残り2日で一体何ができるか。
とりあえず栄養ドリンクを投入して粘っている。
一ヶ月ずっと書き続けてきたものを、
先週より一から書き直している。
実を言えば、ずっと、進みは速い。
それはIさんのおかげである。
もう現れることはないのかもしれないし、
もうお話しすることもないのかもしれない。
でも、あなたがわたしに残していったものは、
強大なエネルギーに変わった。
わたしはどうしても、Iさんに恩返しがしたいと思った。
だから、Iさんへの返信という形で、
作品として残したいと思った。
今、一つ一つ、丁寧に書いている。
あの時語れなかったことや、
もっと聴きたいと思っていたこと、
全てをわたしは書きなぐっている。
Iさんがくれた手紙のように。
それがわたしが一番表現しやすい形だと気づいたから。
今までかたくなに拒否してきた形式を、
「それでいいんじゃない?」
と言ってくれた人はまた別の人だけど、
わたしは彼らに感謝しつつ、
今回こそはどうしても、公でお礼が言いたい。
わたしのエネルギーを入れ込んで、
魂を込めて、
一語一語、完成させていこうと思う。
あと、2日。
クローバーの苗を今年もらったのです。
それは採光の関係で、我が家のお庭に置いてありました。
今日、庭に出たついでに水やりにいったら、
なんと!
四葉と、五葉(なんて読むんだ?)のクローバーがありました!
しかもたくさん!
四葉は幸運
五葉は最高の金運
を意味するようです。
なんだか嬉しくなったので、
苗をくれた人に報告しておきました。
最近、いろいろな社会の裏側(マスコミの裏側とでも言うべきか)を見ているせいか、
「何かの事象の裏側にある何か」をすぐに考えてしまうようになりました。
そんな日々の中で、表裏のない植物の成長を見ると
ほっと安心できる気がします。
いや、かなり安心した気がします。
ややもすると人間不信、社会不信になってしまう日常がある。
その中に、何物にも縛られず、自然の摂理のままに生きるものがある。
わたしは、自然の摂理の価値を今日、再発見できた気がします。
そういえば、3月に朝日の美しさについて書きました。
(まだ過去のエントリーデータは入れられてないんですけれど。)
仕事をするようになっても、朝日を見て幸せを感じられる余裕は持っておきたい。
わたしはそう書いていた気がする。
東京駅で独りでさまよっていた時に見た、あの朝日の瞬間を、
わたしは最近忘れてしまっていたと思う。
お金を持っていなくても、
傍に誰もいなくても、
朝はちゃんとやってくるんだと思えたあの時に、
所持金50円と知らない人たちしかいない環境に置かれて
「どうすりゃいいんだ」
と思っているわたしがとてもちっぽけだと感じた。
大丈夫。
何があったって、明けない夜はないんだ。
今が暗闇だって、いつか朝は来るんだ。
それが、自然なんだ。
この先何にぶち当たっても、
もう絶望はしまい。
自分のことを自分で信じてあげなかったら、誰が信じるんだ。
人との関係性は、信頼から生まれるのに、信じなくてどうするんだ。
わたしを一歩進ませるために、この二つのことは意識しておきたいと思う。
その人と出会ったことで、良いことや悪いことどちらにしても、何かが起こって、必ず最後は良い方向に行ってる気がする。
最終的に自分の変化や成長につながる。
自分が必要としている時に必ず必要な人が現れてくれて、何かしら私の中に残していってくれる。
不思議だと思う。
次は何が待ち受けているのか楽しみになる。
とはいえ、自分から出会いを求めなければ、心を開かなければ、それは叶わない。
そして一つ思う。
本当に魅力的な人は、特に目立って存在しているわけではなくて、自分の身近にいる。
「その他一般」のベールをかぶって、そのベールをはためかせながら歩いている。
話している。
座っている。
私のすぐ近くにいる。
今まで世の中と一歩違う人がおもしろいんだ、と思っていたけど、必ずしもそうではない。
一市民がいかに一生懸命生きていて、色々な顔を持っているかを知ったら、たまらなくなった。
私はなんて多くの出会いを無駄にしてきたんだろうか。
彼らの視点を通して考えることで、いかに視野が開かれるかということに、なぜ気付けなかったのだろう。
私でさえ、ただの平凡な人間だというのに、ちゃんと一人間を描かずして、何を言い放ってきたんだろう。
