ぼくのおばあちゃんが昔若かったころの顔に、
そっくりなんですよね。。。

って、顔をまじまじと見られた上、会社の先輩に言われました。

なんとも微妙な形容をしていただき、
わたしは答えようもなく、
ひたすらツボにはまって笑っておりました。

実は、こう言われたの初めてじゃないんです。
変な話、お葬式とかで見たことも聞いたこともない親戚の人に、
「もう亡くなりましたが、○○の孫です」
と自己紹介すると、
すっごい納得されるんです。

「面影あるよね」とか、
「そういやお母さんと似てるから当たり前か」とかとか。
(母は祖母にそっくり、わたしは母にそっくり、と言われている。真相は知らん。)

面影って。。。
おばあちゃんがいきなり若返ったわけでもあるまいし。

喜んでいいのか、違うのかよく分からん感じですが、
わたしの孫キャラっていうのはここに起因するんじゃないかなと、
妙に納得したのでした。

なんたって、おばあちゃんの若いころの顔、ですから。。。

Posted by fre9 at 01:36 | Comments (0)

2006年09月07日

極私的堕落論

これは読まねばならぬ、と思っていた本をついに手にいれ、
猛スピードで読んだ。

坂口安吾
『堕落論』

ほんの短い持論を展開した作品だが、わたしは感激に震えてしまった。
まさにわたしが考えていたことをそのままストレートに書きなぐった作品だった。
そして、安吾と同じ境地に立てたことを、なんとなく嬉しく思ってしまった。

以下、安吾に触発された、極私的堕落論を展開する。


安吾的に言えば、人間は生きている限り堕落していき、最終的に死を迎える。
だが、堕落が導いていく究極的な世界は、死とは限らない。
と、わたしは思う。
究極の世界の中の一つに、死の世界があるとすれば、
自ら死を選ぶということは、究極的な堕落となる。
とはいえ、普通の人間はその完全なる堕落の世界にはたどり着けない。
そんな勇気はないからだ。
それほどまでに、人間の意志というのは、
たとえそれがどんなに強いものだと自分で信じていたとしても、
弱いものなのだ。

それは他の境地においても然り。
堕落の道を突き進むには、並大抵でない勇気と、覚悟がいる。
そして多くの人間は、
沢山の平凡さとちょっぴりの非凡のバランスを取って生きていることからして、
バランスの一切を欠いた完璧な突進は、できない。

今ここで、何をしてもいい、言ってみれば生きるか死ぬかもあなたの自由、
と言われたとする。
そこで、はいそうですか、とすぐに何かの境地に突進できる者は果たしているのか。
人間は常に揺れ動いている生き物で、ひとところにとどまることはない。
地に足をつけてがちがちに固めているのは、
そうでもしなければ流動的な社会をまとめ、管理することができないからだ。

それを理性と表現しておくと、
人間は理性を持ち合わせているがために、自由にはなれないし、
反対に理性があるからこそ、自由を享受できている部分もある。
結局は多くの矛盾を抱えたまま生きている、その全てが人間であり、
白黒つけようだの、がちがちのルールでがんじがらめにしようだの、
そんなことを考えていること自体、人間性を失っている。
それは、機械の世界であり、プログラムの世界であり、人工的な産物の世界である。

そして、全てが整然とし、誰もが納得する行動や道筋を正統とするならば、
それに外れることは異端である。
異端はタブーだ。
そこから考えるに、人間は理性を持つ前に異端として生まれているのであって、
理性を身に着けていく過程で正統を目指し、また正統に縛られて生きていく。
触れることをタブーとされる人の欲(物理的な欲と精神的な欲両方)の世界は、
欲の積み重ねで作り上げられた人工物である正統によって、
オブラートに包まれ、ついには隠されてしまう。
言い換えれば、正統とは仮面を着た欲である。

もちろん、だからといって正統を敵視しているわけではないし(これでも割り切った)
正統を目指すことによって得ることも大きいことも認める。
ただ、やみくもに正統の世界を極め、その価値観しか知らないで生きていると、
自分が実は生きながら堕落に向かっていること、
またその堕落を食い止めるために良心の呵責という名の理性が働いていること、
そういう自分の中の正と負のせめぎあいすら感じないまま、
独り、
耐えなくてもいい孤独に耐えようとしてしまう。
そして耐えることを諦めたとき、
首の皮一枚分は残っていたかもしれない理性が剥がれ落ちて
もはや自力で自分を救うことすらできなくなる。

