やっと、今日観ました。
やっと、会えました、メリーさん。
たぶん小さいころに一回すれ違ったことがあるような気がする。
そのくらいの関わりだけで、
ひょんなことからこの映画の存在を知り、
「わたしの知らないヨコハマがきっと描かれているに違いない」と想い、
観に行きました。
わたしが知る由もなかった、
あるいは、数年前までは目をそむけていたヨコハマの別の一面、
それがあらゆる言葉たちと一緒にわたしの体内に入り込んできた。
そしてほんの数年の間に、
必死に生きて死んだ人々の吐息と、足跡があった。
まだ観ていない人に向けて一つ言えることは、
これは、戦後を生きた娼婦の話にとどまらない、ということ。
ヨコハマという街で、
自分と、他人と、社会と闘って、
自分を貫き通した人間たちの話である。
わたしはこの映画を観て、
特にラストシーンで、泣いてしまった。
自分の小ささに泣けてきた。
何も特別に生きようとしたのでもなく、
自意識過剰になるでもなく、
ただ、一人間として自分が生きたい生き方を貫くことが、
どれだけ大変で、どれだけの軋轢を乗り越えなければならなくて、
それでもそれをまっとうした後の優雅さは計り知れない。
確か仏教か何かだったか、
「ただ、そこに、ある」
ということが一番尊いという話を聴いたことがある。
この話はまさに、
「ただ、そこに、あった」人々、街の風景を描いていて、
その一つ一つが唯一無二のものだった。
そして唯一無二のものが集まって形成された「ヨコハマ」は、
その全てが伝説として語り継がれている。
「ただ、そこに、ある」ということだけでも、伝説になる。
わたしにとっては目が開かれるような瞬間だった。
目から鱗が落ちたように、
ぼろぼろと涙をこぼし、
自分の不甲斐なさや器の小ささを情けなく感じた。
あるがままの自分で生きていきたい。
誰もがそう思って生きているはずだ。
でもそれは必ず自分か他人、そして社会との壁にぶつかって、
その摩擦を乗り越えなければならなくなる。
この映画に出てきた人々は、
皆、その摩擦と闘って、闘い続けて、
傷ついたり、泣いたり、怒りに震えたりしながら、
生きた。
そうやって生きることの強烈さを、
決して大きくはないスクリーンの中で
めいっぱい、表現した監督。
感服いたす、と言いたい。
聴けば監督デビュー作だと言うけれど、
出来すぎなくらいに心を揺さぶるメッセージを投げかけていたと思う。
わたしが言うのもおこがましいくらい、
とにかくこの映画にはさまざまなことを教えてもらい、
「いいんだ、今のまま生きていけばいいんだ」
と思えた。
なんだか安心した。
映画を観終わった後、
隣に座っていたおじさんが、
メリーさんと会った時のことを話してくれて、
そのまま今の社会だとか、生きていくことについて、
語ってしまった。
その人も、自分を貫いて生きている人だった。
あの映画館にいた人たちは、
もしかしたら、
自分を貫きたい、と思っている人が多かったのかもしれない。
だからこそ、
ヨコハマの都市伝説にまでなったメリーさんの行方や
その周りにいた人々への眼差しに
共感し、足を運んだのかもしれない。
「ただ、そこに、ある」
この言葉は今年聴いた中で一番自分にしっくりくるものになると確信する。
メリーさん、そして、監督と出演者の方々
ありがとう