今日で、23年生きてることになります。
無事、生誕23周年を迎えることができました。
そして今日という特別な日を、
さまざまな形でさまざまな人たちから祝福してもらい、
わたしは幸せ感でいっぱいです。
日付の変わった瞬間、
わたしは気持ち的にどん底にいました。
車が少なくなった国道一号線沿いをとぼとぼ歩いてました。
エアロスミスの激しい曲をガンガンに聴いて、
悔し涙をこらえてました。
結構叫びたかったんです。
このやろー!!と。
でも、誕生日の日を涙で迎えるのは忍びなく、
絶対に泣くものかと思いました。
自分の力ではどうすることもできない、
抗うことのできない力に対抗することもできない、
そんな悔しさにまみれたまま、一日過ごすのは嫌でした。
今日は一日、悲しい顔などするものかと思いました。
そうやって考えていたら、
同期から祝福メールが届きました。
家に帰ってパソコンを開いたら、
いろんな人がメッセージをくれていました。
もう数ヶ月も会っていない人たちが、
わたしのことをちゃんと覚えていてくれて、
見守ってくれていて、
今のわたしを応援してくれる。
一夜明けて、大親友と電話で少し話しお互いの元気を報告し合いました。
わたしも彼女も、遠く離れていてもお互いのことをいつも考えている。
だから、親友なんだ。
その後、いつもわたしがてんぱっていようが混乱していようが、
真のわたしを見ようとしてくれるある人から、
気持ちのこめられたメッセージをもらって、
ちょっと涙ぐんだ(見えてなかったことを祈る)。
今日一日で、わたしは感謝し足りないくらいのことを、
してもらいました。
誕生日に感激して泣いたのは16歳の時。
そのときに匹敵するくらい、今日は感動して、嬉しくて、
本気で生きててよかったと思いました。
友達や人とのつながりによってわたしは生きているし、
反対に他人に対してのわたしの存在もそうであるんだろうと、思った。
そして念願の、チベットのお坊さんたちを観に行って
わたしは見たことのないものを見てきました。
人間の生から死を体現するような曼荼羅を、
多くの人に見つめられながら造る、僧侶たち。
砂を細い管を叩いて少しずつこぼし、
多くこぼしてしまったら吸い取り
(その際もガーゼで口をつける周りを覆い、決して直接息で吸い取らない)
一つ一つを丁寧に作り上げていく姿を見せてもらいました。
でも、せっかく完成したものは数時間したら壊してしまって、
水に流してしまうのです。
そういう流転を繰り返して、彼らは修行を積み重ねていっている。
仏陀が開いた悟りの前では、
わたしの煩悩も、人間の営みも、
ほんのちっぽけなものにすぎないのだろうけども、
そういうものの積み重ねで生きているのが人間なんだと思います。
どんなに小さいことにでも価値を見出して、
大切に思う気持ちだけは忘れないようにしたいと思います。
煩雑で殺伐とした毎日を送る中、
わたしが唯一の価値を置けるものは、それしかないのかもしれない。
だから、わたしはそれをずっと大切にしていきたい。
そんなことをもう一度思い起こさせてもらった、誕生日でした。
わたしに元気と勇気と安心を与えてくれる人たちに、
いつもにも増してお礼を言いたいと思います。
ありがとう。
後日談:
明日、家族がお祝いしてくれるらしいけど、
自分で自分の誕生日ケーキを買いにいくらしいから、
なんかサプライズでもやってやろうかと思っています。
仕事で大変そうにしているけれど、
実はそこまで大変そうでもなかったりする。
大変なことは大変なんだけれど、
自分ではまだ大変じゃない方だと思っている。
大変そうにしていることというのは、
何となく美徳であるらしいから。
最近人と話していて思うのは、
皆、いかに自分が大変かをアピールしては、
相手の方が楽で苦労してない、自分の大変さを分かってない、と言いたがる。
でもこれ、あまりに配慮に欠けた発言なんじゃないかと思う。
自分だけが大変だと思いたい心理は理解できる。
わたしに比べたらあの人は恵まれてるよと卑屈な気持ちになったことだってある。
だけど、恵まれてるといわれた人だって、
それなりに苦労していて大変だと思いながら毎日生きていることを、
そういう発言をする人は考えていない。
わたしだってそう言いたくなる時があるし、
言ったこともあったと思うから、
あまり責められたものじゃないけれど。
同業他社ならともかく、
他業種他社であるならば
他業種の特徴なぞを体験したこともないのに、
あんたは楽だ、と簡単に言い切るのは危険極まりない発想だとわたしは思う。
自分だけが死ぬ思いをしてると思うのは、その人次第だからいい。
そしてそういう環境を作ってしまっている一因に自分がいるとしたら、
それはわたしだって考えるべきだ。
実際これを書こうと思ったきっかけになった出来事では、
わたしはその一因にかすりもしないのだが。
でも、それを周りに当り散らすのにはわたしは賛同できない。
あんたは気楽だからいいね、と言われた方は、
「あなたに何が分かるんですか」
と言いたくなるし、
言った側だって何もトクをしない、非生産的な発言だ。
働いているということは、
自分の思うとおりにならないことに必ずぶち当たるんであって、
それを受け入れないことには前に進めない時だってある。
飲み込むのに時間がかかるのはいいとして、
他の人が何の苦労もなく楽しく生きてるなんて決め付けるのは、
おかしい。
職種の数だけ、苦労の種類がある。
職種の数や、そこで働く人の数だけ、職業の楽しみがある。
それを解決して見つけていくのは、自分しかいない。
だけど、、、
これは日本だからなのかどうなのか知らないけれど、
大変そうに生きてることで人から一目置かれるというか、
そういう姿勢を見せて初めてがんばっていると見なされるような風潮があるように
思えてならない。
でもわたしの感覚では、
いかにも大変そうにひいひい言うのって、かっこ悪い。
深くは書かないが、
一生懸命がんばっている姿勢というのと、
自分で自分の首を絞めて頭が爆発している状態というのは、違う。
わたしは一生懸命やってます感を出そうとしているけれど、
それが少しでも、爆発しているように見えているんだとしたら、
明日からでもそんな姿は消してやりたい。
それほど嫌なことではあるんだけれど、
精一杯がんばってこなしている途中で、
次から次へと無理難題がどさどさ落ちてくるのは
やっぱりぶっちゃけ凹むから、
なんとなく大変そう感を出してみたりしているわけです。
時々だけど。
ザ・確信犯。
昔からそうだったけど、
今はそんな性分に時折助けられている。
過去の自分よありがとうとお礼を言いたい、今日この頃。
といっても、雀の涙くらいですが、
ついに件の文庫本の印税なるものをゲットいたしました。
おこづかい程度でも、やる気がアップすることには変わりは無い。
2006年ももう半分をすぎ、
毎年この分野で何かしらの成果を出してこれたのに、
今年はまだ0であるという現実が目の前にある。
焦りそうになる気持ちを抑えて抑えて、
冷静になって、今夜もパソコンの前に向かう。
こんな時があったっていいさ。
波はいつも良い状態じゃないんだ。
でも、自信は失いたくない。
最後に信じるべきは自分自身。
わたしのことを誰も信じてくれなくても、
自分だけは信じてあげたい。
「わたし」のことなんだから。
今年の年末までに、
また何かしら成果を出したい。
結果につながる毎日を送る。
その一日はまぎれもなく今夜であり、
明日の夜でもある。
こつこつと努力を積み重ねます。
22歳というぞろ目の年齢じゃなくなる、fre9です。
つい先日、実は、配属部署の部長さんと同じ日だったことが判明しました。
それは飲み会での出来事だったのだけど、
なんと部長(女性)とわたしがタッグを組み、
我が上司(男)におねだりをするという出来事に発展してしまった。
ノリですよ、ノリ。うん。。
ことの発端は、我が上司がコーヒーをわたしの白いズボンにこぼしてしまった事件。
見事に茶色く染まった白いズボンを見た部長。
「なんとひどい!マリーに白いパンツ買ってあげなさい!」
と言ったことが始まりだった。。。
「あら、もうすぐ誕生日じゃないの」
という一言でことはあらぬ方向に展開していったわけです。
このままいくと、誕生日に上司とデート疑惑。
うぉぉ。。。
それはちょっと、、、待てよ。。。という話になり、
興味をそそられたチベット仏教の儀式イベントに行くことにしてみました。
これはどう考えても行くべきイベントなので、
もともと行く気まんまんだったのだけど、
この一件で、確定の予定に入れてしまった、上司不幸者であります。
ごめんね、我が上司。
買い物につきあってくださるなら、
別の日で・・・
というか、部長、上司、新人のセットでお買い物って、
そもそも一体どういう設定なのだ?笑
傍から見たら、一人の男が女二人の洋服選びに付き合っている図。
しかもその洋服はまじ高いブランドときた。
謎すぎる。
この三角関係の詳細がまじ気になるところですな。
飲みの席での戯れごとだと信じてますが。。。
いきなり直前になって思い出されたらどうしましょう。
とりあえず今のところ、
「お誕生日にはチベット仏教のイベントで
来日しているダライラマ協会のネパール人とお友達になってきまぁ〜す」
と宣言している、不思議ちゃんなのでした。
仏の心が通じるかどうかを試したいと思います。
オーケストラに復活したいとここに書いていたら、
風の噂か、オケのコン・マス、Aおじさまからメールが来た。
次の秋コンに参加してくれませんか?
っていう。
高齢化も激しく、所属人数の減少により財政も厳しい。
これが市民オーケストラの現状です。
社会人はどんどん辞めていきます。
特にわたしくらいの年代の人は定着しない。
わたしでさえ、学生時代はちょくちょく遊びに行っていたけれど
(ちゃんと弾いてもいましたけども。。)
社会人になってから一回も行けていないし、泣く泣く春の演奏会も辞退したのです。
社会で働き、家庭を持った人たちを、無理に引き止めることはできません。
必然的に、定年後の人々が多くなります。
そして逆三角形の人口ピラミッドに、若者はなかなか溶け込めません。
わたしの場合、師匠の夫が常任指揮者、師匠はビオラパートの長という、
一種のコネがあったから、溶け込めたようなものです。
いきなり入ろうという人は、なかなかいません。
市民オケは、そうやって知り合い伝手で人を探し、
人員をなんとか保っているのです。
そしてその伝手による運営というのは、師匠夫妻を含む元プロ演奏家がいてこそ、
うまく進むのだったりするのです。
だから、彼らが何らかの理由で続けられなくなり、
今のコン・マス世代が後を引き継ぐことになれば、
今よりももっと厳しい運営をしていかなければならない。
それは誰もが容易に想像できる現実なのです。
だから、
大企業で忙しく働きながらもコンサートマスターをしているAおじさまの大変さが、
社会人になった今、初めて気がつきました。
それと同時に、
なぜ、そこまで市民オケに情熱を注げるのだろう・・・
という素朴な想いも浮かび上がってきました。
「ただ楽器を誰かと弾けるだけで嬉しいからですよ」
たぶんAさんはこう答えると思う。
わたしも今は同じ気持ちです。
会社以外のコミュニティを持っていて、
いつでも帰っておいでと言ってもらえることのありがたさを、
さっきひしひしと感じました。
泣けてきました。
もう半年も音信不通にしておいて、
コンサートを仕事を理由にドタキャンしてしまったわたしなのに。
たとえそれがオケ運営上の問題で人員を探してるからっていう理由であっても、
今のわたしにとっては嬉しい言葉でした。
ありがとうございます、と復活したら言います。
それと、半年以上連絡しないで心配かけているだろう師匠には、
とりあえず一報は入れておいて、
「半年振りに練習始めます・・・
あ、いえいえ、とりあえずカイザー(音階練習の教本)はちゃんと毎週開いてました」
と、言います。
間違ってもケースを半年開いてませんでしたとは言えません。。。
まぁそのうちばれるんだろうけども。。。
相当初期の映画です。
「三船敏郎が黒澤映画に初出演した」並の古さです。
ちら見した母の台詞:
「まーた、あんたはそんな年寄りくさい映画観て。。やんなっちゃうわ、まったく。」
その1秒後、
画面の(めっちゃ若い)三船敏郎に目を奪われた母の台詞:
「あらー、三船敏郎が若い!やっぱりかっこいいわねぇ。これじゃモテて当然だわね」
見入ってました。
娘:ひらすら苦笑・・・しつつ、画面に食い入る。
だって、音声が途中聴き取れないんだもん(笑)
古さをひしひしと感じました。
ついでに途中、今では当たり前の人物合成を、
フィルムを重ねてがんばってやってたあたり、
時代のギャップを感じるとともに、黒澤明の凄さを知る。
製作は1948年。
撮影を考えたらその1,2年前にはこの話の構想や画コンテはできていたわけで、
その中で
「同じ人物を、一つの画面で同時に走らせる」
という見たこともないイメージをなんとか画にしようと試行錯誤を巡らしてる。
技術がないなりに工夫して、自分の頭の中のイメージを具現化しようとしている。
その根性とチャレンジ精神を本当に見習いたいと思う。
今作で黒澤映画は3作目となりますが、
わたしなりに感じた黒澤映画の描くテーマを以下に書きたいと思います。
黒澤明という人ほど、