安吾の考えと、わたしの考えでは、
堕落することは悪いことではない、と思う。
むしろ当然のなりゆきだ。
自分が堕落の道を進んでいることを感じて、
それが嫌ならば正統への道を戻ればいいし、
戻ることすらも嫌ならばそのままいけばいい。
感じているだけでも、そこに理性が働くきっかけとなり、
自分の、自分または他人への良心の呵責の存在に気づく。

その理性をもしも邪魔と感じるなら、
自分の中の動物の勘に従ってみればいいじゃないか。
行き着く先で自分への責めの感情を感じたなら、
そこが自分の堕落精神と理性の着地点だ。
そして、そこからまたスタートし直せばいい。
堕ちたことを責める人は多くても、出直しを責める人は少ないだろう。

人は、堕落の世界を突き進むことを防ぐために、
理性によって構築されたさまざまな規定を適用する。
法律のように明文化されたものもあれば、
暗黙の了解もある。
わたしの好きな、武士道でさえだ。

それらが全て、究極の堕落を見越して創られたものであることを感じるとき、
(その究極さえ越えてしまうこともしばしばだが。)
それを創った人の、人間を見る目というのはすごいと思う。
人が突き進む堕落の境地はさまざまで、予測もつかない。
それをコントロールすることの難しさたるや、言及するまでもないことだ。

でも一つ言えることがある。
ここまで堕落だの理性だのいろいろ書いてきて、
いかにも突き放した言い方をしているが、
本当は、
『人間のことは人間にしか分からない』
ということなのである。
人間だからこそ、弱さから引きずり込まれる堕落の道を理解できるのであり、
人間だからこそ、そのどん底から救うことができるのだ。
『堕落論』とは、実は人間愛にあふれた、ヒューマニズム論である。

それが、安吾の『堕落論』を読んだ後の考察の結論だ。

おわり。

Posted by fre9 at 22:57 | Comments (0)

2006年09月06日

恋愛バトン(fromあまやん)

あまやんから、熱烈な?リクエストがありましたんで、
やってみます。
実は、結婚バトンは前にやったんだね。
全ての順序が逆な、fre9です。

さて、いきますヨ。
いつもあまりまともに答えませんが。
そこそこ普通に、そこそこネタ入れて、答えます。


Q1,いきなりですがあなたには今、恋人がいますか?  
 →います 笑 (そういうことか、リクエストの意味は!!爆)
  恋人っていうか、彼氏っていうか、常に闘い続ける同志っていう感じ。

Q2,これから自分は何人の人と付き合うことになると予想しますか?
 →え??

Q3,恋人を選ぶ時、最も重要視することは?
 →自分と波長(=電気信号)が合うかどうか

Q4,どんな性格の人が好み?
 →分かりやすいキャラクターで言うと、くまのぷーさんみたいな感じの人

Q5,デートの費用は、恋人とあなたならどっちが多く払いましょう?
 →割り勘でいいんじゃないでしょうか。。
   たまにはどっちかがちょっとだけ多めに払うのがバランスが良い

Q6,高い車持っているとか、どう思います?
 →そんな高い車持っちゃうと、普通に「送って♪」とか言って呼び出すだろうから、
   持たない方が身のためです。
   でも、ワーゲンのビートルは、別。あれは欲しい。(わたしが乗り回す)

Q7,誕生日は、覚えてくれてて当然?
 →覚えててほしいな、という感じかなぁ。もちろんわたしも覚えてる。
   あとね、30歳の誕生日を迎えた時には、
   おっきい○○の○○の花束を抱えてやってきてくれて、
  「30歳になったことを誇りに思うのだよ、fre9」と静かに語ってくれることを希望。
   (本気なのかネタなのか分かんない書き方だな。。)

Q8,付き合い始めた記念日は、毎年一緒に祝いたい?
 →お互いの都合が合えば、というより合わせたい、
   というよりわたしのスケジュールの問題なんだな、むしろ。。。よし、合わせる。

Q9,年齢は何歳までなら離れててもOK?
 →やっぱり、年上じゃなきゃ、無理。おじいちゃんはさすがにヤダですが。

Q10,恋人同士にもプライバシーはある?
 →あります。

Q11,やっぱり浮気は駄目ですか?
 →やっぱりダメです。

Q12,恋人が居ても、自分自身は浮気したい?
 →できません。わたしは無理ね。

Q13,恋人が嫉妬してくれたら嬉しい?
 →わたし嫉妬という感情がいやです。
   寂しいなら、淋しいと素直に言え!!と。その方が愛がこもってる。

Q14,恋人に束縛されることは喜び?
 →絶対絶対絶対絶対ぜったいぜったいぜったいぜったい・・・・・・・・
  嫌だ!!!!!!!!!!

