今日はたまたま文脈について話す機会があったので、
文脈のなかに生きる、ということを書いておこうと思う。
わたしがなぜ創作にコトバを使うかと言えば、
それはコトバが文脈を必要とするものだからである。
コトバはそれ単体で存在するものではなく、
その前後のコトバないしは文章によって、
本来の意味に新たな意味を付加されながら意味づけされていく文脈の中において、
初めて存在意義を持つ。
そうして集まった文や、文章というものも、
周囲の文脈によって多義的解釈をされうる形になっていく。
コトバに焦点を当ててしまうとミクロになりすぎてしまうので、
マクロな見方をしてみると、
人間それ自身も、文脈の中に生きていると見れば、そうだ。
人間の行動、出来事、人生と俯瞰する位置を高めて行くにしたがって、
文脈自体もマクロ化していき、行き着く先は、歴史である。
今日電車に乗っていて、
ふと思った。
電車に乗って、この位置に座り、
前ではしゃぐ子供たちを、
「おねぇさん、ちょっと頭痛いからもう少し静かにしてくれるといいんだけどなぁ・・・」
なんて思うこのわたしの存在も、
なぜ頭が痛くなったのか、ということや
その後爆睡して血迷って横浜で降りてしまったことの間にある事象である。
そしてこう思ったという出来事が持つ意味というのは、
その前後によって、それ単体よりももっとリッチな意味がついていくことになる。
本当はその文脈というもの自体を表現できればいいのだが、
文脈としての表現というのは手段にしかならず、
いわばコンテンツを文脈に載せなければならない。
そして、わたしはミクロ、マクロな文脈の中に
自分の世界観を突っ込もうとしているわけである。
世の中に存在するあらゆる文脈を観ていくと、
大変おもしろい。
これからは、人間観察よりも文脈観察に専念してみようか。