「人間」と真正面から向き合っている監督を見たことがない、とわたしは思います。
人間にはいろいろな面があって、
良い面も悪い面もある。
それは皆分かっていることではある。
だけど、人間の暗い部分、黒い部分からは目を背けたくなるのも、
それもまた人間だと思う。
人間愛の美しさは誰もが理解できる。
しかし、人間の醜さは一部の人は理解できても大方の人は理解し難い、
言い換えれば理解したくない(=理解するのが怖い)ものである。
黒澤明は、その誰もが怖がる人間の闇の部分に特に焦点を当てている。
焦点を当てて描き出してそれでどうだ、というわけでもないが、
「こういう部分、あんたにもあるでしょ。かっこつけたって無駄というものですよ」
というメッセージを感じてならない。
だから彼の描く決闘シーンは本当に見っとも無いものが多い。
いや、言い換える。
決闘シーンにロマンを感じている人にとっては、
非常に見っとも無いシーンだと感じるだろう。
何しろ殺す側も殺される側も、情けないほどかっこ悪いからだ。
今のところ、刀とナイフによる決闘シーンしか観てないが、
おそらく黒澤明は銃による決闘シーンにおいても、
一発で決めさせずに何度も撃ち損なわせ、
結局取っ組み合いさせるんだろうと予測している。
それくらい、決闘者たちはお互い逃げ腰で目を見開いて、
相手への威嚇と恐怖に満ちた視線を発しながら、
死にたくない恐怖と闘っている。
中学生になった時やそれ以前から、
極限状況に置かれた人間の姿というものに
なぜか関心を惹かれる性質だったが、
その理由がだいたい分かったような気がする。
災害やパニック映画で描かれる人間模様というのは
たいてい美談で完結するのだが、
黒澤映画の場合、それは決して美談にはならない。
確かに美談もあるにはあるが、美談として描いていない。
結局、人間てこういう生きもんなんじゃないですかね。
あなただったらどうしますか。どうしようもないでしょう。
こんな八方塞の状況だったらさ。
そんなメッセージを含めた極限状態を描いた後に、
やっぱり、人間には○○が必要なのだ、と説く。
それが信頼であったり、愛であったり、
今回は理性であったけれども、
人間が人間を維持し、信じあうために拠り所とするしかない漠然とした何か、
に帰結するのである。
そしてわたし自身、その何かに救われたかったんだと思う。
今も、救われたいと思う。
状況は10年前と大きく変わっているのに、
心境は10年前の何ら変わっていないらしい。
「何か」を描くために、
美談を美談らしく描く監督もいれば、
本当にしょうもないどす黒い人間を描く監督もいる。
前者ではすっきりと救われた気持ちになれるけれど、
後者ではどんよりと気持ちは落ち込む。
だけど、わたしはやっぱり後者の方が好きだ。
特に黒澤明のような、人間の情けなさを描ける監督の方が好きだ。
そして、そんな作品を創れる人も好きだし、わたしもそうでありたい。
綺麗なものは綺麗なものでいい。
でも、綺麗とは対極的な位置にあるものを知ることで、
ものの綺麗さのあり難さをしっとりと感じることのできる。
そういう生き方のほうが、わたしはいい。
オーケストラ活動を再開しようと思います。
今日の帰り、品川駅で、バイオリンとオーボエとチェロのカルテットが
演奏しているところに遭遇した。
パッヘルベルのカノンだった。
わたしにとっては思い出のつまりすぎた曲。
だから、途中怒りたくなるような編曲してて頭に来て、
(一番の聴かせどころをカットするなんて言語道断)
立ち去ってしまったのだけど。
そして思いました。
やっぱり楽器を弾ける人と楽しく楽器を弾きたい。
これに尽きると思います。
もう半年もバイオリン弾いてないんだ。
忙しさを言い訳にして、離れすぎた。
わたしが大好きなおじさまやおばさま達は元気だろうか。
そして、大好きな指揮者先生と、バイオリンの師匠は・・・
オケのウェブを見たら、
これまた大好きなベートーベンの五番を今度の週末にコンサートやるそうで、
悔しさ倍増な感じだ。
あさってゲネプロだなんて、いくらなんでもそれは出来ない。
しょうがないから、今月末くらいから復活しよう。
とりあえず、コンサートマスターに電話をしてみて、
ファーストバイオリンの一番後ろでいいから置いてやってください、と言おう。
セカンドは申し訳ないが、無理。。。
だって、次の演目、ベルリオーズだから。
わけ分からん曲でセカンドはきついんです。。
今年の年末は再び第九をやります。
秋はみなとみらいでコンサートっぽい。
てか、なんで第九をみなとみらいでやらんのだ。
腑に落ちない。
まぁ、とりあえず、
わたしにとっての「社会における、おとうさん、おかあさん」
あるいは
「社会における、おじいちゃん、おばあちゃん」(むしろこっち。。。)たちに
会いたいと孫キャラ娘は思ったわけです。
さて、師匠に怒られる前に、指体操だけはやっとくか。。。
指動かなそー。
本気で。
そして、想定される師匠の笑顔のお説教が、実は一番怖かったりする。
「もちろん、週末はちゃんと練習してたのよね?(ニッコリ)」
って、言われるよ、絶対。
師匠の眼はごまかせないな、きっと。
いつ発刊されるのか分からないけど、
発刊されたら告知しますってことで、今は秘密。
とりあえず某資格系情報誌?から取材を受けました。
会社で。
写真ぱしゃぱしゃ撮られました。
インタビュー、されました。
about what?
某インターネット系の資格合格者の体験記みたいな感じ。
会社から内定もらった後に、内定者は
「合格しようよね♪」っていう重役の方々のちょっぴり怖い視線を受けつつ、
取得を目指したとある資格がありました。
その直前に起こった凄まじいゴタゴタのおかげでまったく勉強できなかった上に、
(試験前夜、わたしは本気で電話口で友達相手に号泣してた)
直前、駆け込みでマックで勉強しようとしたら、
バリューセットを頼めなくて困ってる、
(というかアメリカ人なのにマックのメニューをほとんど知らない人だった!)
謎の外国人のおっちゃんと遭遇し、お世話してたら、
結局あまり勉強できず、山を張ったっていう、
あの資格です。
SFC生でもし受からなかったら、
M井先生が「情けねぇよ」って言って泣くだろう、あの資格です。
とはいえこんなエピソードばかり話すわけにはいかなかったので、
(そういう視線をどこからか感じたもので。。)
なるべくオブラートに包みつつ、ジョークを交えつつ、
会社的にも印象度が高いと思われるコメントを心がけてみたのでした。
そういう期待があったんだろうと思うし。
そうしたら!!
今日、上がってきた原稿の確認をしてみましたところ、
思わず噴出してしまうようなことが書いてある。
わたし、メチャメチャ立派な人物じゃないですか!!
あんな不真面目な子だったのに、
すっごいまじめに勉強しました的なことが書いてあって、
さらに将来の夢はユーザーの視点に立った新しいなんとかを作ることで〜とか、
仕事のやりがいを感じるときってこういう時ですかね〜とか
言っちゃって。。。。。
まぁ、、、ちょっとはったりもあって言ったには言ったんですが。
あながち嘘ではないんですが。。。
なにしろ資格を紹介する雑誌ですしね。
資格取って良かった!的な話の流れにしないと仕方がないのは分かるんですが。
気恥ずかしすぎて、
も、申し訳ないっす。
と言いたい。
その原稿を読んだ我が上司のコメント的なものは、これ。
「・・・・・・・・・(笑)」
あぁ、やっぱり。。。
どうやらその原稿は、重役の閲覧も入るそうで、
わたしとしては逃げ出したい感じ。
記者ってすごいと思った。
このしょうもないわたしの発言をあそこまで立派なものにしてくれるとは。。。
次は写真のチェックなるものがあるそうです。
タレント並にはじいてみましょうか。
いえいえ、いえいえ。
それは構成泣かせっていうことを身にしみて分かっているので、
あまりにも丸顔か、おにぎりみたいな顔してるやつ以外は
別にいいと思ってます。
いや〜、
それにしても、記者さん、尊敬します。
でも、上手く書きすぎ。
もしその雑誌を来年入社予定の内定者の人が見てたとして、
実際入社後にわたし実物に会ったら、
確実に幻滅しますね。
自信を持っていえます。(言うな。。)
我が家は、7月にお盆を迎えるのです。
実は昨日、送り火でした。
毎年、迎え火、送り火をやっていたのに、
今年は迎え火には参加できませんでした。
仕事だった。
だから、送るのだけはちゃんとやろうと思って、
日曜日は誰との約束も入れず、家で過ごし、夕方を迎えたのでした。
お盆という行事はわたしの中ではとても意味のあることです。
仏様を、お迎えして、3,4日一緒にすごして送る。
一緒にすごすといっても、お供えしたり線香をあげたりするだけなのだけど、
そうやって、死んでしまった人のことを思い出す機会というのは、
日々の中ではあまりない。
毎日仏壇にお供えをしてお線香をあげる時間はなかなか取れない。
ちらりと眼に入る祖母の写真が、
唯一わたしに祖母を思い起こさせる物だったりする。
もっと祖母といろいろな話をしたいと思った矢先に亡くなってしまい、
しかも、人間の死というものを分かっていなかったために死に目に会えなかった。
そういう負い目の想いがいつまでもわたしの中にあって、
やっとこういう行事をまともに受け入れられるようになったのは、
実は大学になってからだった。
迎え火、送り火の意味を知って、
ちゃんとやろうと思った。
迎え火では、きゅうりで作った馬。
これは、早く仏様が来るように、という意味がある。
送り火では、ナスで作った牛。
これは、のんびり帰っていけるように、という意味がある。
そういった仏教の精神が少しだけだけどわたしを救ってくれたこともあって、
それまで
「結婚式はキリスト教で、死ぬ時は仏教なんておかしいから、
別に死んだら無宗教葬でいいよ」
と言ったり、
「宗教は?」と聞かれても
「無宗教です」と答えていたりしたのだが、(実際この答えが当たっているんだが)
家が臨済宗だったということもあって、
今では、
「わたしは仏教です」
と堂々と言っている。
お寺で行われるお彼岸の法会にも一年に一回は行くようにしている。
なかなか、お経を聴くというのもできない体験なんです。
お坊さんたちがお腹から搾り出すあの合唱は、
すごい威力があるんです。
そのうち、般若心境を覚えてみたいと思うはずです。
とはいえ、仏陀の全ての教えを知っているわけではないのだが、
時折、仏教本なぞを読んでいたりもする。
なんとなく、日本で宗教というと怪しいイメージがあるし、
わたし自身も某宗教団体に無断で名前を使われるという事件にあって
怒り心頭だった体験もあるのだが、
いずれ、
わたしはキリスト教。
わたしはイスラム教。
わたしは仏教。
わたしはヒンディー教。
わたしはユダヤ教。
etc
と言えるような社会が来るといいなぁと思う。
信じている宗教が何であれ、
その人はその人だから。
だけど、そのためには政教分離は不可欠。
とはいえ、今はどこの政党もそれは無理なのかもしれない。
だとすれば、人の名前を勝手に使ったり、
強引な勧誘をして人間関係を引き裂いたり、
そういう秘密結社のようなことを正義のようにしないでほしいなとも思う。
そんなことを考えた、
ことしのお盆も、さっき提灯を片付けたことによって、
終わりを迎えました。
明日の法要には出られないけれど、
心の中で供養します。
突然ですが、
今年の11月23日、わたしはイギリスに旅立ちます。
さて、ここで理由が分かった人はすごいですよ。
fre9マスターといってもいい。
理由は、、、
今年が心酔するFreddie Mercuryの生誕60年、没後15年にあたる年だからです。
行かない理由はありません。
今までお金がなくて命日に行きたくても行けなかった。
だけど今年は違う。
ロンドンにいけるだけの旅費はある。
行くしかない。
ロンドンに行って、未だに残っているFreddieの家の前で花を手向けながら祈り、
世界中から集まるFreddieファンと一緒に、
Bohemian Rhapsodyを歌ってきます。
今年はかなり特別な年だから、色々な人が来ると思う。
エルトン・ジョンくらい来るかもしれない。
わたしも、今年が特別な年だからこそ、Freddieに感謝をしてきたい。
Freddieの生き方に支えられて、Freddieの作品に影響を受けて、
今に至るから。
会社では既に宣言しています。
「11月にフレディバカンスを取らせてください」
今のところ異議はない。
ここまでのFreddie狂いは見たことがない、とも言われています。
そうなれば勝ちですな。
絶対に行ってやる。
実は旅程はほぼ考えてある。
23日、
母校の研究発表が丸の内であるので、それに顔出してから、成田に急行の予定。
友人たちの勇姿を讃えてから、Freddieの旅に出るというわけです。
日本時間23日成田発で、現地時間23日夜ロンドン着(予定)
一夜明けて、
24日朝から、Freddieの命日に花束を持ってケンジントンに行き、
絶唱して、たぶんそこでFreddieファンと戯れつつパブに行って、
また絶唱するんだろうね。(←自分の行動を先読みしてみた)
一応バカンスは1週間ほど取れるから、
その後は色々なところへ足を伸ばして帰ってこようかと思う。
間違ってもシェラトンみたいなホテルには泊まらない。(積年の恨みがある)