Q15,恋人のお願いなら、大抵のことはOKする?
 →大抵のことはっていうのが怖いですね、この問いは。。。
   でも押し付けとかじゃなくて、相手が嬉しいと思うことはしたいです。

Q16,恋人には甘えて欲しい?甘えさせて欲しい?
 →甘えたい人ではあるけど、最近、甘えられるのも実はいいかもと思ってきた人。
   fre9的マニアック趣味を言えば、
   さりげなく自分を主張してみたんだけどfre9どうおもう?系が一番キマス。

Q17,正直、目の前で泣かれると弱いほうですか?
 →一方的に泣かれて、訳わかんなくて、頭にきて、
   そのまま置いて帰ってきちゃった。。。(かつて、です)

Q18,恋人のファッションは気にする?
 →基本的に似合ってればいいと思います。

Q19,髪型はどんなのが好き?
 →昔は長髪(が似合う外国人)が大好きでした。
   日本人で似合う人はいないと分かってから、とくにこだわりがなくなりました。

Q20,結婚を前提にお付き合いしたい?
 →前提ってなんかおかしいと思うのです。
   気がついたら一緒にいたっていうのが理想なのです。

Q21,どれくらいの距離の恋愛が良い?(地図上)
 →お互いの家のちょうど真ん中くらいの地点でデートしても、
   ちゃんと家に帰れるくらいの距離。

Q22,恋人と未来の約束(結婚は除く)をしたい?
 →わたしの30歳の誕生日には・・・(以下自粛)

Q23,恋人の身長は何センチ希望?
 →2mあります!とかじゃなければ・・・

Q24,何処の国の人と付き合いたい?
 →ロシア。実は昔から、けっこう気が合いそうな気がしてた。
   でも、たぶんどっちかが落ち込み始めたら二人で落ち込んで、
   死んでしまいそうな予感がするから、やーめた。
   
Q25,恋人とは毎日逢いたい?
 →会える状況があって、お互い会いたいなら逢っていいんじゃないかな。
   毎日会わなきゃならん、ということはない。
   逢える時に、逢いたい時に逢うのがいい。

Q26,相手とのデートは何処に行きたい?
 →お互いが好きな場所。落ち着くところ。

Q27,恋人になんて呼ばれたい?
 →ズバリ 「姫」 (嘘です。冗談です。)

Q28,恋人の家族は何人が良い?
 →何人でもいいけど、兄弟がいる人。

Q29,一人暮らししていたほうが嬉しい?
 →どっちかが一人暮らしっていうのは、好みじゃない。

Q30,恋人の煙草はどの程度OK?
 →わたし、もうこれ以上煙吸いたくないから・・・却下。

Q31,恋人のお酒はどの程度OK?
 →わたしが強いお酒に挑戦するのに付き合ってくれる程度でいいです。

Q32,守られたい?守りたい?
 →理想は、両方。

Q33,恋人のためなら何が出来る?
 →特に特別なことに限らず、
   相手がしてほしいと思ってるだろうことを、してあげるのが良いのかなと。

Q34,恋人に1番してほしいことは何?
 →内緒。

Q35,恋人とはどんな関係で居たい?
 →掛け算の関係。もしくは、ベクトルの関係。あるいは、ドライカレーの関係。

Q36,あなたにとって、恋人はどういう存在?
 →同志。

Q37,このバトンを回す5人のマイミク

 →もうみんなやりつくしてると思われる。

Posted by fre9 at 01:25 | Comments (0)

Freddie Mercury生誕60周年記念日

9月5日は、我が崇拝する(心酔する)Freddie Mercuryの生誕60周年記念日です。

http://www.toshiba-emi.co.jp/queen/freddie/

スペシャルサイトが立ち上がってました。
7日までの限定らしいです。

ま、ここのコンテンツのネタ、全て知ってるっていうマニアですがw

世界のクイーンファンが集まる場所でも、盛り上がってます。

http://www.queenzone.com/

今夜は飲むかな。
ウイスキーかな。

Happy Birthday Freddie!!

