人を育てるということには、
コストも時間も、労力もかかるし、
何かが犠牲になる。
と考えているなら、誰も、育てる気持ちにはなれない。
犠牲と思っている間は、
そのような心からの感情は浮かばないだろう。
犠牲と考えてしまうには理由がある。
その組織、人が重きを置く価値が、「育てる」こと以外に向けられているからだ。
だから自分の世界の聖域が、不可抗力によって崩されてしまうことは、
言ってみれば犠牲だ。
組織が人を育てるというのは、どういうことなんだろう。
犠牲と思うのが嫌なら、犠牲をなるべく減らせばいい。
そういう組織の方針転換によって、
いとも簡単に、誰かの将来につながる軸がゆらいでしまう。
いくら叫んでも、その軸を元に戻すことはできない。
人は、犠牲をなくすために新たな犠牲を作り出す。
人が人でいるかぎり、
犠牲と言う言葉はなくならない気がする。
一体どうなっていくのかまったく見えないまま、
犠牲をエネルギーに変える方法を考える。