シャワーとベッドさえあればいいです。
旅では、泊まるところにお金をかけるより、
ヒト、モノ、コトとの出会いにお金をかけたい派です。
で、ぎりぎりで帰ろうとするとまたこの前みたいに
飛行機飛ばない事態が起こりそうなので、
余裕を持って帰る。
ここは現実的な社会人になったなと思う今日この頃。
そう考えると、ドイツでジュリアと再会という線になるかな。
まず、連絡は取ろう。
こういうことにかけては気の早いわたし。
既にいろいろな楽しい構想が頭の中で踊りだしています。
あー、、、早く11月にならないかなぁ。
早く、憧れの、聖なる土地に行きたい。。。
もう、飛行機の予約しちゃいたい。。。
観ました。
芥川龍之介の「羅生門」は、たしか短い作品だった。
それをどう90分に引き伸ばすんだろうと思っていたら、
実は「藪の中」を羅生門で語るという筋だったのですね。
知らなかった。
話の流れはよく分かっていたので、
今回は主に俳優を観察していました。
一言でまとめてみます。
「三船敏郎、今更だけど、魅力的すぎ・・・」
というわけで、わたしのダンディズム論と合わせて語りたいと思います。
黒澤映画には三船敏郎という組み合わせがあることは知っていた。
だけど、わたしにとっての三船敏郎という俳優は、
三船みかのパパ、という位置づけで、
実はよく知らなかったわけです。
だからここまで芸達者というか、
ロバート・デ・ニーロのようなカメレオン役者であり、
男性的魅力にあふれている人物だったんだと分かった昨日、
「生きてるうちに会いたかったよ」
という思いでいっぱいになってしまいました。
(またもおじさん趣味に暴走してますよ、あんた、という意見は後々でお願いします)
(あと、時代劇マニアっぷりを見せ付けますが、お気になさらぬよう・・・)
画面での存在感がすごい。
三船敏郎がいないシーンは、
何かが欠けていると思わざるを得ない。
だから、今日も黒澤映画借りてきたけど、
彼の出演していない映画はちょっとまだ借りれない感じだ。
何も声を発せずして存在感を発揮するというのは、
非常に難しいことである。
よく華だとかオーラだとか言われるけれど、
気迫かなとわたしは思う。
何か分からないけれど、彼には必死さを感じる。
三船敏郎ともう一人の男とで決闘をするシーンがあるのだが、
それが実にかっこ悪い斬り合いで、
二人とも転びっぱなしだし、足を掴んだり空振りしたり、
とにかくここまで見っとも無い闘い方は観たこともないというものだった。
それを二人の男が必死の形相でやっていて、
そのシーンは20分くらいも続くのだ(しかも、1カットのみ)
でも、わたしは本当の人間の姿を観せられたような気がした。
大河ドラマや他の時代劇のちゃんばらシーンというのは、
実に精密に計算されつくしている。
誰かが真ん中に立っていて(多くは主人公だが)
斬られ役があちこちから走ってくるのを片付ける。
あるいは、飛び上がってみたり峰打ちをやってみたり、
技を駆使して相手を追い詰める。
そして相手を倒した後は、
チャリンと刀を仕舞う。
そこまで全て、カッコいい役者がカッコよく見えるようなアングルとスピードで、
魅せる、のである。
武士として、かっこいいのだ。
黒澤明の描く戦いはその正反対だ。
傍目から観れば二人の男がじゃれあってるようにも見えるし、
なんでここで決めてくれないのよ、という決定的瞬間さえ逃すし、
汗だくで泥仕合そのもの。
最後、追い詰められた男が殺される直前に言い放つ言葉は、
「し、、死にたくない」
である。
これは普通の時代劇であれば、
「早く斬れ!」か
相手の刀を奪って自害するか、
どちらかだろう。
死にたくない、という台詞は、武士同士の決闘の中ではご法度と言ってもいい。
死にたくない、という後ろ向き精神で闘っていると、必ず死ぬ。
それが時代劇の描く武士道である。
まぁ平安時代に武士道があるはずもないのだが。。。
武士道という考え方が日本に存在するというだけで、
刀を持った決闘シーンがかっこよく描写されるのは
なんとなく腑に落ちないなと、
羅生門の決闘シーンを見て思わず感じてしまった。
本当は敵を前にして闘って、誰しもが死にたくないと思うのは当たり前であり、
相手を殺さなければ生き残れないという極限状態で、必死なのである。
殺し合いをしているのにも関わらず、お互いに
「生きたい」と思っている矛盾。
斬りあいシーンには本当はそれが描かれていてもいいはずなのだ。
斬捨てるだけが、殺陣ではない。
黒澤映画はまだたくさんは観ていないが、
極限状態における人間の姿が丁寧に描写されていると感じる。
よく画の綺麗さが取り上げられるけれど、
わたしはこういうドラマの部分でもこだわりを追求しているような気がしてならない。
そして羅生門の最初の言葉に通ずる精神が必ずある。
「人を信じられなくなることほど、怖いものはない」
結局はこの言葉を投げかけたいんだろうと思う。
そういうヒューマニズムが、黒澤作品の中には流れている。
わたしはそう思う。
今はこれで限界…
明日帰る友達の健闘を祈ってます!
私もこっちでがんばります!
人との出会いを大切にして、ちゃんと地に足をつけて生きていきます。
Marie*fre9
公私共に山場を迎えそうです。
仕事は大詰め。
家に帰れない疑惑もあるので、
火曜日は朝めっちゃ早く行って準備しようかと思う。
始発ででもいいから、家に帰ってお風呂に入りたい。。
一日PCに向かうっていうのは、
眼精疲労→肩こり
を悪化させます。。
そして、もう一つ。
作品改編作業は、
無理くり31日に設定した次期締め切りに間に合うか。
まじ微妙です。
あくまで来年3月の大きな目標に向けての布石であるとはいえ、
気は抜けない。
むげには出来ない。
あんなに嫌がっていた一人称形式でここまで進むとは思いませんでした。
もう意地は張りません。
それにしても、
頭が割れるくらい痛い。
そしてそんな時、
Led ZeppelinのStairway to heaven
なんてものを聴いてしまうと、
書く気になってPCに向かってしまう自分がいる。
やっぱ、毒だ。この曲。
今日はたまたま文脈について話す機会があったので、
文脈のなかに生きる、ということを書いておこうと思う。
わたしがなぜ創作にコトバを使うかと言えば、
それはコトバが文脈を必要とするものだからである。
コトバはそれ単体で存在するものではなく、
その前後のコトバないしは文章によって、
本来の意味に新たな意味を付加されながら意味づけされていく文脈の中において、
初めて存在意義を持つ。
そうして集まった文や、文章というものも、
周囲の文脈によって多義的解釈をされうる形になっていく。
コトバに焦点を当ててしまうとミクロになりすぎてしまうので、
マクロな見方をしてみると、
人間それ自身も、文脈の中に生きていると見れば、そうだ。
人間の行動、出来事、人生と俯瞰する位置を高めて行くにしたがって、
文脈自体もマクロ化していき、行き着く先は、歴史である。
今日電車に乗っていて、
ふと思った。
電車に乗って、この位置に座り、
前ではしゃぐ子供たちを、
「おねぇさん、ちょっと頭痛いからもう少し静かにしてくれるといいんだけどなぁ・・・」
なんて思うこのわたしの存在も、
なぜ頭が痛くなったのか、ということや
その後爆睡して血迷って横浜で降りてしまったことの間にある事象である。
そしてこう思ったという出来事が持つ意味というのは、
その前後によって、それ単体よりももっとリッチな意味がついていくことになる。
本当はその文脈というもの自体を表現できればいいのだが、
文脈としての表現というのは手段にしかならず、
いわばコンテンツを文脈に載せなければならない。
そして、わたしはミクロ、マクロな文脈の中に
自分の世界観を突っ込もうとしているわけである。
世の中に存在するあらゆる文脈を観ていくと、
大変おもしろい。
これからは、人間観察よりも文脈観察に専念してみようか。
ノスタルジア=郷愁。
今日、映画を観ました。
内容は哲学的で、画は絵画的。
理解度は高くないと思うけれど、
今の時点で感じたことは残しておきたいと思うので、
レビューを書きます。
タイトル:ノスタルジア
監督:アンドレイ・タルコフスキー
大まかなストーリーを言えば、
元ロシア人の詩人が、同郷の音楽家の軌跡を辿っている途中、
イタリアで、エキセントリックなイタリア人に出会い、
何かを感化されるという内容。
いつも映画のレビューを書いていて思うことだが、
2時間の映像がたった数行にまとめてしまえることが、
実に悔しい。
小説も然りではあるが。
言い表せることの限界を感じつつ、
いつものようにシーンごとに分析していく。
詩人と同行する、やはり元ロシア人の女通訳がいるのだが、
その女性が詩人に別れをつきつけるシーン。
実はその前のシーンからわたしはこうなることの予感はしていて、
「なるほど、こういう突き放し方をするのか・・・」
と思った。
通訳は、詩人のことを
「退屈な男だ」と言う。
では、退屈の反対はなにか。
通訳にとっては、詩人にたとえ妻子がいようとも、
肉体的な関係を望んでいたのではないかと思う。
冒頭の部分で、
ロシア詩人の詩集をイタリア語訳で読む通訳に、
「翻訳で詩を読もうとしても理解などできない、芸術もそうだ」と詩人は言った。
「ではどうしたら理解ができるのか」と問われれば、
「国境をなくしてしまえばいい」
と返した。
わたしはこの部分にすべてが集約されていると思っていて、
このシーンは後々まで自分の中で引きずった。
今もそうだ。
国境をなくしてしまえばいいと言い放っても、
国境はなくせない。
国という考え方がある限り、
国土の境界線はなくならない。
それを分かった上で、詩人はあえて乱暴な解決策を言ったのだ。
それならば、彼女が思うことはなにか。
絶対に分かり合えない男と女との間に存在している境界をなくしたい、
自分たちの間に存在している溝は埋まらないのかと発想を転換しても、
おかしくはない。
(女という生き物は往々にしてそういう部分を持っているとわたしは思う)
とはいえ、その後のシーンで、
詩人はイタリア人のような(?)口説き文句を言っておきながら、
通訳を抱こうとはしない。
そのときの通訳の表情の移り変わりが、わたしには忘れられない。
退屈というのがさっき書いた理由だけとは、わたしは思っていない。
イタリアで出会うドメニコという、いわゆる「狂人」とであった時、
詩人はドメニコに興味を持ちながら、自分から彼の世界へ入っていこうとはしない。
通訳を通じて、パイプを作ってから入ろうとする。
「国境はなくしてしまえばいい」と言っていた人が、である。
終末思想を狂信して、家族を守るために家に閉じ込めたという過去のあるその男。
彼がどんな世界で生きているのかを知るには、
自分から彼の世界に入ってみるしかない。
なかなか入っていこうとしない詩人に業を煮やして、
通訳は、後はご勝手にと去ってしまうのだ。
ここはわたしもちょっと苛ついて、
「なんと優柔不断な!!さっさと行きなされ」
と叫んでいた場面でもある。
でもこの場面も少し前までの自分なら痛いほど通ずるところはあったはずである。
他人の世界、そして自分の知らない世界に、
自分から入っていくのは勇気がいる。
危険も伴う。
それは時に軌跡を辿ることだけには留まらない。
そこで体感しないと得られないこともある。
つまり、追体験である。
そして、詩人はその男との出会いによって、
初めて自分の世界とは違う世界を、追体験していくのである。
この映画には、詩人が男の追体験をするシーンが2つほどある。
一つは男の家にある、水の流れる部屋である。
ここは男の脳内の世界を表したような場所である。
男に言わせれば、
「タバコを吸うよりも、価値のある」部屋に行ったあと、
詩人はどこかの泉で詩集を燃やしながら瞑想をする。
自分の中の何がしかの死を象徴したようなシーンだ。
もう一つは、ろうそくを持って温泉の上を歩くシーン。
「これを成し遂げれば世界が変わる」と男は言い、
わたしは狂人といわれ、近づくことができないから、代わりにやってくれと言う。
わたしはこれを聞いたとき、
バカな、と思った。
たしか、理科の授業で硫黄を燃やしたらやばいって習ったような気がする。
なにがやばかったのか覚えてないが、
燃やしてはならんという話を聞いた覚えがあった。
温泉には硫黄が含まれている。
硫黄の含まれた空気に火をつければ、化学反応が起こる。
(家で調べたら有毒ガスが出ると書いてあった)
それによって、詩人の身体にとっては良くないことが起こるんじゃないかと考えた。
最後まで行き着いた時に、案の定、詩人は倒れこんで、
その後生きているのかは分からない。
息絶えたのかもしれない。
その間、例の男もまるで三島由紀夫のような大演説の後、
焼身自殺をしていることから考えても、
温泉の上をろうそくを燃やしながら歩くことを進めたことは、
直接的ではないにせよ、死に結びつく自殺行為の誘発ではないかとも思う。
単なる追体験以上の出来事である。
映画自体はここでエンディングを迎えるのだが、
全体的なテーマに関することを言えば、
やはり最初の「国境をなくす」という台詞を、
各シーンのモチーフにしていることは確かだろうと思う。
国境をなくす=融合する。
ということであり、自分と他人が溶け合うことにつながる。
詩人は少し前のわたしに似たところがある。
