思い出
鎖
希望
とかとか。
今CMから聴こえてくる。
朝日新聞の広告。
わたしの答えは、
無力
ことばは、無力すぎて、
時々哀しくなる。
曇りの日の鬱々とした気持ちを表すのは難しい。
わたしは曇りの日はときどき好きで、ときどき嫌い。
曇りの日ってそんなもん。
そんなもん、をあらわすことばはない。
さしたる不安があるわけでもないのに、
明日どうやって一日過ごせばいいのか恐怖に駆られる。
それを伝える手段に、ことばがある。
でも、伝える術が見つからない。
どんなに心から愛していても、
それを「愛してる」以上に伝えられることばが見つからない。
どんなに綺麗な青空を見ても、
その透き通った色を表現したもので、
「清々しい」以外にしっくりくることばが見つからない。
愛のことばや、美しさの表現には、
時に比喩が用いられるけれど、
その比喩の感性を理解し合える人は、地球上にどのくらいいるのだろう。
ことばを使って伝えようとすればするほど、
虚しくなって、
心の中から感情がぽろぽろと落ちていってしまう。
逆に表現しなさすぎても、
今度は自分と他者との間に、
霧がかかって、
それが薄曇のベールになって、
しまいには殻や壁になって、
ある日突然崩れ落ちれば、
それは深く切り込まれた溝になる。
それでもわたしたちは
ことばを使って伝えることを辞めようとはしない。
歌だって、ことば。
コミュニケーションの大半は、ことば。
メールも、電話も、ことば。
毎日、大量のことば達が消費されては捨てられていく。
彼らが持つ意味を考えてもらう暇もなく、
記号として処理されて、
死んでゆく。
わたしは、今週、一体どれくらいのことば達を見殺していったんだろう。
既に殺されたことばを見て、
その叫びを考えることなく、
切り捨てるしかなかった。
ことばは、何も伝えてはいなかった。
既に、命などなかったから。
それでも、
いつかことばが命を吹き返してくれることを願って、
ことばの命が長らえる環境を願って、
わたしはことばを使う。
ことばに力はあると信じて、
その力の引き出し方を考える。
常にそうしていよう。
そうすることで、
常にわたしに付きまとう、
いつか死んだことばを使う人間になるのではないか、という恐れは、
多少忘れられる。
忘れたくはない。
わたしはことばがそれでも好きだ。