Posted by fre9 at 00:58 | Comments (0)

2006年09月03日

心を入れ替える

わたしは心を入れ替えます。
もう、社会的反抗期は終わりました。
否。
自分で終わらせました。

いつも周囲のことや体裁だけを気にして生きていた時にぶつかった壁。
結局偽善的なことや、偽りの感情に流されて自分を尊重していなかったころ。
ある人に言われた言葉がわたしを変えました。
その言葉は、自分との葛藤に苦しんでいたわたしを、楽にしました。

「いつでも優先すべきは自分自身だ」

また他の人からは、
「優等生の殻なんて、捨ててしまえ」
とも言われました。

誰が好きで優等生ちっくな人生歩むんだ。
わたしはそんな人間じゃない。
もっとどろどろした普通の人間なのに、わたしは世間では「出来た人」?

嫌になってしまったんです。
そんな生き方が。
誰がわたしになんと言おうと、その言葉を信じることができなくなった。

それで、オノ・ヨーコ的、自分本位人生を歩んでみようと思った。
今まで人を気遣うことは忘れなかったつもりだけど、
とにかく自分の感情に正直に生きてみることで、何が見えるのかを考えたかった。

でも、それはもう終わりにします。
わたしはその生き方のために、
その生き方を追求してしまったが故に、
ある人々を深く傷つけてしまった。
根拠のない誤解をされ、辛らつな言葉を浴びせかけられても、
わたしは文句は言えません。
わたしが、悪い。
本当は100%悪いわけじゃないけれど、
状況から考えたら100%と取られてもおかしくないんだ、という自覚を持ちました。

自分が思っていることは、
相手が考えていることと、イコールではない。
分かっているつもりだったのに、わたしは全く分かってなかった。

取り返しのつかないそのことを、取り消すことはできない。
わたしは心から謝って、事実をきちんと話し、潔白を誓ったけれど、
それを信じてくれる人は果たしてどのくらいいるのか分からない。
世間一般では誰も信じてくれないだろうということも分かった。
話せば分かる、なんて、簡単な物事の解決法でしかない。

わたしは一人で生きているわけではないのに、
いろんな人との複雑な関係性のなかで生きているというのに、
どこか「自分でがんばればなんとかできる」と思っている節があって、
それが全くもって無理な時もあることを、嫌というほど感じました。

どれだけの友人に支えられたことでしょう。
こんなどうしようもない状況に陥ってしまったわたしなのに、
それでも信じてくれて、心配してくれて、わたしは果報者すぎる。

ありがとうございます。ごめんなさい。

わたしがどんどん悪い状況になるということは、
せっかく信じてくれる貴重な存在である彼らに対し、失礼だと本当に思った。

親には話せていないけれど、ここまで愛情を込めて育ててくれた二人にも、
とんでもなく失礼だと思った。

ここまでにならないと気づかなかったということにもショックだし、
気がつけないよりか、やっと気がつけてよかったという気持ちもあるし、
いろいろな後悔や、自分への軽蔑感、この先見えている希望、
いろんな感情がごちゃまぜで、
はっきりいって今週はずっと考える。
恐怖におびえながら。

でも、わたしは潔白であることは両親と命にかけて誓う。
だからそこは堂々と生きる。
そしてきちんと自分で説明できるようにする。

自分の弱さに引きずられて、感情に振り回されるような生き方は、
もうやめようと思ったのです。
いくら自暴自棄になったからといって、本当に無謀なことをしてはいけない。
後悔しても始まらないけれど、あの時、少しでも冷静な眼が自分にあったなら。
この悔しさと心苦しさは、一生忘れません。

この重苦しいエントリーをあえて公開したのは、
自分への戒めです。
人間は辛いことほど忘れたがるから、
わたしは自分が忘れかけてると思った時にはこれを読み返し、
自分で世間に自分の生き恥をさらしたことを思い返し、
反省を重ねようと思います。


おわり

Posted by fre9 at 23:52 | Comments (0)