どことなく生きる気力も感じず(これは詩人の健康上の問題からも来るのだが)、
他人がせっかく自分の世界に入ろうとしているのに、
自分からは開こうとしない。
そして他人の世界に、危険を冒してまで入ってみようとは思わない。
その詩人が一体どこで自分と他人の間にある国境を自ら破棄したのか。
それは、狂人と呼ばれた男の家に入り、鏡を見た瞬間であるとわたしは思う。
そのシーンでは、ベートーベン「第九交響曲」の合唱がBGMとして使われていた。
しかも、誰もが知っている有名なあのメロディの前に、
実に厳かに歌われているマイナーな部分だ。
歌詞の内容としては、
「神への感謝。そして人間愛への目覚め」につながる部分でもある。
(ここで説明しておきたいが、第九は人間愛の曲である)
第九を実際に弾き、歌詞の内容も含めてじっくり演奏した、前回の第九コンサート。
あの時、自分で弾いておきながら一番シビれていたのは、
他でもない、この合唱の部分だった。
(バイオリンは弾くところが少なくて実は合唱をじっくり聴ける、という裏話もある)
だから、5秒くらい聴いただけで、
「第九だ!!!」といきなり声を発した。
それくらい嬉しかったのだ。
このシーンで、この部分を使っちゃうんだ、この監督。
わたし、シビれました。
と言いたい。
話が横にそれたが、この場面があったからこそ、
詩人は男の世界観を体験することを決意したと、わたしは考えている。
国境はなくなった。
でも、通訳との間の国境は、
通訳によって復活されてしまった。
この辺りに、人間関係における国境破棄の難しさがある。
むしろここでハッピーな展開にしてくれなくて良かったとも思う。
そろそろ話のまとまりをつける。
あえてこの映画のテーマを自分なりに言うとすれば、
「国境の存在」であるとわたしは思っていて、
国境があるからこそ、国境の向こう側に思いをはせることもできるし、
国境があるからこそ、ノスタルジアは生まれる。
国境がある限り、ノスタルジアはなくならない。
ノスタルジアのために、人を殺した家政婦のエピソードが映画内で出てきたが、
ノスタルジアというのは、「今」と「この地」から離れられないからこそ、生まれ出る。
ノスタルジアは、「今」と「この地」に感じる違和感と切っても切り離せない。
その理由は、
「左右対称」の完璧に近い画面構図にある。
佐藤雅ぴこの授業で、
「完全なる左右対称は気味の悪さを演出する」
という法則が出てきて、大変共感した覚えがあるが、
実際の世界で、ここまで左右対称の建造物に囲まれることはない。
自然物は左右非対称であるのに、
この映画の世界では、その世界のほとんどが左右対称で構成されている。
そしてその多くは、人間が求めた美しい比で造られた人工物である。
左右対称は、主観的には落ち着くが、
客観的に見つめると実に違和感のある空間に思える。
映画に登場する主要な人物たちは、
常に、現状に違和感を持ち、
ある者は現状に別れを告げ、新たな世界へと出発し、
ある者は現状に絶望して、命を絶つ。
完璧なまでの左右対称の構図は、
彼らの感じている違和感を代弁しているとも取れる。
監督が意図していたこととどれだけ近くまで掘り下げたのかは分からないが、
わたしなりに深く読み取るとすれば、こういう解釈になる。
今ここに書いた以上にもっと深い世界が広がる映画だと思っていて、
ぜひもう一度じっくり観てみたいとも思う。
映画はやはり2度3度見返すと、その世界観をある程度は深められる。
(実際、「暗殺の森」は既に10回以上観ている)
久々に深く考える映画を観たので、
書ききって満足。
明日は、羅生門(黒澤明監督)を観る予定。
モブログカンフーの、人気ランキング
(とは言っても、クリック1回?疑惑・・・何回クリックされたんだろうか・・・)
http://www.m-kungfu.com/ranking.php
例のメロンキャップが載ってます。
前は、寺山修二記念館のドアがここに載ったんだった。
ちょくちょく、モブログがんばってみましょうかね。
このイベントに行こうかと思ってます。
チベット砂曼荼羅ライブパフォーマンス
http://www.tibethouse.jp/event/2006/sandmandala/
ヒマラヤの寺院から僧侶が来て、パフォーマンスを行うということです。
これは、絶対面白いと思う。
わたしが常に渇望してならない、未知なる体験ができる。
曼荼羅には3種類あるらしい。
砂で描く砂曼荼羅
布に描く絵曼荼羅
木や宝石で作る立体曼荼羅
今回は砂の方。
写真で見ただけでも美しい芸術に思える。
儀式が美を生む瞬間を、
ぜひともこの目で見たい。。
なにより、仏教の儀式に立ち会えるのがいい。
仏教というと広すぎるから、密教とも言うべきか。
さて、いつ行けるかな。。
学生時代と比べたら、
圧倒的に自由な時間が取れないことは分かってはいるのですが、
それでも課外活動?業務外活動?を始めようかと考えています。
まずは横浜関連のコミュニティや団体活動に参加する。
今の本業をおろそかにしては本末転倒となってしまうので、
たとえばNPOであったら正規ではなく準会員として参画する。
それからもう一つ、横浜を拠点にして作品を作る。
目的は、
あらゆる横浜を知ることと、
「人」と会うこと。
この二つを通して横浜という属性を持つ作家を目指します。
そして、長い間そんなわたしがどっぷりと身を埋められる「場」ってどこだろう、
と考えていた。
そして、横浜なんじゃないかと思った次第。
もちろん他にもいろんな属性は持つ予定だし、そうするほうが良いと思うけれど、
自分の知らなかった「ヒト」「モノ」「コト」、そして「バ」にトータルに触れられて、
且つ自分の居場所になっている場というのは、
横浜しか見当たらないと思ったのです。
不思議な現象があって、
今までわたしも友達も、ありとあらゆる場所に行って、
わたしはある時は渋谷周辺に没入したり、
青山周辺を歩き回ったりしていたのだけど、
やっぱり、
最後は横浜に戻ってきてしまう。
最近、
「なんか、横浜にいると落ち着くよね」
という会話をよくする。
それをまったくの第三者に話してみたら、
「帰巣本能ってやつですか」
と言われたけど、
まさにその通りかもしれない。
(とはいえ、わたしは人間だ)
何時間いても飽きない場所というのは、
わたしにとっては海岸、というのが定説だったのだが、
そこに横浜が加わった形になる。
今思うと、中学、高校〜大学にかけて
東京ばっかり行っていたけど、横浜ももっと見といてもよかったなと思う。
そんなわたしが帰巣本能を発見したのは、
やはり、あの
横浜トリエンナーレだと考えると、
重要な出来事というのは、しかるべきときにやってくるんだなと
思わせられる。
さて、いくつか定まったところで、
具体的に動き始めます。
どうやら射的?射撃はいけるクチらしいです。
実際、先輩よりもバシバシ命中しまくって、
ジェラシーを受けました。
意外すぎ。
楽しかったので、意気投合した先輩と今度ショップ見学に行ってみるツアー計画中。
(注:一応大人の良識として、人の少ない場所で、人には向けず、
こぼれたビービー弾は拾ってきました。
→今のビービー弾って、自然に還るらしいですね)
それから結構謎の多いメロンキャップに関してですが、
夜中にメロンを食べた時に一人の人がそれをくりぬき始めて、
帽子を作ってみた。
↓
しかるべき処置をした上で、わたしの頭の上にそっと乗せてみた。
↓
楽しくなった。
↓
その後、別の人の頭の上へ
↓
その後、とてもここじゃ書けん。
コトの顛末は、わたしには聞かず、
わたしの周辺の社員さんに聞いてみましょう >同期たち
わたしたちが泊まったロッジの隣のロッジで、
ご乱心としか思えない遊びをしていた、大学生たちに、
「若さ」を感じてました。
(というか、窓にカーテンはついてないし、筒抜けなので、
見たくもない光景が目の前に。。。)
キャンプ場のイメージが、
「ファミリー」的なものから、がらっと変わりました。
なるほど。自然の中だとテンションが違うわけね。
勉強になりました。
合宿から無事?帰還いたしました。
楽しかったです。
のべ12時間くらい、ずっと下ネタをかわし続けましたが(苦笑)
わたしって何キャラだろうという談義では、
「孫キャラ」
という答えで統一されました。
見事に、見抜かれました。
バスの中では、音楽聴いてない限りは、誰かしらに話しかけられます。
合宿中もずっとおばちゃんやおばあちゃんと微笑み合って生きてました。
そんなキャラらしいということは、実は中学生のころから分かっていたので、
そんな外見を生かしつつ今まで生きてきたのですが、
「あくどいくらいの徹し方」
なんて言われてしまった。。
いや実際、自分より2周り、3周り年上の人ととても気が合うし、
楽しいので、良いんですけどね。
帰り際に、いつもわたしの突っ込み役の先輩から、
ウイスキーのミニボトルをもらいました。
わたしが夜中に飲んでることをちゃっかり把握していたらしいです。
「こういうボトルを部屋の中にストックし始めたら、君は終わりだよw」
と言われましたが、
既にやってるし。。w
ウイスキーやブランデーのミニボトルの形が可愛くて、
それだけで集めたくなってしまう、今日この頃です。
おにいさんたちの下ネタにも動じなくなってきて、
いよいよ
「こばば」ならぬ、
「こやじ」化
いえいえ、
まじで
「おやじ化現象」
が進みそうです。
わたしは、ある仕事をほぼ一人でやることになり、
進めている最中です。
んで、一緒に仕事をする外部の会社の人も、実は新人。
お互い
「なんにもわかんないっすよね」
って言いながら、笑ってた。
そんなことをしているうちに、
ちょっと電話で彼に問い合わせをしなければならなくなった。
わたしは電話しました。
一通り、かたはつきました。
とはいえ、それを隣で聴いていた我が上司は
「なんか、わけわかんないモン同士がしゃべってる感じの話を聴いてると、
不安なんだけど」
と言いました。
「まるで伝言ゲームみたいですね」
笑顔で返してみた、わたし。
そんな、一歩間違ったら危ない伝言ゲームを、
日夜行っています。
わけわかりたいね、同士よ。
一晩わめきつづけました。
一晩飲んでしまいました。
一晩ぐっすり寝てしまいました。
そして、朝になりました。
わたしの気持ちは軽くなっていました。
朝、駅に着いたとき、ふと何の気なしに、こう思った。
「理由なき反抗は、もうやめよう」
わたしは、この際、自分を根本から変えようと思ったんです。
変えるというと「無理」という人がいそうだから言い換える。
今の自分の根っこの部分をじっと見て、
物事の表と裏を見て、
違う立場に立って考えるということを、
今更ながら自分の中で徹底させていこうと思ったんです。
そもそもの始まりは、大学時代の大きい挫折であったと思う。
グループワークのときに、
幾人かの人たちの立場のことと自分の立場の狭間で苦しんで、
独りでぶっ倒れて、
結局グループを解散させてしまった。
あの時、混乱して何も手も足も出せなくなっている状況のわたしに、
ある人は言いました。
「いかなるときも、自分のことを優先するんだ」
捉えようによっては傲慢とも取れるこの言葉に、
当時のわたしは救われました。
それからまたゼロからのスタートを始めた時も、
この言葉とその人に感謝をして、そして走り続けました。
でもこれは当時だからこそ、成り立ったものだということを
わたしは忘れていたのです。
何事も考えすぎて何もできなかったわたしは、
そういう自分が嫌で嫌でたまらなくて、
その事件の後から、
あらゆるしがらみを考えずに、自分の気の赴くままに生きてきました。
それで楽しかったこともあるし、人を傷つけたこともあったけれど、
わたしはとにかく、誰になんと言われようと、
自分に忠実に生きたと思います。
生きすぎたくらい。
その経験は、自分で否定もしないし、
今考えるとしてよかったと思う。
そして、社会人になったわたしは、大きな壁にいきなりぶつかりました。
訳が分からなくて、
だれも説明してくれる人もいなくて、
考えても何がどうなっているのか見えなかった。
わたしは、わめきました。
わたしは、叫びました。
泣きました。
ここ1ヶ月半ほど、わたしはそれしかしていないんじゃないかと思います。
そんな時、一人の人物に会いました。
偶然の出会いでした。
映画館でたまたま隣同士で座った中年の男性。
その人は言いました。
「望遠鏡を持って、物事を違う角度から見るんだよ」
半月前のわたしには、その意味が分かりませんでした。
なんとなくは分かっていたけれど、
実はよく分かっていませんでした。
でもそれが、昨日から今日にかけて、
まるで霧がすーっと晴れるかのようにわたしの中に入ってきた。
どういうわけか分からないけれど、
朝になったらいきなり、
自分がさしたる理由なく好き嫌いでわめき散らして一人でぐるぐる回っている、
という姿が一瞬にして理解できたのです。
それで、そんなことを繰り返している自分自身が、ばかばかしくなりました。
自分の殻をこれでもかと守っていたのは、
外界が怖かったから。
辛い現実を見て、自分が傷つきたくなかったからだ。
特定のものからいつも逃げていて見もしなかったことを、
昨日の夜観たあの「地獄絵図のような光景」(←その時は本気でそう思っていた)と
照らし合わせて考えてみたら、
じつはそれは地獄絵図なんかではなくて、
