今日で、23年生きてることになります。
無事、生誕23周年を迎えることができました。
そして今日という特別な日を、
さまざまな形でさまざまな人たちから祝福してもらい、
わたしは幸せ感でいっぱいです。
日付の変わった瞬間、
わたしは気持ち的にどん底にいました。
車が少なくなった国道一号線沿いをとぼとぼ歩いてました。
エアロスミスの激しい曲をガンガンに聴いて、
悔し涙をこらえてました。
結構叫びたかったんです。
このやろー!!と。
でも、誕生日の日を涙で迎えるのは忍びなく、
絶対に泣くものかと思いました。
自分の力ではどうすることもできない、
抗うことのできない力に対抗することもできない、
そんな悔しさにまみれたまま、一日過ごすのは嫌でした。
今日は一日、悲しい顔などするものかと思いました。
そうやって考えていたら、
同期から祝福メールが届きました。
家に帰ってパソコンを開いたら、
いろんな人がメッセージをくれていました。
もう数ヶ月も会っていない人たちが、
わたしのことをちゃんと覚えていてくれて、
見守ってくれていて、
今のわたしを応援してくれる。
一夜明けて、大親友と電話で少し話しお互いの元気を報告し合いました。
わたしも彼女も、遠く離れていてもお互いのことをいつも考えている。
だから、親友なんだ。
その後、いつもわたしがてんぱっていようが混乱していようが、
真のわたしを見ようとしてくれるある人から、
気持ちのこめられたメッセージをもらって、
ちょっと涙ぐんだ(見えてなかったことを祈る)。
今日一日で、わたしは感謝し足りないくらいのことを、
してもらいました。
誕生日に感激して泣いたのは16歳の時。
そのときに匹敵するくらい、今日は感動して、嬉しくて、
本気で生きててよかったと思いました。
友達や人とのつながりによってわたしは生きているし、
反対に他人に対してのわたしの存在もそうであるんだろうと、思った。
そして念願の、チベットのお坊さんたちを観に行って
わたしは見たことのないものを見てきました。
人間の生から死を体現するような曼荼羅を、
多くの人に見つめられながら造る、僧侶たち。
砂を細い管を叩いて少しずつこぼし、
多くこぼしてしまったら吸い取り
(その際もガーゼで口をつける周りを覆い、決して直接息で吸い取らない)
一つ一つを丁寧に作り上げていく姿を見せてもらいました。
でも、せっかく完成したものは数時間したら壊してしまって、
水に流してしまうのです。
そういう流転を繰り返して、彼らは修行を積み重ねていっている。
仏陀が開いた悟りの前では、
わたしの煩悩も、人間の営みも、
ほんのちっぽけなものにすぎないのだろうけども、
そういうものの積み重ねで生きているのが人間なんだと思います。
どんなに小さいことにでも価値を見出して、
大切に思う気持ちだけは忘れないようにしたいと思います。
煩雑で殺伐とした毎日を送る中、
わたしが唯一の価値を置けるものは、それしかないのかもしれない。
だから、わたしはそれをずっと大切にしていきたい。
そんなことをもう一度思い起こさせてもらった、誕生日でした。
わたしに元気と勇気と安心を与えてくれる人たちに、
いつもにも増してお礼を言いたいと思います。
ありがとう。
後日談:
明日、家族がお祝いしてくれるらしいけど、
自分で自分の誕生日ケーキを買いにいくらしいから、
なんかサプライズでもやってやろうかと思っています。