友人と再会。

今日は中学時代からわたしのことを知っている友人と、
5ヶ月ぶりくらいの再会をしました。
語りまくりました。
止まらなかったです。

職場のことや、面白い出来事や、
今まで溜めておいたことをぶわぁ〜っと吐き出した感じです。

彼女も、Iおじさんのことを理解してくれました。
わたしの友人は皆理解してくれるけど、
職場の人は全く理解してくれません。。
唯一理解してくれた人は、どこかにいっちゃったし。。

と、感傷に浸ってる場合じゃなくて、
久しぶりに女の子と話せたのがわたしは嬉しかった。
何とも言い表しがたいけど、
女の子と話すというのと男と話すとではだいぶ脳の働きが違う気がしている。
ぶっちゃけ、女性と話す方のが、
脳は活性化しているような気がするのはわたしだけか。
別に男と話しているときは頭使ってないわけではなく、
むしろ頭を非常に使いながら話していると思うのだが、
女性との会話は、話の飛び方もそうだし、受け突っ込みもそうだけど、
一瞬たりとも会話の間に隙間はないわけです。

あと、、、
なんか落ち着く気がする。
落ち着くというのは、安心感という意味で、落ち着くということだ。
職場には、割合として女性が半分いるはずなのに、
わたしのいる班は私以外全員男。。。
朝から晩まで、男所帯で仕事をやっていると、殺伐としますね。
でも女子高みたいな変な気の遣い方しなくていいから、良い部分もあるけれど。
毎日焼肉かスタミナ系のご飯を食べてた身としては、
今日行った、こじゃれた感じのカフェでのご飯は非常に久々で、
居心地が良かった。

あとわたしのことを良く分かってる人といると、
本当に落ち着く。
素の自分が出せるって良いことだ。
そんな居場所をこれから増やしていきたい。
明日行くオケもそう。
自分をねじ曲げて、あえて無理しなくても良い場所が欲しいから、
わたしは旅をする。
物理的にも、精神的にも。

いつでもわたしを分かってくれる友人がいることが、嬉しい。
こういうささやかな幸せを感じられることも、わたしは嬉しい。

Posted by fre9 at 01:33 | Comments (0)

2006年09月02日

最近は恋愛執筆志向症候群?

恋愛執筆志向症候群?
って書いてみたものの、
自分でもよく意味が分かりません。

最近は恋愛をテーマに作品を創ることが多いということです。
大した経験はしてないはず、、、
と思ったけど、わりと悲惨なことや、凄まじいことが多いんだなぁと思い返して、
そんなことがらをいくつか融け合わせて2000字くらいにまとめてみました。

で、投稿してみた。

なんか、センチメンタル。
でも良い思い出になりつつある時間の流れに感謝したくなった。
恋愛に限らず、いろんな人との出会いはわたしの宝物です。
自分が泣く思いをしようと、反対に人を泣かせようと、
そうやって悩んだり苦しんだ分、後で大きな幸せはやってくると、わたしは信じます。

良いときもあれば、悪い時もあるんだ。
そんなトーンで、まとめた文章。
会社帰りに2時間ネットカフェにこもって書いたとは思えないね(笑)

よし、集中力も出てきたし、良い傾向だ。
一時はへなちょこになりすぎて、救いようがなさそうだったけど、
もう一度、がんばりなおします。

Posted by fre9 at 01:16 | Comments (0)

考察『東電OL殺人事件』第二部

自由意思で自分の動物性、野獣性を転がしても良い状況を得た場合に、
果たしてどれだけの人が何のルールにも、しがらみにも縛られず、
自分を解放することができるだろうか。

ゼロとは言わないが極めて少ないとわたしは思う。

わたしも、きっと、無理。
ある程度まではできるのかもしれないが、
そのある程度まで行き着くのがそもそも大変だ。

Wの場合、そのきっかけが何であれ、
いずれにしてもどこかの街に立ったんだろうと思う。
一日4人の客を取るまで帰らなかったという彼女は、
自分の欲の解放の仕方が分からず、
結局は自分で作ったシステムの中に、自分を組み込むしかなかった。
これは別に特別なことではない。
たとえば、自分の武勇伝を披露したがる男がいるとして、
何人の大台に乗りました、とか、毎週何曜日はこの人で、とか
(いちいちわたしに言わんでもいいのに、とわたしは思ったのだが、、、)
そういう発言の中にも、実はシステムが働いている。
彼は、知らないうちに自分で自分をシステム化してしまっている。
そうすることでしか安心感を持てない、
一つ一つの大台をクリアすることで自分はレベルアップしたような錯覚を味わえる。