やっと気付いた。
私にとって必要なこと。
それは、自分から一端離れて、何かを感じてみること。何かを感じたらその理由を考えてみること。
これを極めていかなければ、私には先はないと思う。
Marie*fre9
さて。
Iさんと不思議で奇遇な出会いをしたわたしでありますが、
さらにおかしな出来事は続くわけで。
今朝、駅をぼーっと歩いていたら
笑っているおじさんがいる。
Iさんだったわけです。
Iさんは本当は地下鉄に乗るはずだけど、
なぜかJRのホームにいた。
それは、わたしに手紙を渡すためでした。
タイプした3枚の紙には、
わたしに関してもった印象やいろんなことへの考え方が書いてありました。
正直、びっくりしてて、なにもコメントが言えなかった。
電車の中でその手紙を読んでみると、
さらにわたしは驚いた。
この人、細木数子並の占い師って名乗れるくらい、
わたしのことを見抜いている。
今までどんなにわたしのことを理解しようと努力しても、
だれもが限界を感じていたある部分。
わたし自身、気づいていなかった自分の行動特性。
それを、この40代(だと思う)のおじさんは
たった数時間の会話の中から見抜いた。
そして自分が今のわたしと同じ感覚を持っていたことを明かして、
「同類相憐れむ」なんて言った。
実に変な感じ。
この感覚、去年の秋口と同じ感覚だ。
やっぱり自分と同じものを持っていると会った瞬間から感じた人がいた。
その人を見ていると自分を見ているようで、辛いと思ったときもあった。
こういう第6感的なものに、わたしは敏感だ。
特に最近はそういう部分で繊細すぎて、怖くなることもある。
人が引き合うということに関して
わたしは2種類あると考えている。
ひとつはまったく違うエネルギー同士。
もうひとつは同じベクトルに向かおうとしているエネルギー同士。
価値観が、とかそういうことじゃない。
会った瞬間に本能的に感じる要素が
同じかそうでないか。
それに価値観という問題が絡むとまた面倒なので
ここでは感覚に近いところの話にしておく。
自分と同じものを心の奥底に持っていると感じる人は、
思いつく人は少ない。
でもFreddieは確実にそう言える。
だからこそ、わたしは彼に心酔(しすぎ感もあるが)しているんだと思う。
アルバムの一曲。
The Great Pretender がわたしの中で名曲なのは、その理由だ。
とても不安になったから、Queenを聴いて会社に行った、今日の午前。
思わずある人に電話して、そしてじぶんを落ち着けた。
初めて、携帯電話があってよかった、と思えた。
Iさんがなんでわたしに手紙まで渡して
そんなことを伝えようと思ったのかはわからない。
別に変な狙いがあるわけでもない。
ただなんとなくわたしからギリギリな状態の雰囲気を嗅ぎ取ったのかもしれない。
わたしにはまだそんな能力はないが、
年を重ねるとそんな力が備わるものなのかな。
とはいえ、そうなるにはちゃんとおじさんの言ってくれたアドバイスを
自分でも心がけないといけないんだろうね。
うむ。
おわり
忘れないうちに書きます。
I飼さんは、知らなかったおじさんです。
本人曰く、奥さんと中学生の娘さんがいるそうです。
別にとんでもない話をこれから書くわけではないので安心してください。
たまたま映画館で隣に座ってて、
たまたまドキュメンタリー映画を観てて、
たまたま話して、
たまたま話が合って、
たまたまスタバでお茶しつつ語って、
たまたま趣味や価値観が似てて、
たまたま同じ土地に住んでて、
たまたま娘さんとわたしの共通点があって、
たまたま同じ方向に帰った。
という関係性。
その後、
たまたまわたしがメガネをかけて通勤していた時に、
たまたま隣に立ってて
たまたま同じ方向まで一緒に電車に乗り、
わたしは先に降りて会社へ行った。
という後日談がある。
もっと言うと、
おととい、横浜開港記念会館で開かれたイベントで、
再会した。
これは、たまたまじゃない。
お互い興味があるイベントだったので、
もしかしたら会場で遭遇したりしてね、ハッハッハ、まさかねぇ!!
という程度のノリで話していたら、
5分差で会場に登場。。。
なんなんだこりゃ。
さすがにここまで偶然が重なると、
ん???
