2006年07月23日

黒澤明「酔いどれ天使」

相当初期の映画です。
「三船敏郎が黒澤映画に初出演した」並の古さです。

ちら見した母の台詞:
「まーた、あんたはそんな年寄りくさい映画観て。。やんなっちゃうわ、まったく。」
その1秒後、
画面の(めっちゃ若い)三船敏郎に目を奪われた母の台詞:
「あらー、三船敏郎が若い!やっぱりかっこいいわねぇ。これじゃモテて当然だわね」
見入ってました。

娘:ひらすら苦笑・・・しつつ、画面に食い入る。

だって、音声が途中聴き取れないんだもん(笑)
古さをひしひしと感じました。
ついでに途中、今では当たり前の人物合成を、
フィルムを重ねてがんばってやってたあたり、
時代のギャップを感じるとともに、黒澤明の凄さを知る。
製作は1948年。
撮影を考えたらその1,2年前にはこの話の構想や画コンテはできていたわけで、
その中で
「同じ人物を、一つの画面で同時に走らせる」
という見たこともないイメージをなんとか画にしようと試行錯誤を巡らしてる。
技術がないなりに工夫して、自分の頭の中のイメージを具現化しようとしている。
その根性とチャレンジ精神を本当に見習いたいと思う。

今作で黒澤映画は3作目となりますが、
わたしなりに感じた黒澤映画の描くテーマを以下に書きたいと思います。

黒澤明という人ほど、
「人間」と真正面から向き合っている監督を見たことがない、とわたしは思います。

人間にはいろいろな面があって、
良い面も悪い面もある。
それは皆分かっていることではある。
だけど、人間の暗い部分、黒い部分からは目を背けたくなるのも、
それもまた人間だと思う。

人間愛の美しさは誰もが理解できる。
しかし、人間の醜さは一部の人は理解できても大方の人は理解し難い、
言い換えれば理解したくない(=理解するのが怖い)ものである。

黒澤明は、その誰もが怖がる人間の闇の部分に特に焦点を当てている。
焦点を当てて描き出してそれでどうだ、というわけでもないが、
「こういう部分、あんたにもあるでしょ。かっこつけたって無駄というものですよ」
というメッセージを感じてならない。

だから彼の描く決闘シーンは本当に見っとも無いものが多い。
いや、言い換える。
決闘シーンにロマンを感じている人にとっては、
非常に見っとも無いシーンだと感じるだろう。

何しろ殺す側も殺される側も、情けないほどかっこ悪いからだ。

今のところ、刀とナイフによる決闘シーンしか観てないが、
おそらく黒澤明は銃による決闘シーンにおいても、
一発で決めさせずに何度も撃ち損なわせ、
結局取っ組み合いさせるんだろうと予測している。

それくらい、決闘者たちはお互い逃げ腰で目を見開いて、
相手への威嚇と恐怖に満ちた視線を発しながら、
死にたくない恐怖と闘っている。

中学生になった時やそれ以前から、
極限状況に置かれた人間の姿というものに
なぜか関心を惹かれる性質だったが、
その理由がだいたい分かったような気がする。

災害やパニック映画で描かれる人間模様というのは
たいてい美談で完結するのだが、
黒澤映画の場合、それは決して美談にはならない。
確かに美談もあるにはあるが、美談として描いていない。

結局、人間てこういう生きもんなんじゃないですかね。
あなただったらどうしますか。どうしようもないでしょう。
こんな八方塞の状況だったらさ。

そんなメッセージを含めた極限状態を描いた後に、
やっぱり、人間には○○が必要なのだ、と説く。

それが信頼であったり、愛であったり、
今回は理性であったけれども、
人間が人間を維持し、信じあうために拠り所とするしかない漠然とした何か、
に帰結するのである。

そしてわたし自身、その何かに救われたかったんだと思う。
今も、救われたいと思う。
状況は10年前と大きく変わっているのに、
心境は10年前の何ら変わっていないらしい。

「何か」を描くために、
美談を美談らしく描く監督もいれば、
本当にしょうもないどす黒い人間を描く監督もいる。

前者ではすっきりと救われた気持ちになれるけれど、
後者ではどんよりと気持ちは落ち込む。
だけど、わたしはやっぱり後者の方が好きだ。
特に黒澤明のような、人間の情けなさを描ける監督の方が好きだ。
そして、そんな作品を創れる人も好きだし、わたしもそうでありたい。

綺麗なものは綺麗なものでいい。
でも、綺麗とは対極的な位置にあるものを知ることで、
ものの綺麗さのあり難さをしっとりと感じることのできる。
そういう生き方のほうが、わたしはいい。

Posted by fre9 at 2006年07月23日 02:07
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