ついに叶った。
バレエ・フォー・ライフの鑑賞。
モーリス・ベジャールが振り付け、
音楽はクイーンとモーツァルト。
この作品を構成するのは、大きく言えばオマージュである。
フレディ・マーキュリーと
20世紀バレエ団が生んだ偉大なソリストであり、
ベジャールと共にダンサーとしてバレエを創った、ジョルジュ・ドン。
若くして死んだ二人に捧げた鎮魂舞踊と言っても過言ではない。
実はこのバレエは以前、ビデオで観たことがある。
日本には数少ないであろう貴重なビデオテープで、
友人からコピーにコピーを重ねたものをさらにダビングしたため、
画像が非常に粗い。
だが、粗い中からも、生と死に対する情熱がストレートに飛び出してきて、
わたしを圧倒した。
その感動があったから、
今回、舞台で観られるということでS席を取り、
オペラグラスまで持参して臨んだ。
一言。
行ってよかった。
希望を捨てないでチケット斡旋業者をあたってよかった。
1万7千円は無駄にはならなかった。
このバレエには主人公がいて、それはフレディという役名である。
そのままではあるのだが、このフレディというのは重要な役で、
この役を演じるダンサーがこのバレエのトーンを決めるといってもいいくらいだ。
今日のキャスティングはわたしが以前見た時のダンサーとは違う人だった。
そしてまったく違う、バレエを観た気がした。
以前見たものが「逃れられない死」を描いたものであるとすれば、
今回の舞台は「生への希望」である。
というのは、フレディ役のダンサーの特質というか個性が、
エネルギッシュなものであったからである。
とにかく均整の取れた身体をしていて、美しかった。
そして何より、男性舞踊手として欠かせない色気があった。
おそらく彼のフレディを最初に観ていたら、
わたしは彼に惚れ込んで、卒業旅行はローザンヌでバレエ鑑賞、
という道を辿っていたかもしれない。
そのくらい、セクシーだった。
今でも彼の踊りをもう一度観たいと思っている。
が、ビデオの方では妖しげな笑みを浮かべたスキンヘッドの男が
終始フレディ的な表情を作っては一つ一つの動きを完成させていく。
実にストイックな踊りをしている。
彼の踊りからは生きた人間の血は感じなかった。
死んでしまった人間が現世に降りてきて、
消えかかりそうな身体の線を必死に作っているような、
そんな雰囲気さえあった。
簡潔に言うと
舞台の方のフレディ役は、
生きている時のフレディを演じていた。
そして、ビデオの方のフレディは
死後の世界をさまようフレディの魂を現世に連れてきた。
この正反対なダンサーの特質のおかげで、
作品の雰囲気もまったく別物であった。
ビデオでは「死」を強く意識させられ、
フレディとジョルジュ・ドンが死んでしまった哀しみを感じずにはいられなかった。
しかし舞台の方では
「生きるエネルギー」に満ち満ちていて、
フレディ役を演じたジュリアン・ファヴローの身体には確かにフレディがいたし、
ジョルジュ・ドンへのオマージュを踊ったオクタヴィオ・スタンリー(おそらく)の身体にも
ジョルジュ・ドンは乗り移っていたと思う。
ビデオでジョルジュ・ドンを踊った、ジル・ロマンはまるでジゼル男版とも言うべき
死の匂いが立ち込めていて、衝撃的だった。
ふっと気を緩めると連れていかれそうな雰囲気だったのだ。
ダンサーに限らず人間は、
その雰囲気に、生か死を漂わせていると思う。
プラスかマイナス方向へのエネルギーと言い換えるほうがいいのかもしれないが。
ジョルジュ・ドンは明らかに死の空気の量が多い。
彼がどんなに激しい動きをしても、
その後ろには黒い影がある。
反対にフレディ・マーキュリーは
どんなに暗い表情をしていても、暗い歌を歌っているとしても、
その後ろには常に肉体の存在ともいうべき体温を感じる。
他に有名人を挙げれば
ジョン・レノンはマイナス方向
オノ・ヨーコも、どちらかというとマイナスのエネルギーを感じる。
レニー・クラヴィッツもマイナス
ジミヘンもマイナス
ミスチル桜井さんもマイナス
遠藤周作もマイナス
キアヌ・リーブスもマイナス
ロナウジーニョもマイナス
ベッカムはプラス
キッスもプラス
司馬遼太郎もプラス
圧倒的にマイナスのエネルギー持っている人の方に惹かれていることが分かる。
ではなぜ、わたしはフレディに心酔しているのか。
それはおそらく
わたし自身のエネルギーが、プラス方向ではない、
と自分でも感じ取っているためだろう。
出会う人の中で
わたしと同じレベルのマイナスエネルギーを持っている人がいて、
お互い、惹きつけ合ってしまったことがある。
だが、このまま行ってしまったら危ないと本気で感じたわたしが
一方的に終わりにしたため、訳の分からない事態になったこともある。
そのくらい、人が持つエネルギーが及ぼすものは大きい。
絶対にマイナスだけ、プラスだけ、ということはないし、
両方持っている人がほとんどでその割合の話ではあるのだが、
少なくとも、
わたしにはプラスのエネルギーが多い人が必要で、
長期的に見ていると最終的にはプラスの人と長続き?している。
現にわたしの大親友はプラスのエネルギーを持っていて、
たまにテレパシー的なことも起こったりするほどだ。
話が少しそれたが、
以上ここまで書いたとおり、
ダンサーの違いによってまったく違う公演を観たようにわたしは感じている。
そしていかにダンサーの持つ空気が存在感を生み出し、
個性を作り上げているかということを
考えた。
今回わたしが観た舞台が、
プラスの方向性であったことはよかったかもしれない。
そんなことを考えながら、
今回の評論は終えようと思う。