とも思いますけどね。
でも正確に住所も電話番号さえも名前も知らないし教えてない。
そこには興味なんかなくて、
興味があるのは横浜ネタと某事件の話のみ。
人によっては
「危険だよあんた」
と言われますが、
そうなのかもしれませんが、
この偶然の出会いと、偶然の語りによって得たことは数知れず。
かなり面白いことを教えてもらい、
今の創作に生かさせてもらっています。
だから感謝してる。
だから、もしちゃんとした形にできることになったら、
冒頭部分に
「I飼さん、ありがとう」
とか入れちゃえ、なんて狸の皮算用をしている。
本当に面白いこと、価値のあることは、
虎の巣穴に入ってでも取ってくる。
もちろん巣穴の中で殺されるのは馬鹿だったということ。
「たまたま隣に座っていた間柄」
なんて、映画にありそうな設定だけど、
本当にあると、実際、ちょっとはびびります。
でも面白かった。
死なないように、これからも面白い体験を積み重ねて、
幅を広げようと思います。
いや、まったく、去年の秋から今までにかけて、
かなり楽しい出会い方をしている。
人との出会いって、
時にスリリングで、
時に哀しくて、
でも、
いつも面白い。
数年前にハードカバーで発売された、
わたしのエッセイ収録の本が、ついに文庫化されました!!
タイトルは、「父のことば」です。
せっかくアマゾンでアフィリエイトやってるので、リンク貼ってみました。
我ながら、なんというやらしい戦法だ。。。汗。
実はサンプルは家に届いていて、
それによると今日発刊日だった。
それで本屋に帰り寄ってみたら、
あった!!!
新刊のところに並んでた!!!
ちなみに出版社は、今話題の「明日の記憶」と同じところですよ。
某出版社系列だったんですね。
前回は初めてのことで訳が分かってなかったから
そこまで嬉しさを噛み締めることはなかった。
でも今回はあまりに嬉しくて、
書店の棚の写メールをしたいとまで思うほどだった。
でも、
今回はやめました。
次回、わたしがソロで本を出せるようになったら
絶対に写メでここにアップしよう。
それまでは地道にがんばろう。
そう思いました。
そして今夜もわたしは書く。
最近は低調気味だったから
これから上向くことを期待する。
それ以上に自分を鍛える。
もうすぐ(というか既になのか?)
印税なるものをいただけます。
ほんのちょっとなんだけど、
でも嬉しい。
これをバネにして、
飛躍したいです。
わたしと父の世紀の大喧嘩に興味のある人は、
読んでみてください。
まじで「家族の恥さらし」な話ですが、
よくもまぁここまで突っ張ってたな、という話です。
でも未だに自分で読み返してて、泣く。
ちなみに、このエッセイ集には、
わたしの従弟の作品も載ってます。
載ってみてびっくりでした。
さて、今夜もがりがりとやりますか。
I飼さんとの出会いを無駄にしないように、
(これについては後日とてもおかしな話をここに書く予定)
しっかりと書きとおします。
ついに叶った。
バレエ・フォー・ライフの鑑賞。
モーリス・ベジャールが振り付け、
音楽はクイーンとモーツァルト。
この作品を構成するのは、大きく言えばオマージュである。
フレディ・マーキュリーと
20世紀バレエ団が生んだ偉大なソリストであり、
ベジャールと共にダンサーとしてバレエを創った、ジョルジュ・ドン。
若くして死んだ二人に捧げた鎮魂舞踊と言っても過言ではない。
実はこのバレエは以前、ビデオで観たことがある。
日本には数少ないであろう貴重なビデオテープで、
友人からコピーにコピーを重ねたものをさらにダビングしたため、
画像が非常に粗い。
だが、粗い中からも、生と死に対する情熱がストレートに飛び出してきて、
わたしを圧倒した。
その感動があったから、
今回、舞台で観られるということでS席を取り、
オペラグラスまで持参して臨んだ。
一言。
行ってよかった。
希望を捨てないでチケット斡旋業者をあたってよかった。
1万7千円は無駄にはならなかった。
このバレエには主人公がいて、それはフレディという役名である。
そのままではあるのだが、このフレディというのは重要な役で、
この役を演じるダンサーがこのバレエのトーンを決めるといってもいいくらいだ。