巧妙に仕組まれた茶番劇でもあり、
それに自分の運命をかけるしかないある人間の哀しさの象徴でもあった。
わたしは、今朝になって、初めてその人物のことを理解した。
今まで考えも付かなかったようなイメージと共に。
好きとか嫌いがあるのは当然だし、
自分の中でそういう基準は持っておいていいと思う。
いや、むしろ、こういう職についているからこそ、そういう感性は大切にすべきだ。
だけど、一瞬嫌いと思ったからといって、
一部分納得しなかったからといって、
全否定するのは間違ってる。
今まで、親はそのことをずっとわたしに言ってくれてたんだと思うけれど、
なにしろ上手くいってないものだから聞く耳さえ持ってなかった。
そしてIさんがわたしに比喩を用いて代わりに言ってくれて、
そして昨夜わたしのガン切れに付き合ったある友人も、
その時は黙ってたけど分かってたらしい。
わたしは、やっと、気づきました。
この好き嫌いの激しい性格は中学高校から変わらなくて、
これでもまだ良くなった方だけど、まだ良くはない。
道のりは長いかもしれない。
でも、今のわたしには心がけるべき必要もあって、
それがきっと自分を広くしてくれると、今は心の底から思える。
今、もう一度、Iさんからの手紙を読み返すと、
昨日起こった出来事のすべてに関して言えることが全部、書かれている。
もう十分だ。
わたしは、ここから、もう一度スタート地点から歩き始めて、
今度こそ自分の眼でちゃんと見つめていけるようにする。
今までのゆがんだレンズは手には持っておいて、
いろいろなレンズを付け替えて生きていこうと思う。
わたしの社会人生活の本当の4月は、今、始まったような気がする。
最近私が感じていた違和感はそのせいだったのかもしれない。
全然だめな人間でごめんね、ととある人には言いたい。
心から。
私にできることは、出来るだけがんばること。それしかない。
だけど、もっと自分を大切にすればいいのに。
何を失ったって、生きていさえすればどんなに小さいチャンスだってある。
そのために一時的に全てを精算することは、悪いことじゃないと思う。
私は、だから責めません。
自分を大切にしないほうが、私は怒るだろうね。
こればかりは、そんなこともあるさ、とは片付けられない。
汚すぎる。
醜すぎる。
それでも生きようと思うから苦しむんですね。人間は。
私はまだそんな境地には至れない。
Marie*fre9
観ました。
この映画はずっと観たいと思っていた。
5月の末から願い続けて、とうとう今日叶ったわけです。
なぜ、観たかったのか。
もちろん、最近の関心事、「ヨコハマ・メリー」に関連する地域が
当時の様子そのままに登場するからです。
根岸屋が健在だったころ、ここで撮影もしたそうで、
そのシーンはクライマックスに登場しました。
あぁ、わたしが生まれるずっと前は横浜ってこんなだったんだ。
わたしの母は東京、母方の先祖は長野。
父は静岡、父方の先祖は知らない。
横浜で生まれただけで、
1980年代からしかしらない横浜だけど、
戦後から高度成長期に入る少し手前までの横浜の様子を観たら、
また居ても立ってもいられなくなってしまった。
わたしのルーツ探しとかじゃない。
ハマっ子のルーツ?そんなもの始めからない。
ただ、わたしがこの映画から感じたものは遥かに巨大なエネルギーであって、
今ここできちんと言葉として表せる自信はないのだが、
一応まとめてみようと思う。
ぶっちゃけ、この映画の冒頭部分はつまんなかった。
よくある企業の重役たちの覇権争い。
おまけにフィルムが古いせいもあって、台詞は聞き取れない。
とはいえ何を言ってるかだいたいわかるくらい、筋書きは簡単。
主人公の男を、他の重役たちが「締め出す」わけである。
とはいえ、その後、ストーリーは大きな展開を見せる。
彼の運転手の子供が誘拐された。
それは彼の子供と間違えて、身代わりになってしまった格好だった。
男はその時自分の全財産を抵当に入れて、
会社を乗っ取る資金を調達しているところだったため、
身代金要求にはさいしょまったく応じなかった。
それを奥さんや周りの人たちが説得していったり、
元側近が、男を対立派に売ってみたり、
警察官が異常な正義漢になっていたり、
いろいろな人間が登場した。
そう、この映画は「人間」をあますことなく描いたものである。
タイトルの天国と地獄というのはそれを表現するためのツールにすぎない。
ただ具象化に使われただけの、道具である。
黒澤明という人のすごいと思うところは、
人間を描くために徹底した完璧主義を持ち合わせているところだ。
まず撮影時の構図も計算している。
あの小さい画面の中で、
人間と一瞬止める瞬間と、ひたすら動かせる瞬間を使い分け、
静と動の人間の心理を表現している。
一見無駄だと思える動きでも、画面のためなら入れる。
そういう徹底性がある。
これは絵画においてはセザンヌがそうだったと思うが、
構図と描きたい対象の完璧さを追求するために、
あえて自然をいじる場合がある。
黒澤明は意識的にそれをやり、しかも不自然さを残さない。
それからわたしがショックだったのは、計算されたストーリーテリングである。
この話は犯人を捕まえ、死刑にするという点で
勧善懲悪の話であり、
よくある2時間ドラマとそういうテーマのところで違うことはない。
とはいえ、話の筋立てはまったく違う。
古畑任三郎は一番初めに犯人をばらしてしまう方法をとるが、
普通はたいてい何の気なしに登場した意外な人が犯人だったりする。
ところがこの映画の場合、
犯人は半分ほど過ぎたあたりに急に明らかに犯人として登場する。
そして彼の登場シーンは、最後の最後まで、
音声なし、なのである。
観客は彼が犯人だということを一目で理解する。
そして彼が捕まることを期待する。
だが、一体誰が彼の逮捕までの過程を想像しただろうか。
黒澤明はこの過程をしつこいぐらい細かく描いている。
そして紛れもなくこのラストに向けたクライマックスの30〜40分間に、
イセザキモール、根岸屋、黄金町のあたりが登場するのだ。
このシーンは今でさえ衝撃的ではあるが、
映画公開時はさほどびっくりする人はいなかったのかもしれない。
とはいえ、頭脳的完全犯罪を目論む犯人が、
自分をカムフラージュしながらその殺人計画を詰めていくかの過程を
社会の暗の部分と、人間の暗の部分を絡めて説明していくストーリー展開に、
わたしは頭を殴られたような気持ちになった。
魂を揺さぶられるというのは、こういうことなのかもしれない。
わたしは、主人公の男の身分が天国だとも思わないし、
黄金町で体を売って生きる女たちや、
ヘロイン中毒の禁断症状で苦しむ意識不明の人物の置かれた環境を、
地獄だとも受け取ってない。
黒澤明は、確かにこの対極的な人物たちを二つに分け、
片方を天国と位置づけ、もう片方を地獄と位置づけているが、
ほんとうはそうは思っていないだろうと思う。
それは両方の環境において、
あくまで彼が描こうとしているのは「生きようとする人間たち」だからである。
以前、人から伝わってくるオーラについて言及したが、
彼らからはもの凄い温度のエネルギーを感じた気がする。
死にかけている人のもがき苦しむ鬼のような形相の向こう側には、
それでもまだ死ねない、生きるしかない苦しみと、
苦しみから脱却した後の生活への強い希望が感じられる。
(たとえそれが禁断症状からの脱却という不のループだとしても。)
なぜなら、
ほんとうに死にたい人間は、
苦しみから逃れた後の自分に希望など見出せないからだ。
逮捕され、独房に入れられた犯人が最後に言い放つ、
「わたしは別に死刑なんて怖くなんかないんですよ」
というこの一言。
俳優の演技も迫真の演技なのだが、
この言葉一つ取ってみても、
もろさを硬い殻で守ろうとする人間の小さな防衛本能が感じられる。
震える身体をさらしてもなお強がり続ける犯人は、
最後結局発狂したような声を上げて引きずられて去っていく。
このたった5分足らずのシーンにおいても、
殺されるという事実を前にした人間は、
しょせん薄いガラスのような心臓しか持ち合わせていないことを表している。
そこにいくら救いの手を差し伸べようとしても、それは無駄なあがきである。
そんなオブラートに包むことはやめて、
むしろ自分が死に直面しているという事実や、自分への侮辱をきっちり話してくれ。
犯人はこう言い残して、いなくなった。
わたしはこの映画を観て、
自分に足りない能力や考え方を、
衝撃を受けたあの瞬間に吸い込めた気がしている。
魂を揺さぶるためには、
やはり極限状況における人間の姿を描くことが重要となってくる。
それはありとあらゆる感情がそこに集約されるからだ。
わたしは、人間について語りたいと常日頃思っていたのだが、
その一番エモーショナルな部分に関して
わたしが未だに至っていないことを痛感した。
それは自分の感情を爆発させるようなことがないからかもしれないし、
感情を作品として出すことをあまりしていないからかもしれない。
いずれにしても、わたしは黒澤明という監督によって、
さらに揺さぶられ、刺激を受けた。
これを肝に据えて、
これからもがんばっていこうと思う。
「天国と地獄」映画レポート終了
横浜バトンなるものがあったので、
ハマっ子を自称する(実際そうですけど)者として
やってみようか、と。
【中華街にはほとんど行ったことがない】
最近しょっちゅう出没してます。
メインよりやっぱり裏道のあたりが面白い。
【「相模ナンバー」をスモウナンバーと読まれるのが嫌だ】
すもうって読む人がいたのか!?
【自分の住所を書くときに「神奈川県横浜市〜」ではなく、「横浜市〜」から書く】
いや、それをいうなら、
戸塚区〜じゃなくて、
必ず
横浜市戸塚区〜
って書く。
【「横浜さわやかさん」が歌える】
し、しらない。。。
さわやか3組じゃないよね。。
【神奈中はもちろん中学校名だけではないことを知っている】
かなちゃん号が好きでした。(今も好き)
【テレビと言えばTVK。そして「サクサク」だ!】
我が家にTVKが映るようになったのは、
つい最近であります。
むしろMTV特集ばっか観てます。
【山下公園と港の見える丘公園でデートするのは地方の奴等だ】
地方もそうだけど、東京人と外国のお方よね。
とはいえ、わたしは大桟橋大好きで、
嫌がるいろんな人々をあそこに引っ張ってってたなぁ。。。
【夏の甲子園予選、「Y校VS横浜高校」はベイスターズ戦より盛り上がる】
すいません。
わたしは巨人ファンでした。
今、期間限定で巨人ファン辞めてる人です。
だから野球と言ったら、巨人なんです。
【中学生の時に受けた、通称「ア・テスト」は一体何だったのかと思うことがある】
小学校の時にも受けた!
アってなんだったんだろう。
冠詞??
単数ってこと??
【泥亀町を今のいままで「どろがめ」だと思っていた】
はい。
(言い訳はしないぞ)
【ゴミ清掃車がクレイジーケンバンドを流しているのは、ちょっとイケてると思う】
うそー。聴いたことないっす。
だーれかさんとーだーれかさんがーもーりのーなかー
じゃないの??
【京急に乗っていると黄金町の手前で減速するあたりにいつも干してある派手な下着が気になる】
京急のそっち方面、もう10年以上乗ってない。。
記憶にないなぁ。
わたしは日の出町駅の馬券売り場の行列なら覚えてる。
【横浜市歌当然歌える】
もちろん。
この歌を歌う日は、紅白まんじゅうがもらえる日だったんです。
【京浜急行で、立って乗る時、つり革の奪い合いをしたことがある】
笑
おじさんと常に争った。
あと、同年代の子供がいるときには、
もの凄い揺れにいかに耐えるかという、暗黙の競争をしてた。
まさに、視線の闘い。
やっぱ、京急つり革なしで立っているのは大変だった。
【綾瀬は東京ではなく神奈川だ】
そうでしょ。
え?びびって今調べちゃいましたよ。
そうですよ、神奈川県ですよ。ふぅ。
【湘南平のテレビ塔のフェンスに自分と恋人の名前を書いた南京錠を掛けたことがある】
そんなことをやってみたかった!!
湘南平には遠足で2回くらい行ったな。
【横浜ドリームランドのヘイヘイおじさんを知っている】
いえす。
現会社の社長さんも知っている。w
【東京出身だが西武の松坂投手は神奈川県の宝物だ】
うん。
あの決勝戦、誰もが感動したと思う。
中学で彼の特集番組も観た記憶がある。
【反町隆史の名を見るたびに「タンマチと書いてソリマチ」と言ってた】
途中までたんまちって読んでましたが、なにか??
【修学旅行は、電車で日光に行ったものだ】
行った!!
あのピンクと青とクリーム色の変な配色の電車でね。
一緒に同行するほかの小学校の子達と友達になったもんです。
それで塾で一緒のクラスでちょっと憧れてたとある男の子と
実は一緒の電車だったって分かって、
淡い期待をしていたら、
彼と日光ではち合わせした。
まじハッピーだったなぁ。。(なんていう幼さだ。。)
【通勤・通学に京急や相鉄等の私鉄を使っている人間とJRを使っている人間の間には奇妙なライバル意識がある】
聴いたことない。
でも横浜経由で帰る子たちはうらやましかったです。
【他府県の友達に「サンマーメン」のことを「秋刀魚を練りこんだ麺?姿焼きがのってる?」と、こわごわ質問されたことがある】
さすがに、ない。
【ハマギンの通帳を持っている】
かつて持ってましたー。
【「浅間」は「あさま」ではない】
???