そう、錯覚なのだ。

錯覚でもいいから、
常にレベルアップしていたい。
そもそもレベルアップとはどういうことかも分かっていない状況なのに、
常に現状のままではいけない、現状を変えなければならない、と思う人たちが、
自分だけのシステムを作り上げ、その中で生き、満足感を得ている。


それはWだけではない。
容疑者とされたネパール人も同じだった。
他の人にとっては、はっきり言ってどうでもいい自分だけのルール(システム)に
これでもかというぐらいきっちりと則って生きていて、
ルールの延長線上にある目的を達成することで、初めて満足感を得る。
いや、得たような気持ちになる。

本の中では、二人は絶対に出会うことのなかった者同士だと書かれているが、
わたしはいずれ出会ったと思う。
それは両者が、自分で作った型に自分をはめこむことによって
生の満足感を得るタイプの人間であるからだ。

二つのシステムがある地点で交差して、素晴らしいプログラムが完成するのか、
それともエラーになってしまうのか。
この事件は、エラーになってしまったんだと思う。
そして、こういう論理で考えると、
自分だけのシステムに甘んじるということこそが、すなわち堕落であると考えられる。

本で引用されていた坂口安吾の堕落論。
「徹底的に堕落することこそが、真の堕落である」
という引用文に照らし合わせてみれば、
徹底的に堕落することというのは、
徹底的に自分あるいは誰かの決めたシステムに身を任せ、
偶発性への適応能力をなくした状態、と言える。

それは、岡本太郎的に言えば、
「必死に生きていない」状況だろうと思う。

わたしはどうか。

ある意味システムに身を任せてさえいれば生きていけた頃もあるし、
今は確実にそういう状況から逃げ出そうと考えているようにも思える。
個人的には、システムになど身を任せない、偶然性、偶発的な事象に直面し、
あれこれ考えて、もがいて、生きていく方が、好きだ。
それは自分がまず動物として、生命の危機があるということ、
それから人間として、精神的限界があるということ、
その二つを感じる瞬間は、まさにシステム化前のカオスであって、
「必死に生きる」ことでしか前に進めないからだ。

自分がヒト科として生きるにあたって、
今は本当にいろいろなことを考えなければならない。
考える必要がある。
自分の中の混沌とした動物的本能と、システム化された理性と直面することは、
まるで一筋縄ではいかなくて、
見なきゃ良かった、と思うほどの、
どうしようもない、情報量を前に、わたしは呆然とする時もある。

でも、わたしは生きている。

本当はWも、これと全く一緒ではなくとも、
似たようなことは感じてはいたんじゃないか。
直接知らない人だけど、わたしにはそう思えてならない。

今まで知らなかった、見ようともしなかった、自分の中の相対するものの存在は、
それまで自分が考えていた自分の存在意義を脅かす。
Wはその二項対立の狭間で、
本当の自分はどちらなのか、定義づけたかったのではないか。

本当の自分など、二項対立で語れるものではないのに。
二項のうちのある要素とある要素が混ざって、初めて一つの人格。
また別の要素の組み合わせが、あるコミュニティでも自分の位置づけ。
そうやって生きるいろいろな自分の集合体が、「自分」なのであって、
わざわざどちらかに決めなきゃいけないわけじゃない。
Wはどうしてもその辺りの白黒を付けたかった、
付けざるを得なかったのだ。
なぜなら、自分の内面のケモノの側面を知ってしまったから。
彼女は、自分と言うケモノと真っ向から対立して、闘おうとして、
死んでしまった。
それは、多くのほかの人間たちも、
薄々感じてはいたけれど認識はしていなかった、あるいはすることを拒んだ、
自己同士の対立だった。

「自己」というものが、理性を持ち、得体の知れないシステムを作る。
「自己」を持つことで、その人のキャラクターが創られる。

これは当たり前のことのようで、実は当たり前のことではない。
言い換える。
大脳を持つ人間としては、当たり前だけれども、
生きている生命体としては、当たり前とは逆行した運動、である。