今日のキャスティングはわたしが以前見た時のダンサーとは違う人だった。
そしてまったく違う、バレエを観た気がした。
以前見たものが「逃れられない死」を描いたものであるとすれば、
今回の舞台は「生への希望」である。
というのは、フレディ役のダンサーの特質というか個性が、
エネルギッシュなものであったからである。
とにかく均整の取れた身体をしていて、美しかった。
そして何より、男性舞踊手として欠かせない色気があった。
おそらく彼のフレディを最初に観ていたら、
わたしは彼に惚れ込んで、卒業旅行はローザンヌでバレエ鑑賞、
という道を辿っていたかもしれない。
そのくらい、セクシーだった。
今でも彼の踊りをもう一度観たいと思っている。
が、ビデオの方では妖しげな笑みを浮かべたスキンヘッドの男が
終始フレディ的な表情を作っては一つ一つの動きを完成させていく。
実にストイックな踊りをしている。
彼の踊りからは生きた人間の血は感じなかった。
死んでしまった人間が現世に降りてきて、
消えかかりそうな身体の線を必死に作っているような、
そんな雰囲気さえあった。
簡潔に言うと
舞台の方のフレディ役は、
生きている時のフレディを演じていた。
そして、ビデオの方のフレディは
死後の世界をさまようフレディの魂を現世に連れてきた。
この正反対なダンサーの特質のおかげで、
作品の雰囲気もまったく別物であった。
ビデオでは「死」を強く意識させられ、
フレディとジョルジュ・ドンが死んでしまった哀しみを感じずにはいられなかった。
しかし舞台の方では
「生きるエネルギー」に満ち満ちていて、
フレディ役を演じたジュリアン・ファヴローの身体には確かにフレディがいたし、
ジョルジュ・ドンへのオマージュを踊ったオクタヴィオ・スタンリー(おそらく)の身体にも
ジョルジュ・ドンは乗り移っていたと思う。
ビデオでジョルジュ・ドンを踊った、ジル・ロマンはまるでジゼル男版とも言うべき
死の匂いが立ち込めていて、衝撃的だった。
ふっと気を緩めると連れていかれそうな雰囲気だったのだ。
ダンサーに限らず人間は、
その雰囲気に、生か死を漂わせていると思う。
プラスかマイナス方向へのエネルギーと言い換えるほうがいいのかもしれないが。
ジョルジュ・ドンは明らかに死の空気の量が多い。
彼がどんなに激しい動きをしても、
その後ろには黒い影がある。
反対にフレディ・マーキュリーは
どんなに暗い表情をしていても、暗い歌を歌っているとしても、
その後ろには常に肉体の存在ともいうべき体温を感じる。
他に有名人を挙げれば
ジョン・レノンはマイナス方向
オノ・ヨーコも、どちらかというとマイナスのエネルギーを感じる。
レニー・クラヴィッツもマイナス
ジミヘンもマイナス
ミスチル桜井さんもマイナス
遠藤周作もマイナス
キアヌ・リーブスもマイナス
ロナウジーニョもマイナス
ベッカムはプラス
キッスもプラス
司馬遼太郎もプラス
圧倒的にマイナスのエネルギー持っている人の方に惹かれていることが分かる。
ではなぜ、わたしはフレディに心酔しているのか。
それはおそらく
わたし自身のエネルギーが、プラス方向ではない、
と自分でも感じ取っているためだろう。
出会う人の中で
わたしと同じレベルのマイナスエネルギーを持っている人がいて、
お互い、惹きつけ合ってしまったことがある。
だが、このまま行ってしまったら危ないと本気で感じたわたしが
一方的に終わりにしたため、訳の分からない事態になったこともある。
そのくらい、人が持つエネルギーが及ぼすものは大きい。
絶対にマイナスだけ、プラスだけ、ということはないし、
両方持っている人がほとんどでその割合の話ではあるのだが、
少なくとも、
わたしにはプラスのエネルギーが多い人が必要で、
長期的に見ていると最終的にはプラスの人と長続き?している。
現にわたしの大親友はプラスのエネルギーを持っていて、
たまにテレパシー的なことも起こったりするほどだ。
話が少しそれたが、
以上ここまで書いたとおり、
ダンサーの違いによってまったく違う公演を観たようにわたしは感じている。
そしていかにダンサーの持つ空気が存在感を生み出し、
個性を作り上げているかということを
考えた。
今回わたしが観た舞台が、
プラスの方向性であったことはよかったかもしれない。