【待ち合わせはもっぱら「シャルエス下」だ】
わたしと友達は、
「ステラおばさん前」です。
だって、エスカレーター下は人が多すぎなんだもん。
【さらに、「5番街交番前」は相手に会えない危険性があるのに、つい指定してしまう】
あのマックのある通りの近くのちっちゃい交番のことらしい。
わたしはダイヤモンド地下街近くの交番かな。
指定するとすれば。
最近はそこがもっぱら多い。
【ゆずの岡村中ジャージを持っている】
いいえ。
【「湘南台」がぜんぜん湘南じゃなくて山の中だということを知っている】
その湘南台に4年間引きこもってましたから。(笑)
っていうか、横浜の話に関係ないんじゃなくて??
市営地下鉄関連ということでしょうか。
この質問くっつけたの、もしやSFC生だったりして。(うわぁ、超さみしい・・・)
【箱根の一部が静岡県などと夢にも思ったことがない】
そうか。
天下の険
ですもんね。
今知った。。
【二俣川と言えば普通の町だが、住人以外にとっては運転免許試験場のことを指している】
通称「ふたまた」ね。
「あたし今度ふたまただよー」
→聴く人によっては、どきっとしてしまう台詞ですよね。
【横浜家系ラーメン屋を5軒以上知っている】
あんまり行かないんだ。ラーメン屋。
【小さい頃、ダイヤモンド地下街で迷子になったことがある】
なりそうだよね。
わたしはポルタで迷子になった。
もとい、さらわれそうになった。
【生麦といえば「生麦事件」より「ビール工場」だ】
いや、断然生麦事件でしょう。
友達がここに住んでます。
彼女の第一声
「わたし、あの生麦事件のとろこに住んでるんだよ」
一発で覚えました。
【西口と言えば横浜駅西口のショッピングエリアと飲食店街のことである】
わたしは、ハンズとビブレと、相鉄ムービル。
それからハマボール。
【横浜開港記念日は全国的に祝日だと思っていた】
Yeah!!
本気で思ってました。
中学に入って、初めてそれを実感。
鎌倉の学校だったんだから当たり前か。
【横浜線の終点が横浜ではなく東神奈川なのがいつも気になっている】
そのおかげで、いつも横浜線にうまく乗れません。
必ず一本見送る。
【原宿、浜松町、軽井沢、新橋は横浜だ】
そう言いたい気持ち、よくわかるが、
新橋はやっぱり東京ですな。
原宿はむしろ戸塚と言いたい。
【新横浜ラーメン博物館を「ラ博」と呼ぶ】
ラー博
は、だめですか??
【昔は新横浜駅はラブホテルのメッカだった】
高速道路からいっぱい見えた記憶がある。
【ピンクおばちゃんをしっている】
ふーいずしー?
【相鉄線と相模線の区別が未だについていない】
一応ついた。最近。
やっぱり乗らないと分からない。
わたしは大学になって初めて相鉄線に乗った人です。
【語尾は「じゃん」より、「べや」とか「だべ」を使うほうが多い】
いや、「じゃん」だ。
【モトマチといえば「チャーミング」】
とはいえ、いつも行く機会を逃す。。。
【市長は「横浜に3日住めばハマッコ」と言っているが、それは言いすぎじゃないかと思う】
それはわたしもそう思う。
江戸っ子までいかなくても、
小学生くらいから生まれ育とうよ、せめて。
【八景島シーパラダイスは、ほんとにパラダイスだと思う】
うん。
ブルーフォール最高です。
【「指で口を広げて金沢文庫って言ってみ!」と言ったことがある】
これは、ハマの小学生なら一度は通る道です。
授業中に言っちゃった女の子がいて、クラス中が笑いの渦になったなぁ。
【初詣は「川崎大師」派と「鶴岡八幡宮」派に分かれる。湘南は「寒川神社」】
確かにそうだ。
わたしは鶴岡八幡宮派です。
おみくじで凶が出まくる、はちまんぐう。
意外と知らないことが多かったです。
特に漢字が読めなかった。
でも、横浜市歌とか、待ち合わせ場所とか、
根底にあるものって変わらないんですね。
やっぱり、わたしはハマっ子です。
某zさんのバトンをずいぶん前に読んで、
その時は受け取る余裕がなかったので
今更だけど、受け取ってみますよ。
ていうか、彼がバトンをやるキャラだったんだ、というのが新鮮でした(笑)
では、いきますヨ
1.あなたのミクシィネームは?そしてその由来は?
そりゃぁもう。。。苦笑
言っちゃっていいんですか。語りますよ。
freは
Freddie Mercuryの「Fre」から
9は一種の言葉あそび。
Freddie MercuryがいたQUEENのQを使おうと思ったけど、
あえて変化球にしたかったので、
Q(キュー)と同じ読みをする数字の9をあてたわけです。
というわけで、わたしのミクシィネームは、
ふれきゅー
と読むんです。
正しく読みましょう。
2.今現在表示されているあなたの「写真」はどんなものですか?
断然、Freddie Mercury
わたしはこの頑飛ばし写真が大好きである。
社会に対してもなんに対しても
「やってやりましょうか?」的な雰囲気を醸し出している。
それは一種の反抗。
それは一種の挑戦。
そう、挑戦的な視線のまなざしが、わたしは好きなのです。
(誰の写真であってもね)
3.今あなたのトップページに表示されている9つのコミュ
まにあっくなものが揃いましたね。
1.トリエンナーレ・サポーター
わたしの人生に大きな影響を及ぼしたイベント 横浜トリエンナーレ。
ここで多くの人と出会い、別れ、そして今でも再会している。
永続的にわたしの財産となる人々と出会えたのは、
トリエンナーレのガイドとでも言うべき、サポーターに登録したから。
そのサポーターたちのコミュニティです。
また2年後?土日を利用して参加して皆と再会したい。
2.サルバドール・ダリ
わたしが敬愛する芸術家 ダリを愛する人々の集まる場所。
表立って行動はしてないが。
3.Performance Art
最近、こういう身体を使った表現というものに興味がある。
4.オノ・ヨーコ
わたしがもっとも尊敬する人間の一人
(ちなみにもう一人はもちろんFreddieである)
彼女の生き方に共感する人たちが、ここにいる。
5.奥出研究室
どう説明しろと?笑
わたしが丸2年所属していた大学の研究室のコミュニティです。
同期や同窓生たち、先輩たちとは未だに連絡を取り合う感じ。
ぜひ同期飲みに参加したい。(とアピールしてみる)
まじで参加したいんです。
ちなみに、わたしのあだ名「まりつぃん」はここで名づけられました。
6.FLUXUS / フルクサス
かつてオノ・ヨーコが所属していたアーティストグループ
ハプニングや偶発性を重んじる流派とでも言うべきもの
とはいえ、このコミュニティがなにやってるのか、わたしは知らない。
7.新しい広告が好き
広告というものが好きです。
表も裏も見えてきたけど、やっぱり好きです。
最近では経済を勉強するよりも、
より人間に近い部分での社会システムが見える気がしてる。
8.資料にならなそうなウェブサイト
友人、知人が入っていて、面白そうだったので入ってみて、
やっぱり面白かったコミュニティ。
9.I love yokohama 【横浜】
ビバ横浜!
年々横浜という街が好きになっていきます。
横浜解明をライフワークにしようと決めた身としては、
ここの情報はけっこう役立つ。
そのうち自分からも発信しますかね。
4.トップにいる9人樣にバトンを回します。
わりとかぶりかぶりなんだけど。
メッセージを送りがてら、よろしくお願いします。
Yuushiさん
最近、どうですか??たまに、湘南台に出没しますよ、わたしw
かおりさん
おねえさんと最近語りたい思いでいっぱいです。
ma22nさん
そもそもこのエントリーを見ているか謎なくらい、
めまぐるしく動いてますね。
Zagonの調子はどうですか??
ひろみさん
わたしはとりあえず元気でやってます。
とりあえず、わたしの周辺の人は元気っぽいです。
こまさん
こまさんもこれを読んでいるかどうか謎なくらいの、
めまぐるしい生活を送っていらっしゃる様子です。
ブログ読んでますよ!
わたしも負けずに、がんばってます。
ゆっけさん
かなりご無沙汰してます。
でも、例の本のレビュー?わたしはちゃんと新聞で読みましたよ。
さおさん
K女生を名乗るいたずら電話事件が発生したとき、
まさかわたしの名前でかかっていたとは知りませんでした。
わたし、違います(笑)
niccy*さん
やってくれなそう・・・(笑)
なるさん
ご無沙汰中です。
まりつぃんは相変わらず突っ走ってますよ。
会社の先輩の下ネタに耐えられるのは、なるさんのおかげだと思ってます(笑)
最後に、バトンを回してきたzさんへ
>数年後ひょっこり女流作家デビューとかしてたらウケる。
ひょっこり、こっそりやるつもりっすよw
最近、ウケることばっかり周辺で起きてます。
とある人物には
「自分で起こしてるんじゃないのかい?」
と突っ込まれましたよ。
そんな日々を送っとります。
メリーさんの世界にはまっていたり、
知らないおっちゃんと日本について語っちゃったり、
クラブに行ってみたり、
夜のネットカフェに籠もってみたり
っていう現状の行動。
すべて理由がある。
それは
「世の中をちゃんと見る」
ということ。
ちゃんとってなに?と思うけど、
少なくともわたしが今まで見ていなかった、
あるいは見る機会が与えられてなかったもの、ことを観たい。
わたしは、今までの22年間。
綺麗なものしか見てこなかった。
社会の綺麗な部分。
人間の綺麗な部分。
こういうものしか見せられてこなかった。
それは家庭での教育方針のためでもあり、
学校での規律のおかげでもあり、
それによって自然とエリートっていうレールの上を
きちんと歩こうとしていたわたしのせいでもある。
ある人が自分にいきなり言った言葉に、
わたしはショックを隠しきれなかった。
「どこをどう切っても優等生だね」
確かにそうなんだ。
わたしは世の中の現象を一生懸命解明しようとしてきてはいたけれど、
それは厳格な親が社会に対して持っている眼と
学校の先生、教授たちが持っている眼に多大に影響されている。
自分の眼というのは、
最初彼らの眼を通すガラスでしかなく、
それが次第に自分の眼になってくる。
わたしは自分の眼を持ちたくて、
さまざまなレールから抜け出したくて、
必死だったのに、
例の人物はああ言った。
見る人には見えるんです。
わたしの本質が。
いくら隠そうとしたって、無駄なんだ。
それがとてもショックだった。
数日間にわたる自己分析と人生相談によって、
わたしは一つの結論を出した。
「とりあえずこんな自分を受け入れてみよう。
こういう自分から逃げ出してもしょうがないんだ」
その上で、わたしは自分が今まで見ていなかったものたちを
自分の眼で見て確かめ、考えたいと思った。
何かについて考えたら、
その考え方を一旦捨てて、違う方向から考える努力をする。
これをこの先ずっと続けていくことで
わたしは必ず、やっとのことで、「大好きな自分」になれるんじゃないか。
これが結論。
そしてわたしは明日もその次の日も、
人の何倍もの時間をかけて考えたいと思う。
買い物をした後、わたしはひたすら関内まで歩きました。
中華街を抜け、日本大通を突っ切って、横浜スタジアムの横をすり抜け、
いざイセザキモールへ・・・
正直こんなに人がいるとは思っていなかったのだが、
やっぱりセールのおかげなんですかね。
とはいえわたしの目的はセールではなく、
独りツアーをやるためだったのです。
何のツアーか。
「ヨコハマ・メリー」の舞台となった場所ツアーです。
この映画がわたしに及ぼした影響は計り知れません。
この後、わたしの人生も変えるかもしれない予感がする。
それくらいのターニングポイントに直結するようなことが、
この映画周辺で起こっているんです。
だからこそ、この映画が、
そしてメリーさんが歩いていた横浜の軌跡を
この目で見ておきたいと思った。
そのために、今日は一日パンフレットを持ち歩いてたんです。
イセザキモールの入り口でパンフレットの、地図のページを広げ、
わたしは歩き出しました。
まずは、旧森永ラブ
これは入ってすぐのところにある。
今は居酒屋です。
そして松坂屋。
小さい頃よく来た記憶がある。
そのすぐ近くの柳屋という化粧品店
これは健在。
けっこう奥行のある店舗だった。
その次のGMビルを探すのが大変だった。
福富町に入ったのはいいが、
道を一本間違えて、○ープランド街、ホテル街を無駄にさまよい、
ちょっと怖いおじさんとぶつかりそうになって紙一重でかわし、
もう一度モールに戻ってみた。
ないぞ。。。???
というわけで目的地を根岸屋に変更し、
ずっと先へと進む。
それはすぐに見つかった。
大きな駐車場に姿を変えて、
そこだけぽっかりと何かが持って行かれてしまったような空気があった。
その周辺の建物たちさえ、失った喪失感を漂わせていた。
かつて横浜の夜の象徴として多くの著名人も通い、
戦後を生きる人たちが集った場所は、
火事によって焼け落ちてしまった。
それが事件だったのか事故だったのかは未だに分かっていないという。
Iさんに言わせればきっと事件だと言うんだろう。
この話は後で書くとして、
わたしはもはや跡地としか見ることのできないその空き地の前で、
しばし立ち止まり、
「もうちょっと前に来て見たかった」
と思った。
そしてもう一度わたしはGMビルを探すべく、モールを引き返す。
さきほどちょっと怖い思いをした道をもう一度突き進み、
二つほど路地をまたぐ。
大方この辺りだろうという検討をつけて左に曲がってみたら、
GMという大きな文字の看板が見えた。
やった、見つかった!!