至極個人的な見解を述べてきたが、
この本は、これまで書いてきたような非常に真面目なトーンで、
ある一人の女性が死んだ事件を、論理的に解明したものである。

裁判のシーンが結構あるため、
合理的に可能、だとか、
〜〜していないとは言い難い、だとか、
まどろっこしい表現も多いのだが、
全体的なテーマは、その事件を論理的に位置づけてみる試みであり、
実は最後まで結論など出ていない。
このエントリーのように、
一人のジャーナリストが勝手に考えて、勝手に感じた見解を、
「証拠」という、見る角度が違えば意味づけが変わってしまう浮遊体を元に、
論理づけた文章である。

ある視点から見た一つの事象を、
またある人がある視点から解明しようと試みる。

それは議論とは違って化学反応は起こせないけれども、
内的な小爆発くらいにはなりそうだ。

最後に、この本を紹介してくれたIさんにお礼を言いたいと思っていることと、
ここまで自分がバカ真面目に考えたことは久しぶりで、
なんとなく楽しかったことを付け加え、
終わりにする。

Posted by fre9 at 01:02 | Comments (0)

2006年09月01日

考察『東電OL殺人事件』第一部

ついに読み終わりました。

この本との出会いは、直接のきっかけはIさんなんだろうけど、
間接的にはメリーさんだったりするわけです。

長いノンフィクションを読み終えての感想は、一言では言い表しきれない。
この事件の被害者であるWという女性の気持ちは、
身を斬られるような感覚で、わたしの中に入ってきた。
それくらい、理解ができる。

この本の中に、こういう発言がある。
『女性ならば誰でも、自分をどこまでも貶めてみたい、
という願望を持っていると思うんです』

この本の中では、貶める=堕落、という大まかな定義づけがなされていて、
Wが、昼間のOL生活の傍ら、夜な夜な渋谷の街で身体を売っていたことを、
堕落、と表現している。

そもそも、堕落、とはどういうことなのか。

堕落とは、世の中で正しいとされている路線から外れることである。
では、世の中で正しいとされている路線とはなにか。
過半数、あるいは大多数の人間が幸福感を感じる状況を作り出す方向性、である。
一瞬たりとも、足元が揺らぐような不安感を覚えさせてはならない。

眼を覆いたくなってしまうような真実を、突きつけてはならない。

わたしは、Wはもっとも動物的嗅覚を持っていた人なのではないかと思う。
それは、身体を売っていたからとかそういうことではない。
それだけの理由じゃない。
自分が生きていると感じる瞬間が、
極めて動物的本能とかかわりの深い時だったのではないか、
と感じられるからだ。

たとえば、彼女は、性的欲望を満たすことで、
自分の生を感じていたとは考えられないか。
それから、彼女は、食べないことの飢餓感から、
自分が動物であることを感じていたとは考えられないか。

眠れない夜に、自分が睡眠に導入されていく過程を感じる時、
このまま自分は死んでしまうのではないか、
本当にこのまま自分は眠りに入るのか、
こういう思いにかられない人は果たしているのだろうか。
Wもまた、同じだったろうと思う。
この眠りの瞬間、というのも、強いていえば
自分が動物として一日のサイクルをこなしていることを感じる瞬間
であると思われる。

彼女の精神性や心の闇についてのフォーカスを当てた最後の部分は、
わたしにとっては、
「なるほどね」と感じる程度である。
彼女は精神を持つ以前に、まず人間であって、動物なのである。
動物は、3つの欲を持ち、それぞれのバランスの中で生きている。
大脳の発達した人間は、それら欲を、
意思というもので無理に抑え込むことができる。
間違っても、雄ライオンは雌ライオンを前にして
ライバルのいない状況でとっとと帰ることはしないだろうと思うから。

欲を野放しにしておけば、経済の理論にもあるように、
全てのものが枯渇する。
大勢の人間が共存するためには、欲のコントロールが必要だった。
そしてそのコントロールは人間の意思とは無関係に、
時間とお金のシステムに組み込まれていった。
人間は、システムに身を委ねてさえおけば何不自由なく生存できるようになり、
まず元々動物であることを感じる必要もなくなった。

そういう人間が、ある日突然、自分の動物性、野獣性に気づいたとき、
彼(あるいは彼女)は非常に動揺することだろう。
それらへの対処方法のマニュアルはない。
そこで初めて、彼らは自由意思選択の権利を行使できる。
ただ、どうやって自由である権利を使えば良いのか分からない。
そこで人間はもう一度秩序を決めてシステム化してしまおうとする。
そのほうがはるかに楽だから。

Posted by fre9 at 01:30 | Comments (2)