そんなことを考えながら、
今回の評論は終えようと思う。
不覚にも泣いてます。電車の中で。
こんなの別れ話をし終わった直後っていうシチュエーション以外なかったよ。。
ずっと抑えてたけど、知らないうちに溜め込んでたみたいだ。
堰を切ったように押さえが効かなくなった。
言いたいことも言えなくて、何も知らないような顔を演じなきゃいけなかった。
演じないと生きていかれないと思った。
でもそんなもんなんだと思って、必死に抑えて違う世界に逃げ道を求めていた。
でも自分という人間がそれだけで満足する人間じゃないということぐらい分かっていたはずじゃないか。
今日同期に言われるまで見てみぬふりをしてきたけど、やっぱり無理しすぎてる。
本当は弱音を吐き出したい人がいたけれど、それはいろいろ家族の事情で出来なかったのも追い詰めの原因だったと思う。
逃げ場は自分の世界しかなくて苦しかった。
自分ではどうにもできない力に対抗する勇気もなくて、なんとなく割り切ってしまった。
やるだけやらないうちに、うだうだ言うのが人一倍嫌いなのに、何やってたのか。
不安で仕方なくて、何からそれがきてるのか未だに訳は分からない。
一番哀しさを共有してもらいたい人は今傍にいない。
すごく不安で仕方がない。
Marie*fre9
さっきまでドラガナさんと話していた。
彼女は今スイスに住んでいる、旧セルビア出身の女性。
わたしの周りにはこういう人は多くて、
元ロシア人や元フランス人、
元○○人として移民した先の国で暮らしている人の現状がとてもよく分かる。
彼女は大変のんびりとした人生を生きている。
他の国に移民した人と比べると遥かに恵まれている環境にいる。
そのせいか会話ものんびりペース。
今日は、
「日本語の文字でわたしの名前ってどう書くの??」
という話をメッセンジャーで行う、という無謀な会話から始まった。
で、会話しつつイラストレーターを使ってひらがなとカタカナバージョンをつくって、
ウェブにアップしてみた。
次、メッセンジャーの名前を日本語で表示してくれるようで、
とても楽しみ。
さて、音信不通になっていた幾人かの海の向こうの人々に
いい加減連絡をしないとまずくなってきた。
今日は第一弾ということでドラガナ。
次はまず、ジュリア。
彼女には卒業旅行先からドイツに電話して、
途中でテレホンカードが切れて会話が途切れた以来、という、
とっても酷い状況の放置。。
ごめんなさい。。
帰りに散々な目に遭った上に大変だった。。
おまけに誕生日ギフト送りそびれている。。不義理すぎ。。
その次は、第二の故郷、カナダの第二の家族。
贈り物が届いたよメールを2ヶ月間放置。。
かなり貴重なカナダの広告ブックを頂いたので、
ほんとに嬉しかったんだけど、これも3月のもろもろのおかげで大変な状況に。。
そして、タイへ連絡。
せっかくメッセンジャーで話しかけてくれたPさん。。
ごめんね、そのときわたしはPCの前で爆睡してしまっていた。。
最近よくある、こういうこと。
あとは数年前知り合いになったクラリネット奏者のG氏。
メールする前にマエストロの様子をリサーチしておかないと。
ただいまの悩みは、これ。
今年の夏、誰かと再会したいんだけど、
タイかドイツ、どっちにしようか迷い中。
友達と意気投合できればタイ。
単身ならドイツ、という選択肢だな。
個人的にはドイツ路線が優勢。
そして運命の再開まであと1年のカウントダウンが始まった。
カンボジアの女の子がトロントから日本にやってくる。
ほとんど食べるかショッピングに費やしそうだけど。
ちなみにカナダに次行く予定は、
バンクーバーオリンピックの時と決めています。
バンクーバーから汽車で横断してトロントに行って、びびらせる作戦。
こういう計画がいくつかあると、
楽しくなるね。
今年は絶対また海外に行って、
友達を増やしたい。
海外友達100人計画は続行中であります。
わたしのモットーは、
「英語より笑顔」
なので、多少変な英会話してたって気にしやしません。
何よりも笑顔が大切と教えてくれたとある人とは、
言葉を使わないコミュニケーションでかなり仲良くなれたから。
わたしは今でもちゃんと笑ってますよ。
心から。
海の向こうの、あなたはどうですか?
