無事帰還したのは昨日の夜遅くの話だったのですが。。
帰りの高速道路が嵐で、本当に恐怖で、
精神的にまいるほど怖かったからなのか、
ものすごい疲労感でいっぱいだった。
今日はのうのうと過ごしました。
今回の旅は、数年ぶりの家族旅行だったわけですが、
今まで散々親不孝をしてきた(現在も、という疑惑もあるが・・・)わたしは、
某コンテストでもらった賞金をそのまま提供し、
インターネットでお宿も予約し、
移動中の、ナビゲーションもがんばりました。
ちょっとは親孝行したかなと、自画自賛してみます。
カーナビのついていない我が家の車は、
運転手(父)がわりと方向を考えずに運転するため、
よく迷います。
で、わたしが後ろから、突っつくのです。
「次の信号を左折、それから3番目の交差点を右折!」
みたいな。
車はもはや3年間運転しないまま免許の更新をしてしまったが、
地図だけは読める。
地理の成績は悪かったけど、地図を読むことと方向感覚には、
若干人より自信がある。
今回も、まず関越自動車道にのるために練馬インターまで向かう途中、
早速迷った。
環八で、おろおろしだした我がfre9父。。。
わたしは東京地方の地図を開いて、必死に現時点を探し、
インターチェンジまでの道筋を解読したのでした。
そうやって地図を見ていたら、おや、と気がついた。
見覚えのある地名がずらずらずら・・・
わたしは思いました。
(この住所、、、っていうか、この町名は、
もしや、某友人の住んでいるところに限りなく近いんでは??)
実際本当に限りなく近い場所にいたらしいんですが、
わたしは右に行けと言ってるのに、左に行こうとする父を必死に説得し、
無事に高速道路まで向かわせるのに必死で、
「どうよ?」っていうメールを送るどころじゃありませんでした。
のれて良かったね、高速道路。
今回の旅は、家族旅行の意味合いもあったけれど、
わたし自身、いろいろ考えたいのもあって、
一人でぼーっと考え事をしていることもありました。
8月1日の政変(っていうと聴こえはいいな)で、
自分が一体何がしたかったのかよく分からなくなってしまったのもあって、
自分はどういうものに幸せを感じるんだろうとか、
何に怒りを感じて、何に失望しているかとか、
ぼんやりいろんなものを見てみることにしていた。
ナウィンさんと話した内容や、
ちっちゃい子たちのかわいらしいパレード、
隙間だらけだけど真っ白い歯をいっぱい見せて笑う農家のおじさん、
隠れ家のような宿でバイトとして働く学生みたいな仲居さん、
慣れない手つきで普段しないような綺麗な梱包を一生懸命してくれた店員さん、
この人たちの表情はみんな本物に思えた。
濃淡がくっきりと現れた東山魁夷の画のような稜線や、
ひたすら続くたんぼを見たら、
日本って実は広かった、ということを実感したし、
こういう自然の中に一人ぽっちで身を置いてぼんやり眺めていることでさえも、
嘘物や作り物の中に生きる普段の生活よりずっと本物なんじゃないかとさえ思った。
当たり前だ。
自然の中にいるんだから。
結局、モノの本物の姿というのは自分の眼や耳、肌で体感しないことには、
分からない。
想像の世界で思いを巡らしたとしても、
それは創られたものであって、本物の姿に触れたことにはならない。
それを疑似体験させることをわたしは今やっているんだ。
疑似体験自体は良いと思うし、わたしも嫌いじゃないし、
むしろその世界に浸っているんだと思うけれど、
少しダイレクトな体験から離れすぎた。
わたしの思考を伝える媒介として何かを挟むことをしすぎて、
伝わらないことや上手に伝えられないこと、
そして周囲の環境からも
時間と手間のかかる直接的な情報発信と受信を簡略化することを求められ、
直接対面の過程よりも、ダイレクトな結果を重要視することに慣れてきて、
それを人間関係にまで落とし込みそうになっていたような気がする。
人間の五感の一つ以下のコミュニケーションしかしない毎日が続くと、
こうも疲れるのかと思った。
そういう理由もあって、これからわたしは色んな場所に手を出し足を伸ばし、
もっと色んな人に直接出会って、直接話して、直接何かを感じたい。
間接的な何かが入るとそれはもはやそれそのものの姿ではない。
もちろん世の中から間接的な表現や間接的なコミュニケーションを排除したら
成り立たなくなることも分かっているし、
必要なことも分かっているけれど、
必要以上に間接的にはなりたくないと今は思っている。
結局、ずっと考え続けて結論は出なかったのだが、
自分を客観視した上で言えることは、
今の自分がすべきことは、
人を信じようと努力することと、
人や物事を自分の眼でしっかり見て、聞いて話す努力をすること、
これらに他ならないのかなと思う。
かなり大変なことだけど、
今が一番大事なことは分かってる。
ゆっくり考えてゆっくり進んだって、誰も文句を言う人はいないから、
きっと自分は良い方向に進んでいくんだと、自分で自分を信じてあげようと思う。