意気揚々と歩き出したわたし。
目の前からいかにも強面なおにいさんがやってきて
なにやら怒鳴ってきた。
やばい。どうしよう。
そのときわたしはipodのイヤホンを耳につけて
Led Zeppelinを聴きながら歩いていたのだが、
そうやって
「聴こえないフリ(外界に興味をもっていないフリ)」作戦で
一応自分の身は守ってみようと思っていたのだった。
ところが怒鳴られてしまったのでさすがに引き返そうかと思ったら、
後ろからまた大声が聞こえてきた。
ますますやばいんじゃないか??
そのあとわたしが取った行動。
ずばり、後ろを振り返ってみた。(ある意味危険)
そして謎は解けました。
前から怒鳴ってきたおにいちゃんは、わたしの背後にいた人物に対して
大声で呼びかけただけだったらしい。
なんだ。。。
びっくりさせてくれるなよ。
こうして無事、
映画で観たあの階段と、GMという文字を真正面から見ることができました。
意外とネオンがいっぱいあったんですね。
外観はビル自体の老朽化が進んでいることを如実に表した感じでした。
そのうち、このビルも取り壊しになってしまうんじゃないか。
そう思うと、さびしい気持ちになってきました。
そんな気分でGMビルをあとにし、
かつてはメリーさんが行き着けだったというクリーニング屋跡へ向かう。
今は中華料理屋さん。
そこはささっと引き上げて、関内駅を通り越し、
アート宝飾のビルと、行き着けだったカフェ「相生」へ。
アート宝飾のビルにはベンチがあるはずだったのだが、
ビルの1Fはスタバになっており、ベンチは撤去されていた。
すごいスタバを恨んだ。
スタバのブランド戦略の元、メリーさんの形跡が消されてしまったことに、
なぜか怒りを覚えた。
カフェ「相生」は前を通っただけで帰る時間になってしまったのだが、
ウィンドウにヨコハマメリーの映画のパンフレットと、
一組のティーカップが置いてあったのを見て、
「これは絶対にメリーさんが使っていたものに違いない」
と思った。
ほんとうはマスター?にそのことを確かめたかったのだが、
なにせ時間が押してしまったため、次回に持ち越しとなった。
次回のメリー・ツアーは、
野毛に行く予定です。
時間と精神的余裕があれば寿町まで歩きます。
まぁ後者の方はさすがに誰か連れてった方が良さそうな気がする。
とはいえ、まったくこの横浜に興味のない人と一緒に行くつもりはなくて、
むしろそうなりそうだったらわたしはやっぱり独りで世界に浸りながら歩きたい。
そうではなくて、
ほんとうは横浜を昔から知っている人と一緒か、
一緒に横浜を解明したい人と一緒に、
ひたすら歩きたい気持ちの方が強い。
同行したい人、メールお待ちしております。
もしくはmixi経由とかで情報もお待ちしています。
今日はわたしの中では結構冒険的な日でした。
Iさんに、
「あんた、ここ独りで行っちゃだめだよ」
と言われた場所に、
まさに独りで乗り込んで、
「だれだあの人?」
と真剣に思われたであろう、今日。
なんていうか、すっごい変な格好で行ったのもある。(手抜きだったのさ)
あと洋服の紙袋を抱えてて、いかにもサマーセール行ってきちゃいました的な女が、
なぜここを独りで歩いているのだ?
という違和感があったんでしょうね。
そこをわたしはツェッペリンと共に風をきって通り抜けてきました。
気持ちよく歩き、気持ちよい疲労感に包まれて、
わたしは一人の人間が見た世界を、
たとえ同じものではないにしても、
見ようとし、感じようとしました。
こういう感覚。
好きなんです。
誰かが歩いた道、
誰かと歩いた道、
誰かがいた空間、
誰かといた空間、
こういうものを追体験することは
他人の(あるいは自分の)記憶を手繰り寄せ、
再体験するということ。
まったく同じ感情は味わえない。
違う感情を引き起こさせたその道や空間は
一体どんなものを内包しているのか。
これを考えるのが好きだ。
だからついでにわたしは今日、とある場所にも寄ってきました。
それは、横浜トリエンナーレで大好きだった人たちが住んでいた場所でした。
細い路地の中央あたりに静かに平穏な空気と一緒にたたずんでいました。
この場所には実はあれから何回か来ている。
独りで。
あの日、あの時、寒い時期の夜に見た風景とは違う、
梅雨で湿った空気の中にたたずむ、古い建物。
周りの環境は変化したけれど、
この場所に彼らがいたことは変わらない事実。
そしてそのことをわたしはずっと忘れないし、
たとえこの建物が壊されてしまって別のビルになったとしても、
誰かに語っていきたいと思っている。
そうやって、人と場所の記憶を
人から人へ、場所から場所へとつなげていって、
わたしは確かにその街の歴史の中の1ページを体験したんだ
ということを感じていたい。
その1ページは全体の歴史から見てみたらちっぽけなものでも、
わたしの中では大きい。
そういう体験をこれからもしていきたい。
たとえ忙しくたって。
*****
メリー・ツアー第一弾のレポートは以上で終わります。
今日は元町に買い物に行きました。
急に思い立って、行ったんです。
友達のブログに夏のセールで買いまくったっていう話があって、
「そういやそんな時期だったな」
と思い、
今までそんなセールが始まったからといって
「買わなきゃ!!」
と真っ先に行くようなキャラでもなかったのだが、
行っちゃいました。
だって、服が、、、足りないんだもの。。(慢性的に服不足中)
とはいえ、人でごったがえすモールやデパート、地下街には行きたくなかったので、
元町でストリートショッピング
という選択。
これは大正解だったな。
元町には
Tomorrow Landもあるし、
Zaraもあるし、
Benettonもあるし
Ropeもあるし、
このほかにもいっぱいあるのですよ。
安い店だってあるしね。
気をつけるべくは、客層で、
わりと年代の近い人が店員さんにいるようなお店にいかないと
ちょっと年相応に見えない服を買ってしまうことになるぐらいで、
あとは言うことなし。
大好きな街です。
で、何を買ったのかというと、
ジャケットです。
夏だから半そでになりたいけど、
正式な場では襟付きジャケットを着ようね
と言われているので、
涼しいジャケットを探してました。
して、Tomorrow Landでいわゆるオトナ買い、しちゃいました。
22年の人生で
スーツを除き、一番高い服を買ったんじゃないかというぐらいの値段ですよ。
ふぅ。。。
あまりに自分に対し申し訳なくなったので、
その後よく行くお安い(笑)店に行って、
インナーを大量に買いました。
というわけで、少しは服不足が解消されたというわけでした。
お次は、冒険編に移ります。
わたし、先週すっごい突っ込みたかったことがあったのを思い出しました。
ワールドカップ、日本が決勝トーナメントに行けずに帰ってくることが決まった日。
某テレビ局のアナウンサーが言いました。
「まぁぼくたち日本国民も期待しすぎちゃったっていうかぁ・・・
盛り上げすぎちゃった感がありますねぇ」
はぃ???
盛り上げすぎたのはあなたたちなんではないですか??
他人事みたいに言わんでください。
マスコミの事前の異常なまでの盛り上げ方、わたし気持ち悪かったです。
他の某局ではこんなことがあった。
番組でグループ通過予想というのを出演者がフリップに書くというコーナーがあった。
その番組のパーソナリティTが
日本がグループを一位通過して決勝に進む
というかなり希望的観測を発表してこう言った。
「こんくらい期待してあげなきゃ、やる気にならんでしょ」
これはいいのよ。
おじさんの愛国心だったんだから。
問題は周りのゲストたち。
Tがこう言ったからなのかなんなのか、
それまで絶対に違う予想を立てていたゲストたちが
慌ててフリップを書き直して
みんなTと同じ予想にしましたとさ。
司会者のUまでそうやってTにおべんちゃらを使っていたのを見た時、
わたしとfre9父の怒りは頂点に・・・
「こんなサッカーの話題でさえ、みんながみんなTに従ってるのかこの番組」
「だからS-dayプロジェクトはディベートじゃなくてTの演説場にしかならないんじゃ!!!」
もう二度と見たくない、U。
そんなに司会続けたいの?
ゲストさんたち、そこまでして呼ばれたい・・・?涙
別にTはサッカーの予想で反対されたからって
次は呼ばん、なんていう人じゃないと思うけど。
そこまで権力強いんですか、あの人。
もう、恐怖政治じゃんか。
あぁ気持ち悪い。
そんな中で、ひとりだけ世間に歯向かう女性がいました。
どこかの記者だったのか、先生だったか忘れてしまったけれど、
とある報道番組でワールドカップへのコメントを求められた時、
「わたしはみんながみんな一つの方向を向くのは危険だと思っているので、
興味もないし観るつもりもありません」
とさらっとのたまった。
まじカッコよかった。
周りが一生懸命日本に対する希望をがんばってこねくりだしてるのに対し、
彼女の勇気はすごかった。
場としては冷める発言だったけれど、
ああいうことを公の場で堂々と言える人がいただけでわたしは安心した。
わたしはというと。
ずっとサッカーを観てるものとしては、
今回もスーパープレイを観たいがために
夜遅くまでテレビをつけているんであって、
にわかミーハーと思われたくない、と真剣に思っている。
そう、二年前のベッカムファン離脱宣言の時と同じように、
周りがフィーバーしすぎるとわたしはかえって冷めてしまう。
それに最近のマスコミのフィーバーのしすぎ
とても気持ち悪い。
なんでだろう。
わたしが高校生くらいの時はそんなじゃなかった気がするのに。
オリンピックもそうだったけど、
いくらスポーツがビジネスになるからといって、
無責任な盛り上げ方をされるのと、
全体主義傾向に持っていくのは
まっぴらごめんです。
頼むから、4年後、
わたしに
「サッカーファンやめてやる!」
なんて言わせないでください。
サッカーというスポーツを観るのが、
サッカー選手という人たちが、
純粋に好きなんです。
お願いします。
がんがん書いてきますよ。
わたしは今声を大にして言いたいことがある。
それは、
「わたしはフランス大会からサッカー観てるんじゃ!」
ということである。
fre9的サッカーライフの特筆すべき事件として、
4年前の、
「ベッカムファン離脱宣言」
というのがある。
フランス大会でわたしが注目してたのは
デビッド・ベッカムで、
応援してたのは現ドイツチーム監督のユルゲン・クリンスマンだったのだが、
その後クリンスマンは引退し、
ベッカムはアルゼンチン戦の戦犯として追われる立場にあった。
その頃からわたしは批判の的となっても
サッカーで返事を返すベッカムの素晴らしさと精神にほれ込んで、
ベッカムファンを名乗るようになったのだ。
ところが、4年前の日韓合同開催の手前あたりから様子はおかしくなる。
日本で「イケメン♪」というテーマのもと、
にわかベッカムファンが増え、
本人もなんとなくコマーシャルベースに乗るようになってから、
ファンと名乗るのが馬鹿らしくなった。
もちろんベッカムはカッコいいとわたしだって思っていた。
だけど、わたしは
「ベッカムが好き」というと
「イケメンだしねw」
と返されるのが非常に不愉快で、
「わたしはあなたみたいなにわかファンじゃないのよ!!
4年前のこともまったく知らないようなあなたと一緒にされたくない!!」
と言いたくなった。
それで、ファンをやめる宣言をしたんでした。
そして今・・・
わたしはある選手に注目しています。
それは、イタリアのガットゥーゾ。
髭もじゃで毛むくじゃら感漂う男である。
彼のことは男性、と言ってはいけない。
野性的性質あふれる「男」なのである。
わたしは彼のある映像を見て、
「これはすごい」
と思った。
暑い日に試合をしていたのだと思うが、
水の入ったバケツに頭を突っ込んで頭全体を冷やし
そのままピッチにダッシュで戻っていく、ガットゥーゾ。
彼を形容する言葉として、
「ファイティングスピリット」
というのがあるが、
ああいった戦う男の剥き出しの精神を惜しげもなく出す選手は好きだ。
とはいえ乱暴者というのでもない。
それを自分の中のキャラクターとして認識し、
それで「仕事」をするつもりでいる。
なにしろ、ボールへの執念がすごい。
サッカー選手たるもの、ボールへの執着心がなければ終わりだと思うが、
彼のは人とは違う次元にいる。
ボールがあるところに必ずいるのだ。
野性人、ガットゥーゾは。
なんかやたら毛もじゃの人が来たなと思ったら、
ガットゥーゾ。
あいつ、ボール離さないけど誰だ?と思ったら、
それが、ガットゥーゾ。
ボールがあるところにすぃっとやってきて、
仕事をするんです。
懸命と言ってもいいくらい、一生懸命。
それがやっぱり周りからの信頼につながっていると思う。
技術的な巧さに注目が集まる大舞台において、
とにかく勝つというところのためだけに頑張れる。
自分のことと周りのことを誰よりも分かっているんだと思う。
そういう精神が好きなんです。
野性動物みたいな感じだけど。
髭のある人が好きなわたしでも、
ちょっとくらい剃れよ・・・と思うくらい髭がすごいけど。
トッティより、デル・ピエロより、
ガットゥーゾです。
(女性には人気がない、ということも、またイイんです 笑)
ではここから
超私的観点から観た、他の選手や監督について書こうかと思います。
シェフチェンコは何となく男性としての魅力にあふれていると
今日思った。
今まで思ったことなかったけど、今大会における彼からは何かを感じます。
そしてそれが何か母の言った一言で悟りました。
彼は、
しょうゆ顔
なんです。
なので、親しみが沸くんです。
そして、かつては好きだった、クリンスマン監督。
あの人、なんなんだ。。。
あの人の喜び方、すごくないか?