チョコレートを食べたら眠れなくなった。
まるで子供みたいだ。。
人間はエゴの塊。
他人にエゴを強要したくないと考えていても、
そう考えていること自体がエゴだとも言える。
自分が思うことを信じて、
思うことを相手にぶつけてみたところで、
それはエゴ。
考えの押し付けは受け入れられない
と考えて、受け入れないのもエゴ。
相手の気持ちを分かっているからこそ、
これ以上傷つけないためにあえて冷たくすることも、
それもこれもエゴ。
仕事だって、友達だって恋人だって、家族だって、
みんな人間。
だから、エゴとエゴの駆け引き。
せめて、相手の言うことを、エゴだと認識した上で受け入れられる、
そういう土壌と寛容さがほしい。
感情は無償だから、
そこに対価を求めないで済む精神がほしい。
そして、何にも振り回されることのない、強い精神がほしい。
おそらく、去年(なんだよね、とっくに。。)
横浜トリエンナーレに参加してどっぷり横浜に浸かった人たちは興味がありそう。
わたしもかなり興味津々。
そんなイベントがあります。
http://www.fbcfbc.com/yokohama/event.html
↑の6月18日のやつですね。
(チラシが見つかって、ほんとによかった。。URLわかんなくて困ってた)
5月に観た、ヨコハマ・メリーにも出てきた、
横浜の戦後を知る芸者さんの弾き語りイベントです。
こういう、○○語りイベントとかほんとに好きなんです。
そういえば、去年の同じ時期には、
お経ライブイベントなぞに行っておりました。
わたしはたぶんというかきっとというか、絶対行く感じです。
興味を持った方々、行ってみてはどうでしょう??
会場では、ヨコハマ・メリーをお隣同士で観て
観た後にノリでスタバで語り合ってしまったかなりファンキーなおじさんと
再会するかもしれないという、そんな未知数なことが起こる予感です。
まぁこのおじさんとはその一週間後に電車の中でばったり出会うという
奇遇なこともあったりしたのですが。
最近は、わりと行き当たりばったりで面白い出会いをしています。
全ては人生経験。
痛いことも、浮き上がるような楽しいことも、いろいろたくさんあるけれど、
このごろ思うのは、
辛くて考え込んでしまうようなことのほうが
はるかに大きなことを自分に教えてくれる材料になる、ということです。
毎日いろんなことを考える。
悩む。
3日に1回は苦しむ。
それでも散々のたうちまわったら目の前は開けて、
一歩闇を抜けた気がする。
そうやって、わたしは自分の中にある「自分の世界」という名の箱を、
無理やりにでも押し広げて詰め込んでいくんだ。
周りが求めていないとしても、
わたしは、常に新しいものにアンテナを張って、
ぴんとくるものにはフットワークを軽く、
生きていこうと思います。
このイベントに行くのはその一環。
全て、わたしの生き方は何かが貫き通している。
部屋に入ったらあの伊○衛門をプロデュースしたNさんがいた!
業界ではかなり有名人ですね。
ふと見ると彼の傍らには、
やっぱり伊○衛門のボトルがあったのでした。
さすが。
セルフプロデュースができてる。
Marie*fre9
いかんよ。。
いかん。。
前から分かっていたことだけど、
Led Zeppelinを聴くと陰鬱な気分になって
全ての気力が失われる。
そのためあらゆる人と音信不通状態にしてしまっている。
申し訳ないくらいに。。
好きなんだけど。
ツェッペリン、大好きなんだけど、
問題はそこだけなんだけど。。
今日は朝から聴いていたんだけど、
やばいくらいどんよりとした。
そして帰りがけ、
極めつけのStairway to heavenを聴いて
さらに悪化。
一説によれば、Stairway to heavenには
サブリミナル効果のしかけが細工してあるという。
ジミー・ペイジは黒魔術の信望者だったというが、
あるフレーズを逆再生すると見事にサタンへの讃歌の歌詞に早代わりするのだ。
サブリミナル効果はよく広告の世界のものが取り上げられるが、
巷で言われているものは、実に軽いものばかりである。
一度サブリミナル効果の真髄まで調べたことがあるのだが、
この効果の核となっているものは欲望と魔術である。
本当にそんな連想する人がどこにいるのか、と思うほどの例は山ほどある。
が、しかし実際連想のみのレベルで言えば、
人生経験のある人はたいてい分かってしまうような話で片付いてしまう。
それが脳の中でどう処理されるかは
個人差の問題もあって確定された結論はないが、
少なくともシンボリックな言葉、形、図柄が
