2006年07月29日

ありがとうございます。

今日で、23年生きてることになります。
無事、生誕23周年を迎えることができました。

そして今日という特別な日を、
さまざまな形でさまざまな人たちから祝福してもらい、
わたしは幸せ感でいっぱいです。

日付の変わった瞬間、
わたしは気持ち的にどん底にいました。
車が少なくなった国道一号線沿いをとぼとぼ歩いてました。
エアロスミスの激しい曲をガンガンに聴いて、
悔し涙をこらえてました。

結構叫びたかったんです。
このやろー!!と。

でも、誕生日の日を涙で迎えるのは忍びなく、
絶対に泣くものかと思いました。
自分の力ではどうすることもできない、
抗うことのできない力に対抗することもできない、
そんな悔しさにまみれたまま、一日過ごすのは嫌でした。

今日は一日、悲しい顔などするものかと思いました。

そうやって考えていたら、
同期から祝福メールが届きました。
家に帰ってパソコンを開いたら、
いろんな人がメッセージをくれていました。

もう数ヶ月も会っていない人たちが、
わたしのことをちゃんと覚えていてくれて、
見守ってくれていて、
今のわたしを応援してくれる。

一夜明けて、大親友と電話で少し話しお互いの元気を報告し合いました。
わたしも彼女も、遠く離れていてもお互いのことをいつも考えている。
だから、親友なんだ。

その後、いつもわたしがてんぱっていようが混乱していようが、
真のわたしを見ようとしてくれるある人から、
気持ちのこめられたメッセージをもらって、
ちょっと涙ぐんだ(見えてなかったことを祈る)。

今日一日で、わたしは感謝し足りないくらいのことを、
してもらいました。
誕生日に感激して泣いたのは16歳の時。
そのときに匹敵するくらい、今日は感動して、嬉しくて、
本気で生きててよかったと思いました。

友達や人とのつながりによってわたしは生きているし、
反対に他人に対してのわたしの存在もそうであるんだろうと、思った。

そして念願の、チベットのお坊さんたちを観に行って
わたしは見たことのないものを見てきました。

人間の生から死を体現するような曼荼羅を、
多くの人に見つめられながら造る、僧侶たち。
砂を細い管を叩いて少しずつこぼし、
多くこぼしてしまったら吸い取り
(その際もガーゼで口をつける周りを覆い、決して直接息で吸い取らない)
一つ一つを丁寧に作り上げていく姿を見せてもらいました。
でも、せっかく完成したものは数時間したら壊してしまって、
水に流してしまうのです。
そういう流転を繰り返して、彼らは修行を積み重ねていっている。

仏陀が開いた悟りの前では、
わたしの煩悩も、人間の営みも、
ほんのちっぽけなものにすぎないのだろうけども、
そういうものの積み重ねで生きているのが人間なんだと思います。
どんなに小さいことにでも価値を見出して、
大切に思う気持ちだけは忘れないようにしたいと思います。

煩雑で殺伐とした毎日を送る中、
わたしが唯一の価値を置けるものは、それしかないのかもしれない。
だから、わたしはそれをずっと大切にしていきたい。

そんなことをもう一度思い起こさせてもらった、誕生日でした。

わたしに元気と勇気と安心を与えてくれる人たちに、
いつもにも増してお礼を言いたいと思います。

ありがとう。

後日談:
明日、家族がお祝いしてくれるらしいけど、
自分で自分の誕生日ケーキを買いにいくらしいから、
なんかサプライズでもやってやろうかと思っています。

Posted by fre9 at 2006年07月29日 23:39
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