あの人、そんなキャラだったか??
昨日のアルゼンチンVSドイツ戦
彼の喜び具合はちょっと心配になるくらい激しかった。
40歳を超えてあそこまで熱狂的に盛り上がれるおじさま、初めて見た。
ま、それが良いんですけれどね。
そうなんです。
彼のあの飛び上がり具合、チームにとってはとても良いんじゃないかと思っている。
彼はたしか42歳だが、
ドイツチームの選手たちにしてみれば
ちょっと年上の男
である。
日本代表のジーコと選手たちの間柄が
「父と子」であったならば、
ドイツは
「兄と弟」
この関係はぶつかり合いも多いだろうが、逆に結びつきが強くなるのではないか
とわたしは思っている。
兄貴といえる年上の人は
「一緒にがんばろうぜ」感があると思う。
逆にお父さん的立場の人は
もうちょっと距離間がある。
昨日の試合の最後、PK戦になったとき
ドイツチームは全員で肩を組んでいた。
あれは、クリンスマンという
ゴールを入れれば飛び上がって走り出すような、
まだサッカー少年のような兄貴がいるからこそ、
みんなが一つになったんじゃないか。
もちろんそれがクリンスマンという人の魅力でもあるわけだけど。
わたしはそんなことを考えていました。
とはいえ、日本代表にはまだまだお父さん的な監督が必要だと思っている。
そして放任主義のお父さんよりかは、
多少強権主義なところのある人。
トルシエはその意味で合ってたと思う。
要するに、スーパースターだった人の言うことは、
次元が違いすぎて中田英くらいの選手しか分かんないんだと思ったということ。
それはどの組織でも同じだと思っていて、
ほんとうは両者は歩み寄らないとうまくいかないんだけど、
根本的なところで正反対の生き方をしてきた者同士は、
結局通じ合えることは不可能だということを最初に認識しておかないと、
悲劇が起こる。
次のオシム監督はどうなんでしょうか。
そして、K淵さんのあの失言放送。
絶対に裏で誰かが操って言わせたと確信してる人
どのくらいいるでしょうか。
わたしはあれは偶然じゃなくて必然だったと思ってます。
協会を切ってみたらきっと膿がいっぱい出てくるだろうな。
それが選手や次期監督に影響しないことを祈ります。
おわり
まぁ、いきなりおじさんから手紙もらいました、
なんて言ったら、
誰だって
「ちょっと!狙われてんじゃないの!?」
って思うわけで、
それをすんなり受け取って偶然の出会いの話を誇らしげに話すわたしのことを、
「君、やばいよ」
と人は言うんです。
でも、たった一人?まったく違う評価をした人がいました。
そのおじさんからの手紙を実際読んだのもあるけど
「こうやってストレートに言いたいことを書いた文章って力があるよね」
「このおじさん良い事言ってると思う」
さすが。。。
わたし、シビレました(笑)
わたしだって、知らない人だったおじさんから話しかけられて
偶然電車の中で出会って、手紙もらったっていう事象に対し
まったく危機感を抱いてないわけじゃないんです。
女性としてはね、いろいろと気をつけなければならないことは分かってるんです。
とはいえ、彼の言っている話はとても痛感する部分があり、
数時間の会話の中でわたしのことをずばり見抜いたということもあり、
いろいろな問題点を引き算しても、プラスに残る部分が多い。
そう思ったから、このおじさんからの手紙という出来事への評価は高いのです。
物事を周りだけから判断しないで、本質をちゃんと見られるひとってあまりいない。
今回の本質は、手紙の中にある。
確実に。
それをわたしが何も言わないのに理解してくれた人を、
わたしは尊敬しました。
そしてちょっと安心した。
よかった。
前回のエントリーにも書いたことの続き。
わたしの「おじさま」好きは今に始まったことではなく、
わたしに近い人たちの間では有名な話ではあるんですが、
ではなぜ「おじさま」が好きか。
多少のことではびくともしないあの余裕が好きなんです。
あれは20そこらの男性陣にはないものなんです。
自信をもって言い切れる。
たかだか20数年の人生でそう割り切れるもんじゃないし、
物事や社会システムを見抜ける人は多くない。
みんな目の前の事象に目をとらわれてあたふたしながら
ある人は自分を追い詰め、
ある人は周りを見て何かに気づいていく。
つまり、「世間知らず」
あまり適当な言葉が見つからないからこれで代用。
それはわたしも同じ。
わたしはもの凄く世間知らずだからこそ、
いろいろなことを知りたくて背伸びしたがり屋。
そして闘いたがり屋。
闘って敗れて泣いて、また怒ってる。
それをそっとなだめてくれるのが、
「おじさま」たちだったりするんです。
彼らは冒険をやめたわけでも闘いをやめたわけでもない。
ただ闘わずして勝つ(?)計算が頭でできるんだと思う。
無駄なエネルギーを使わずに物事を自分の方へ引き寄せていくあの余裕。
気持ちのゆとりだけじゃなくて、自分と自分周辺の距離間を測れる。
もちろん全員がそういう人間じゃないと思うけれど、
わたしが好きな「おじさま」たちはみんなそういうポイントを押さえている。
だから話してて落ち着くし、
わたしはいつも何かを教えてもらって素直な感謝ができる。
社会に出て出会うのはみんな恐ろしく年上の人たちで
ジェネレーションギャップという言葉だけじゃ片付けられない
どうしようもない溝がある。
その溝を埋めるには、
わたしも彼らがどうやって「おじさま」のポイントを押さえようとしているかとか、
むしろ押さえようとしているかどうかだとかを
観察していく必要があると思っている。
もちろんわたしも遠慮はせずに、自分たちの世代の価値観でモノを言ってみる。
その価値観を、
「とんでもない」と切り捨てられてしまうのか
「若いな」と余裕綽々になぐさめられるのか
「ほほう、おもしろいな」と思わせられるのか
ほんとにまったくわかんないけれども、
言うことには価値があるなと最近思う。
言い方や場を考えて
自分の言葉で話してみたら
聴いてくれる人は聞いてくれる。
まず言わなきゃ始まらないんだなと思いました。
世の中でもっと素敵な「おじさま」たちに会えるために
わたしは努力する。
そして、いつか自分の父親も
「おじさん」から「おじさま」にしたい。。。
(っていうかそのうちおじいさんになっちゃうから早くして・・・)
おじさんっていったい何なんだろうか。
という興味が今わたしの心の中に沸きあがっているんです。
世間一般でいうおじさんたち。
彼らは一体何を考えているのかすごい知りたい。
まぁ、すごいファンキーなおじさまと会ったせいもあるかもしれないが。
とここでまず、
おじさん
おじさま
の用語説明をば。
おじさん・・・電車の中でちょっと傍にはいたくないなっていう父親くらいの年齢の男性
おじさま・・・清潔感にあふれ紳士な、父親くらいの年齢の男性
二項対立、というわけです。
今まで自分の中で
おじさんは3Kだった。
くさい
こうるさい
くたびれてる
+アブラギッシュ
もう、最低の評価だ。
世の中のおじさんたち。
ごめんね(笑)
だから、わたしは3Kじゃない「おじさま」たちが大好きだったんです。
実はわたしの中には「おじさま」リストが存在してて
この人は素敵なおじさまだと思った人はランクインするシステムになっています。
でもね、I飼さんのあのファンキーぶりを見たら、
休日に自転車でぼーっと走ってる、
いわゆるその他大勢のおじさんたちへの評価は変わりました。
彼らを3Kのおやじにしているのは周りの視線であって、
本当は、絶対に「おじさま」要素があるに違いない。
見れてないだけである。
そしてわたしが好きな「おじさま」たちにだって、おやじ要素はあって、
わたしはそれを見てないだけだったんじゃん。
と、気づいたわけです。
もっとおじさんとおじさまを見比べてみようと思いました。
きっと面白いに違いない。
きっと今までおじさんだった人がおじさまになるに違いない。
ものの見方が変わった、この2週間の心境変化を報告しました。
というわけで、
しばらくの禁酒期間を終えて、(そんなものがあったらしい)
昨夜は飲んでいたわけです。
独りで・・・笑
お部屋に食糧はあまり残っていなかったけど、
前にこの日のために買っておいた
サントリー Black NIKKA のボトルと
ベビースターラーメン超堅麺(←おいしかったよ)
を机の上に置いたあのときの感動たるや!!!
おつかれぃ、自分。
よくがんばった、自分。
よくぞ持ちこたえたな、自分。
あらゆる嬉しさがこみ上げてきて、
そのままボトルウイスキーをぐいぐい飲んでました。
社会人一年目、22歳の女子がやることとは到底思えない行為であります。
確実におやじ化進行中。。。
気持ちよく酔えたので、
サイバー上で友達に絡みまくりました。
って、わたしは何を言ってたっけ?
もはやそんな記憶もございません。
そんな酔いしれた(酔いすぎた)夜は
知らぬ間の爆睡で明けてしまったのでした。
去る6月30日。
わたしは一つの作品を完成させ、コンペ?に出しました。
コンペであるからには入賞はしたいと思うのは当然なんだけど、
わたしとしてはもうそんなの関係ないと思える心境だった。
言いたかったことはすべて書きました。
わたしがずっと溜めてきた叫びたいことも全部書きました。
あれが、わたしのすべて。
結構特殊な書き方をしたけど、
あれ以外に書きようがなかった。
一番本音に近いところで語れたと思っている。
この作品を、一番に読んでもらいたいと思った人に、
すぐに見せられないのは悔しいことです。
ほんとうに世に出ることになって、その人が手に取り、
わたしの返信を読んでくれることを期待してみる。
なんだか、わくわくする。
そういうコミュニケーションがあったっていいじゃない。
すぐに連絡先知らなくたって、
たまたま会って、たまたま同行して、
たまたま気が合っただけの関係で、
それでお互い「もう一度話したい」と思ってるって
とても素敵なことだと思う。
偶然を必然にあえて変える必要はない。
偶然は偶然だから、おもしろい。
わたしはやっぱり、偶然のコミュニケーションが好きだ。
すべて必然に持っていかなくたっていい。
その日の気分はその日の気分。
感情をすべてコントロールしたロボットみたいな人間にはなりたくない。
どうしようもない、抑えられない感情が入ったものには、
毒があり、力がある。
そして、誰かの感覚に訴える。
とはいえ、わたしはずっと感情的なものが嫌いだった。
人間にはなぜ感情があるんだろうと考えたこともある。
感情があるから面倒だと思ったこともある。
感情を押し殺して、夜中に声を殺して泣いたこともある。
自分の醜い感情が嫌いだった。
人からぶつけられても真正面から受け止めないで、スルーしていた。
「そんなの捨てちゃえば楽なのに」
と思っていた。
何がきっかけだったか分からないけれど、
人と人の感情とに真剣に向き合ってみようと思って、
(さすがに向き合わざるを得なかったのかもしれないが)
わたしは目の前にいる相手のことをちゃんと見るようになった。
そうしたら、
「誰かに理解されている。誰かがわたしのことを分かってくれる。」
と思えることが多くなった。
単純なことだけど、大切なことに気づけたんだと思う。
わたしが心を開いてなかったから、
相手もわたしのことが見えずに傷ついて、
わたしはそのことでさらに傷ついて、
それで、いつも哀しかったのだ。
今考えるとなんであんなにバリアを張っていたのか分からない。
一度その要塞を取っ払ってしまったら、
「なんて人間って馬鹿で、そして面白いんだろう」
と思った。
そんな道を通って今に至る。
ちゃんと相手の顔を見て、
ちゃんと話す。
自分にも他人にも嘘はつかない。
こんな簡単なことが実はできてなかっただけなんだ。
そんなことをまとめました。
まとめ切れたかわかんないし、
読む人は意味不明と思うこともあるかもしれない。
それでも別にいい。
わたしはやっと色々なことを自分から出せるようになれたんだと思う。
この作品を機に、
わたしは一時「小説」ということを忘れようと思います。
「詩」という形式も忘れようと思います。
わたしにはもっと自分に合った書き方があるはず。
それが一体何なのかは分からない。
だけど、自分が一番表現できる形式は、
もしかしたら従来の小説の型ではないんじゃないか。
そう思ったんです。
Iさんの手紙によって触発されて、
わたしは1週間足らずで全部書き直して作品を送りました。
これが意味するもの、
それは
「小説を書こうというあまりに自分を型にはめていた自分」です。
なにやってんだ、と思いました。
精神的にとっても楽に書けた今回。
そしてそれを肩の力を抜いてここでまとめる今。
わたしは型にはめずに、かっこつけずに、
肩の力を抜いて書く方が合っている。
そうやって書いて何が出来上がるのか未知数だけど、
とりあえず頭の中から
構成とストーリーとプロットを考えて云々、
の考えをきっぱりと捨てようと思っています。
そしてこういうことを続けていって、
いつの日か、こういうのもありなんじゃん?と思わせられるようなことをしたい。
何が一番の方法論だ馬鹿野郎と言ってみたい。
あ、偉そうに言っちゃった。。
最後に、この一ヶ月わたしの暴走迷走瞑想妄想に付き合ってくれた人に、
お礼を言います。
ありがとう。