特定のイメージへ帰着することは確かである。
それが良い方向に行くのか悪い方向に行くのかの法則は未だに発見されていない。
Stairway to heavenにおいて、
Piperというものが
黒魔術の世界の中ではだれだれに当たるという推測はあるにはあるのだが、
わたしにとっては、
「ブレーメンの笛吹き男」のイメージである。
笛を吹いて子供たちをさらっていってしまうあの笛吹き。
幼稚園の時、怖すぎて夜甲高い音がすると震えてしまった。
つまり笛吹き、という言葉からわたしは小さいころの怖い体験を思い出した。
それで曲の中の笛吹きが自分をどこに連れていってしまうのか知らないが
とにかく現実世界とは離れたところに自分の精神がいってしまうような錯覚に陥る。
それが高校生時代から続いている。
いい加減、聴くのやめたいと思うのだけど、
中毒のように時々無性に聴きたくなる。
そこも怖い。
抜け出せない、みたいな。
明日は元気に明るく過ごしたい。
内訳
鬼嫁日記
ラストプレゼント(天海祐希出演のやつ)
石川亜沙美プロモーションDVD
ひろみちお兄さんのリズムズム体操
以上。総額ウン万円
おかげで楽天ポイントは貯まったけど、この先謎なダイレクトメールが送信されてきそうです。
出来ればご遠慮したい。
Marie*fre9
Eaglesは晩夏の晴れた青空か夕焼け。
ダイアーストレイツは真夏の大方晴れた午前中。
ミスチルは秋の暖かい雨の日。
レニクラは夏の雨上がり。まだ地面は濡れている。
ジミヘンは雨混じりの曇り。時々止む。
ブラーもどちらかと言えば曇り。梅雨みたいな感じ。
クイーンは定義不可能。一曲ずつやりたい。
ただボヘミアンラプソディに関しては、第一部は小雨の郊外の路地。
フレディの歌は五月晴れだけど、不安定。
UKロックはやっぱりイギリスの気候の影響があるのかな。
Marie*fre9
みんなサッカー観るために表情が生き生きしてる。
fre9父は珍しく帰りが早い。きっとウキウキしながら帰ってきたんだろうな。
心なしか電車の中の空気が軽い。いつもは陰欝なのに。
週に一回とかこんな日があってもいいな。
さて、早いとこ家帰んなきゃ。
Marie*fre9
すなわちプリテンダーの世界である。
プリテンダーには二種類いる。
一つは常に周りが求める自分像を演じようとするタイプ。
もう一つは別の誰かあるいは新たな人格を演じるタイプ。
前者と後者は似て非なるものである。
前者の演じ方はあらかじめ演じるべきものが決まっている点で、受動的である。
反対に後者は自分からその人格を選び演出しながら近づけていく点で、能動的である。
私が主に描くのは後者の世界だ。
とはいえ、両者は完全に別個のものというのでもなく、共存し得ると考える。
私はこのプリテンダーの世界は好きでもあり嫌いでもある。
ある意味人間の人間たる所以であるからかもしれないが。
一度こういう第三者ありきの相対的世界を全否定して、完全絶対自己規定というものも試みたが、完全絶対自己規定なんてものは実現不可能だった。
だからといってそれを諦めたわけではなく今は、比較的絶対自己規定を目指していたりもする。
が、
ちゃんとまとめたいのもあり、自分の鍛錬のためにもきちんと書きましょうと。
今はしっかり枠組みを建てている最中で、できる範囲からパーツを創っている。
〆切りは今月末。
再び自分の世界に入り込みます。
Marie*fre9
下のエントリーの最後間違ってます。
簡単じゃないことがない、のではなく、難しくないことなんてない、と言いたかったのです。
なんたる間違いだ。。
思い上がりも甚だしい発言じゃん、これ。
失礼しました。
なんか変だと思ってたけど相当変なこと書いてました。
恥だ。。
涙
Marie*fre9
夢とは、
逃げ道ではない。
夢は、一度持った瞬間から、
目標に変わる。
と誰かが言っていた。
そして、目標になった瞬間から、
それは、自分との闘いになる。
自分の甘さと未熟さと、現実の厳しさが
容赦なく降りかかってくる。
助けてくれる人は誰もいない。
支えてくれる人だって、
本当にモノを作っている現場に立ち入ることはできない。
まさに、孤独との闘いである。
ふとした瞬間に、
どうしようもない絶望感に襲われて、
諦めかける時も、
独り。
自分の未熟さに嫌気がさして
辛くてたまらないときも、
独り。
それでも、
絶対にあきらめないという固い決意があるからこそ、
目標達成に向けて必要な課題を一つ一つクリアしていこうと思う。
その姿勢を、夢を持つ人には持っていて欲しいし、
夢を探している人は理解して欲しいと思う。
