一晩わめきつづけました。
一晩飲んでしまいました。
一晩ぐっすり寝てしまいました。
そして、朝になりました。
わたしの気持ちは軽くなっていました。
朝、駅に着いたとき、ふと何の気なしに、こう思った。
「理由なき反抗は、もうやめよう」
わたしは、この際、自分を根本から変えようと思ったんです。
変えるというと「無理」という人がいそうだから言い換える。
今の自分の根っこの部分をじっと見て、
物事の表と裏を見て、
違う立場に立って考えるということを、
今更ながら自分の中で徹底させていこうと思ったんです。
そもそもの始まりは、大学時代の大きい挫折であったと思う。
グループワークのときに、
幾人かの人たちの立場のことと自分の立場の狭間で苦しんで、
独りでぶっ倒れて、
結局グループを解散させてしまった。
あの時、混乱して何も手も足も出せなくなっている状況のわたしに、
ある人は言いました。
「いかなるときも、自分のことを優先するんだ」
捉えようによっては傲慢とも取れるこの言葉に、
当時のわたしは救われました。
それからまたゼロからのスタートを始めた時も、
この言葉とその人に感謝をして、そして走り続けました。
でもこれは当時だからこそ、成り立ったものだということを
わたしは忘れていたのです。
何事も考えすぎて何もできなかったわたしは、
そういう自分が嫌で嫌でたまらなくて、
その事件の後から、
あらゆるしがらみを考えずに、自分の気の赴くままに生きてきました。
それで楽しかったこともあるし、人を傷つけたこともあったけれど、
わたしはとにかく、誰になんと言われようと、
自分に忠実に生きたと思います。
生きすぎたくらい。
その経験は、自分で否定もしないし、
今考えるとしてよかったと思う。
そして、社会人になったわたしは、大きな壁にいきなりぶつかりました。
訳が分からなくて、
だれも説明してくれる人もいなくて、
考えても何がどうなっているのか見えなかった。
わたしは、わめきました。
わたしは、叫びました。
泣きました。
ここ1ヶ月半ほど、わたしはそれしかしていないんじゃないかと思います。
そんな時、一人の人物に会いました。
偶然の出会いでした。
映画館でたまたま隣同士で座った中年の男性。
その人は言いました。
「望遠鏡を持って、物事を違う角度から見るんだよ」
半月前のわたしには、その意味が分かりませんでした。
なんとなくは分かっていたけれど、
実はよく分かっていませんでした。
でもそれが、昨日から今日にかけて、
まるで霧がすーっと晴れるかのようにわたしの中に入ってきた。
どういうわけか分からないけれど、
朝になったらいきなり、
自分がさしたる理由なく好き嫌いでわめき散らして一人でぐるぐる回っている、
という姿が一瞬にして理解できたのです。
それで、そんなことを繰り返している自分自身が、ばかばかしくなりました。
自分の殻をこれでもかと守っていたのは、
外界が怖かったから。
辛い現実を見て、自分が傷つきたくなかったからだ。
特定のものからいつも逃げていて見もしなかったことを、
昨日の夜観たあの「地獄絵図のような光景」(←その時は本気でそう思っていた)と
照らし合わせて考えてみたら、
じつはそれは地獄絵図なんかではなくて、
巧妙に仕組まれた茶番劇でもあり、
それに自分の運命をかけるしかないある人間の哀しさの象徴でもあった。
わたしは、今朝になって、初めてその人物のことを理解した。
今まで考えも付かなかったようなイメージと共に。
好きとか嫌いがあるのは当然だし、
自分の中でそういう基準は持っておいていいと思う。
いや、むしろ、こういう職についているからこそ、そういう感性は大切にすべきだ。
だけど、一瞬嫌いと思ったからといって、
一部分納得しなかったからといって、
全否定するのは間違ってる。
今まで、親はそのことをずっとわたしに言ってくれてたんだと思うけれど、
なにしろ上手くいってないものだから聞く耳さえ持ってなかった。
そしてIさんがわたしに比喩を用いて代わりに言ってくれて、
そして昨夜わたしのガン切れに付き合ったある友人も、
その時は黙ってたけど分かってたらしい。
わたしは、やっと、気づきました。
この好き嫌いの激しい性格は中学高校から変わらなくて、
これでもまだ良くなった方だけど、まだ良くはない。
道のりは長いかもしれない。
でも、今のわたしには心がけるべき必要もあって、
それがきっと自分を広くしてくれると、今は心の底から思える。
今、もう一度、Iさんからの手紙を読み返すと、
昨日起こった出来事のすべてに関して言えることが全部、書かれている。
もう十分だ。
わたしは、ここから、もう一度スタート地点から歩き始めて、
今度こそ自分の眼でちゃんと見つめていけるようにする。
今までのゆがんだレンズは手には持っておいて、
いろいろなレンズを付け替えて生きていこうと思う。
わたしの社会人生活の本当の4月は、今、始まったような気がする。