大衆性と芸術性、
文学で言えば、直木賞と芥川賞の違い。
この二つを作品の中で両立させることは果たしてできるのだろうか。
そもそも大衆性ってなんだ。
読みやすさとか、理解のしやすさとか、臨場感とか。。。
対象とする人々の間口はさまざまだから、
どこかしらに引っかかる要素を散りばめて、
みんながどこかに面白みを感じるものなのか。
じゃあ、芸術性ってなんだ。
それは独りよがりなのか。
とてもニッチな間口を持つ人々に向けた、
極めてニッチな部分に特化したものなのか。
特定の人にとっては良くて、特定の人にとっては拒絶したいものなのか。
わたしは今まで芸術性のことばかり考えてきて、
自分の世界を作り上げようと必死になってきた。
でも、そもそもこの無関心で閉鎖的になっていく周囲の環境を、
どうにかして変えてやりたい、
どうにかして変えてしまいたい、
というおこがましくも大きな目標がある上では、
一つの固まった世界だけに固執したことをするのではなく
それをいかにポップにカッコよく見せて、
さらに次世代スタンダードたる雰囲気を醸し出させるかを考えなければならない。
それは、その目標を持ち続ける限り、マストである。
その中に、また世界観を構築しようとすると、わたしの場合、上手くいかない。
客観的に自分の生み出したものを見ていると、そういう結論になる。
わたしはおちゃらけてるならおちゃらけた雰囲気で、
どうでもいいならどうでもいい雰囲気で、
肩の力を抜いてしまった方が、一本の筋を通せるみたいだ。
意外な結論だった。
今まで上手くいった作品は、皆、そうやって肩の力が抜けていて、
くだけていて、言いたい放題言って、最後は良い事言っちゃいました系だったりする。
それの何が良かったのか分からないけれど、
きっとわたしの良さはそれなんだ。
就活の最後、わたしが至った悟りに、
結局本音をぶちまけてる自分の方が面接相手にとっては面白かったんだろう
というものがあって、
今のわたしが生きてる道でも、きっとそれはそうなのかもしれない。
そんなことをふと思った。
じゃあ、これから思いっきり、肩の力抜いてやろうじゃん。
くだけてやろうじゃん。
高尚なことなんて言わない。
それは真ん中過ぎた終盤あたりで一言だけバシっと言ってやる。
最後までぐるぐる回って、何がなんだか分からないけれど、なんか良かった
っていうものにしてやろう。
だから、今書いてる自己PR書も、堅いことなんて書かずに、
Tさんが引っかかるポイントを押さえて、のほほんと書いてみようと思う。
ここ数ヶ月の思考も、最後にきてここで吹っ切れまくりました。
今後につづく、