夢は決して「息抜き」でも「逃げ」でもない。
常に目の前にありながら、追うとするりとかわされ、
実現させる方法を自分で見つけ出した者だけが、
掴むことができる。
世の中に簡単じゃないことなんて、ないんだと思う。
思い出
鎖
希望
とかとか。
今CMから聴こえてくる。
朝日新聞の広告。
わたしの答えは、
無力
ことばは、無力すぎて、
時々哀しくなる。
曇りの日の鬱々とした気持ちを表すのは難しい。
わたしは曇りの日はときどき好きで、ときどき嫌い。
曇りの日ってそんなもん。
そんなもん、をあらわすことばはない。
さしたる不安があるわけでもないのに、
明日どうやって一日過ごせばいいのか恐怖に駆られる。
それを伝える手段に、ことばがある。
でも、伝える術が見つからない。
どんなに心から愛していても、
それを「愛してる」以上に伝えられることばが見つからない。
どんなに綺麗な青空を見ても、
その透き通った色を表現したもので、
「清々しい」以外にしっくりくることばが見つからない。
愛のことばや、美しさの表現には、
時に比喩が用いられるけれど、
その比喩の感性を理解し合える人は、地球上にどのくらいいるのだろう。
ことばを使って伝えようとすればするほど、
虚しくなって、
心の中から感情がぽろぽろと落ちていってしまう。
逆に表現しなさすぎても、
今度は自分と他者との間に、
霧がかかって、
それが薄曇のベールになって、
しまいには殻や壁になって、
ある日突然崩れ落ちれば、
それは深く切り込まれた溝になる。
それでもわたしたちは
ことばを使って伝えることを辞めようとはしない。
歌だって、ことば。
コミュニケーションの大半は、ことば。
メールも、電話も、ことば。
毎日、大量のことば達が消費されては捨てられていく。
彼らが持つ意味を考えてもらう暇もなく、
記号として処理されて、
死んでゆく。
わたしは、今週、一体どれくらいのことば達を見殺していったんだろう。
既に殺されたことばを見て、
その叫びを考えることなく、
切り捨てるしかなかった。
ことばは、何も伝えてはいなかった。
既に、命などなかったから。
それでも、
いつかことばが命を吹き返してくれることを願って、
ことばの命が長らえる環境を願って、
わたしはことばを使う。
ことばに力はあると信じて、
その力の引き出し方を考える。
常にそうしていよう。
そうすることで、
常にわたしに付きまとう、
いつか死んだことばを使う人間になるのではないか、という恐れは、
多少忘れられる。
忘れたくはない。
わたしはことばがそれでも好きだ。
一応吊り革にはつかまっていたのですよ。
でも突然の衝撃には耐えられなかったね。
ズゴン!!
という音と共に眼が覚めて、気がついたらドアまで吹っ飛ばされてガラスに激突してました。
周りの人々の笑いをこらえる表情が目に入ります。
めちゃめちゃ痛くて恥ずかしかったから、それからしっかり起きてようと努力した。
が、、、
一度はまるとなかなか抜け出せないのが、睡魔というものです。
ズゴン!!!!!
結局二回、やっちゃいました。
まぢ痛かった。。。
恥。
Marie*fre9
誰もわかんない話だろうけど、私の社会における保護者が変わるかもしれない?疑惑が消えました。
まじでありえないことだったから、余計に怖くて本人に聞けなくて、結局筆談で聞いてみた。
返事が今日返ってきた。
お父さん(なんで私の周りはお父さんみたいな男性が多いのか非常に謎)は変わりません!
よかった。よかったね、自分。
うん。
ていうか今日、その人のことをKちゃんと呼びそうになりました。
喉まで出かかったのを飲み込んだ。
危ない危ない。
似過ぎなんだって。ホントに。
やばいっす。
お願いだからこれ以上髭伸ばさないでください。
髭5ミリ伸ばしたら本気で呼んでしまう確率大。
まぁ、それだけ想いは深いんだってことで。
(初めてのろけて終わらせてみた。)
Marie*fre9
っていう顔文字がTSUTAYAのメルマガに入ってて
妙に笑えました。
タダ、という言葉に感動してるようです。
Marie*fre9
あぁ、いやだ。。
昨夜ばったりと倒れ込んで寝てしまい、気がついたら朝になってました。
そのまま出かける準備に取り掛かったら、
なんと眼が良く見える!
そうです。
思いっきしコンタクト装着したまま爆睡してしまったのです。
やつちまいました。
こんなの初めてだ。相当疲弊してたみたいです。
眼に悪いので今日はしばらくメガネで過ごします。
あー、今日は誰にも会いたくないと思っていたら、電車の中で奇遇な出会いをしてしまった。。
がーん
Marie*fre9